ハンドボールの始まりや起源など、歴史について詳しく知りたい方もいることでしょう。日本でのハンドボールの知名度は、それほど高くなく、競技人口も94,546人。
メジャーなスポーツでないとはいえ、2021年の東京オリンピックでは、日本男子代表が8大会ぶり、女子代表は11大会ぶりに出場します。ハンドボールはどんなスポーツなのかを知っておけば、オリンピックでの試合をより楽しく観戦できるでしょう。
本記事ではハンドボールの始まりやオリンピックでの歴史について解説していきます。
ぜひ、最後までご覧ください。
ハンドボールの始まり
そもそもハンドボールとは、どのような競技なのでしょうか。ハンドボールの成り立ちも踏まえて解説します。
ハンドボールとは
ハンドボールとは、手を使ってボールを投げ・受けて、相手チームのゴールへシュートして得点を競うスポーツです。2チームでの対戦形式で、コートに出場できる人数は各チーム7人以内。サッカーと同様に、そのうち1人はゴールキーパーですが、必ずしもゴールキーパーを配置する必要はありません。ちなみに、ゴールキーパーを置かずに7人全員で攻撃することもできます。
また、年齢や性別に関わらず、同一規格のコートを使用し、コートやゴールの大きさはフットサルと変わりません。ただし、競技時間は年齢によって異なります。詳しくは、下表にまとめます。
ちなみに、延長戦は後半戦終了後に5分間インターバルをとった後、どの年代も10分間で競います。
もともと、ハンドボールは基本的には屋内スポーツ(インドアスポーツ)に定義されています。そのため、ハンドボールの国際大会は屋内で行われるのが一般的です。
ただし、ハンドボールはバスケやバレーなどの屋内スポーツより広いコートが必要になるため、屋内に確保できない場合には屋外にコートが設置されることも少なくありません。屋外でも同一ルールで行われますが、プレー環境が異なることから、アウトドア用ボールやシューズが使用されます。
ハンドボールの歴史
ハンドボールの起源は、下記の2つが存在します。
- デンマーク起源説
- ドイツ起源説
19世紀末、デンマークにあるフュン島東部・ニューボーの学校で、サッカー(フットボール)をプレーしていた生徒が校舎の窓ガラスを割ってしまったことをきっかけに、足よりも手なら安全で正確にプレーできると考え出されたことが由来のデンマーク起源説。一方で、20世紀初頭のドイツでサッカーに代わる女性向けのスポーツとして考え出されたとされるのが、ドイツ起源説です。
どちらもサッカーから派生したという点では同じですが、デンマーク発祥の説は、当初は1チーム16人制でしたが、スカンジナビア諸国を中心に広がっていった際に7人制へと変わっていきます。一方、ドイツ発祥の説は、1チーム11人制で、そのままドイツを中心にヨーロッパ諸国へと広まりました。
その後、2つの起源をもつハンドボールは、それぞれに国際的に広がります。そのため、現在主流となっている7人制に統一されるまでは、国際大会では11人制と7人制の2種目で併催。また、開催国によって採用されるルールが異なるなどの状態が続いていました。
そして、ハンドボールのルールが統一されたきっかけは、11人制を主流とするドイツが第2次世界大戦で敗れたことでした。その後、1946年に7人制を主流とするスカンジナビア諸国が国際ハンドボール連盟を設立したことで、正式にルールが統一されました。
歴史的にみれば、ハンドボールには11人制と7人制を統括する国際アマチュアハンドボール連盟という組織がありました。しかし、国際ハンドボール連盟の設立により、国際アマチュアハンドボール連盟は実質的な解散に追い込まれ、7人制への統一の流れが加速。現在、国際大会は7人制のハンドボールのみが行われています。
日本におけるハンドボールの歴史
世界的なハンドボールの歴史については前述しました。ここでは、日本におけるハンドボールの歴史について、詳しくみていきましょう。
日本に伝来した時期は1922年
ハンドボールが日本に伝来した時期は、1922年だといわれています。
ヨーロッパ諸国に留学していた東京師範学校の大谷武一氏が、ドイツ滞在中に知ったハンドボールを、日本帰国後に大日本体育協会(現:日本スポーツ協会) に女性や児童向けの体育教材として紹介。その後、「手球」として、学校体育教授要目に追加されたことで、日本でハンドボールが広まりました。
大谷武一氏がドイツ滞在中に観たハンドボールは、ドイツを中心にヨーロッパ諸国へと広まった11人制でした。また、大戦時には日本はドイツと同盟関係にありましたから、日本でも11人制のハンドボールが広まった歴史がみられます。
その後、日本でハンドボールの公式戦が行われたのは1937年。関東選手権大会と現在の日本ハンドボール選手権大会である、全日本選手権が開催されました。
日本でのハンドボールの歴史
日本でハンドボールが7人制に統一されたのは1963年。国際情勢を受けて、国内で行われるすべての公式戦が、この年に7人制に統一されました。そして1976年には、日本国内のハンドボールのトップリーグである「日本ハンドボールリーグ」が設立。現在、日本ハンドボールリーグには以下のチームが参加しています。
男子リーグ | 女子リーグ |
トヨタ自動車東日本(レガロッソ) 大崎電気(オーソル) ジークスター東京(ジークスター) 北陸電力(ブルーサンダー) 大同特殊鋼(フェニックス) トヨタ車体(ブレイヴキングス) 豊田合成(ブルーファルコン) 湧永製薬(レオリック) ゴールデンウルヴス福岡(ウルヴス) トヨタ紡織九州(レッドトルネード) 琉球コラソン(コラソン) | プレステージ・インターナショナル アランマーレ(アランマーレ) 北國銀行(ハニービー) 飛騨高山ブラックブルズ岐阜(ブラックブルズ) HC名古屋(HC名古屋) 三重バイオレットアイリス(バイオレット) 大阪ラヴィッツ(大阪ラヴィッツ) イズミ(メイプルレッズ) オムロン(ピンディーズ) ソニーセミコンダクタマニュファクチャリング(BLUE SAKUYA) |
日本国内でのハンドボールの競技人口は、冒頭でも紹介したとおり94,546人。上記で紹介した日本ハンドボールリーグをはじめ、さまざまな国内大会が開催されています。また、ハンドボールを体育教材として採用している学校も少なくありません。
ハンドボールとオリンピック・パラリンピック
ここでは、ハンドボールのオリンピック・パラリンピック事情について解説しています。
ハンドボールにおけるオリンピックでの歴史
ハンドボールが初めてオリンピック種目として採用されたのは、1936年のベルリン大会です。
しかし、このときはオリンピックの開催地がドイツで、国際ハンドボール連盟の設立前だったため、採用されたルールは11人制でした。また、12年ぶりに行われた1948年のロンドン大会では、ハンドボールがオリンピック種目から除外されています。
その後、ハンドボールが再びオリンピック種目となったのは、男子が1972年のミュンヘン大会。女子が1976年のモントリオール大会でした。ちなみに、ミュンヘン大会ではルール上、すでに国際大会では7人制に統一されていました。そのため、オリンピックの歴史のなかで、ベルリン大会のみ11人制ルールが採用されています。
パラスポーツとしてのハンドボールの歴史
ハンドボールはパラスポーツ(障害者スポーツ)として、性別・年齢・障がいの有無に関わらず楽しまれています。
パラスポーツでは、選手が車椅子に乗った状態でハンドボールの試合を実施。選手はストップやターンの安定性を高めた競技用車椅子を使用し、キーパーを含めて1チーム6人という独自のルールが存在します。ちなみに、その他のルールは、基本的に通常のハンドボールと同じです。
そもそも、パラスポーツは、障害を持った方だけでなく健常者でも参加は可能。車椅子ハンドボールは1980年代に京都で誕生したスポーツで、現在、日本車椅子ハンドボール連盟が中心となって普及を進めています。
そもそも、パラスポーツには、パラリンピックの種目としてまだまだ採用されていない種目が存在し、この車椅子ハンドボールもその1つ。車椅子バスケットボールやウィルチェアーラグビー(車椅子ラグビー)のように、車椅子ハンドボールがパラリンピックの歴史に登場する日が楽しみですね。
まとめ
ハンドボールは、当時の世界情勢に大きく影響されてきたことがわかりました。また、日本ではハンドボールが、学校の体育教材として採用されていたり、パラスポーツの車椅子競技として親しまれていたりしています。また、日本国内のトップリーグ「日本ハンドボールリーグ」が誕生するなど、業界全体としても普及が進んでいます。
ちなみに、2021年の東京大会では、ハンドボールの試合は「7月24日~8月8日」。場所は、国立代々木競技場第1体育館で開催される予定です。
オリンピック出場権を手にした日本代表の活躍に、期待が高まりますね。
本記事が、ハンドボールの歴史について、詳しく知りたい方の参考になれば幸いです。
(TOP写真提供 = Dziurek / Shutterstock.com)
《参考記事一覧》
【初心者必見】ハンドボールの起源とルール!(ハンドボールやろうよ)
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