イングランド・プレミアリーグのチェルシーの元選手であり、レジェンドでもあるフランク・ランパードが、監督としてクラブに復帰――その去就はプレミアリーグの二つの構造的欠陥を打破する可能性を示唆した。連載の第2回は、既に垣間見られたトレンドと、チェルシーで萌芽しつつある新たな組織文化について、20年以上にわたってイングランドサッカーを取材し、多数の書籍も手がけてきた田邊雅之氏が解説する。
前回コラム:「ランパード、チェルシー復帰」の衝撃① ランパードの監督就任が打破した、プレミアリーグの二つの構造的欠陥
昨シーズンから顕著になり始めていた、プレミアリーグの新たな兆候
フランク・ランパードのチェルシー監督就任が、大きな驚きを持って迎えられたことは、既に1回目に触れたとおりだ。ただし厳密に述べるなら、ビッグクラブの監督人事を巡る新たな動きは、昨シーズンから徐々に垣間見られたのも事実である。
例えば昨シーズン、マンチェスター・ユナイテッドでは、ジョゼ・モウリーニョが監督契約を解除され、クラブのOBであるオーレ・グンナー・スールシャールが後任に就任。暫定監督を経て、正式監督に任命されている。これはプレミアリーグ発足以降のユナイテッドの歴史を考えれば、画期的な変化だった。
さらに昨シーズンは、ランパードがダービー・カウンティで指導者としてセカンドキャリアをスタート。リバプールのレジェンドであるスティーブン・ジェラードが、アカデミーのコーチやU−18チームの監督を経て、やはり昨シーズンからはスコットランドの名門、レンジャーズを率いるようになった。
私はこれらのことを踏まえ、先月出版された拙訳『プレミアリーグ サッカー戦術進化論』(二見書房、マイケル・コックス著)の総括部分、日本の読者のために追記した「ワールドカップ後に起きた変化」という章において、いささか予言めいたことを書いた。
「またOBであるスールシャールがチームに戻り、現場で指揮を執り始めたことは、ユナイテッドというクラブそのものにとっても画期的な出来事になった。(中略)リヴァプールのスティーヴン・ジェラード(現レンジャーズ監督)や、チェルシーのフランク・ランパード(現ダービー・カウンティ監督)など、クラブのOBがチームを率いるという、新たな流れがイングランドのサッカー界で生まれるきっかけになる可能性を秘めている」
むろん、この本を脱稿した時点では、チェルシーの監督人事に関しても様々な噂が飛び交っていたし、ランパードの就任も希望的観測の域を出なかった。ところが、あれよあれよという間に事態は急転し、拙訳で指摘した通りのシナリオが成就してしまった。
「レガシー」とは最も縁遠い存在、チェルシーで起きた一大変化
この事自体驚くべきだが、ランパードの監督就任には別のインパクトもある。それは他ならぬチェルシーで、レジェンドの監督就任というシナリオが実現した点だ。
チェルシーは2003年、ロシア人の富豪であるロマン・アブラモビッチがオーナーに就任したのを境に激変。オイルマネーを注ぎ込んで選手と監督をかき集め、プレミアリーグで常に優勝候補の一角に挙げられる存在にまでなった。
ただし、このような急激な変化は歪んだ構造をもたらしてしまう。近年のチェルシーはプレミアリーグの上位陣の中で、最も頻繁に監督の首をすげ替えてきたクラブともなってきたからだ。中にはプレミアリーグで2位の成績を収めたり、チャンピオンズリーグで悲願の優勝を果たしたりしたにもかかわらず、解任された監督さえいる。
近年のチェルシーはクラブの歴史や伝統、次代に継承されていくべき「レガシー」といった要素と最も縁遠い存在となってきた。さらに述べれば、そもそもチェルシーは、移籍市場の相場やクラブが補強に投資する額の基準を根本から覆し、サッカー界における狂気のマネーゲームを一気に激化させたクラブでもあった。
その意味でもランパードの監督就任は特筆に値する。しかもチェルシーでは、やはりランパードと同時期に活躍したペトル・ツェフに加えて、クロード・マケレレ、ディディエ・ドログバといったOBの入閣が噂されるなど、画期的な変化が起きつつある。
ドラマチックな監督就任劇が孕む、もう一つの危険なシナリオ
とはいえ、新たな動きは良いこと尽くめとは限らない。
一連の外国人監督路線に見切りをつけ、母国出身のOBであるランパードを指揮官に据えるというのは、究極の切り札を切った格好に近い。仮に成績が振るわなくても、おいそれと首を斬るわけにはいかないし、辛抱して起用し続けなければ、それこそレガシーを創出することなど絵に描いた餅に終わってしまう。
現にプレミアリーグの前史であるフットボールリーグ次代に遡っても、ビッグクラブで結果を出し、長期政権を維持したOB監督はごく限られる。数少ない例外は、1980年代半ばにリバプールを率いたケニー・ダルグリッシュぐらいだろう。
またランパードは現役時代から分析的な見方のできる人物だったが、監督としては2部のクラブを、まだ1年しか率いたことがないのも事実だ。ましてや現在のチェルシーは、FIFAの規定に反したために、来年1月まで選手補強を行うことが禁じられている。チェルシーの監督就任は、クラブ側にとってもランパード自身にとっても劇的なドラマであると同時に、危険な賭けになる可能性も秘めている。
プレミアリーグに萌芽しつつある新たな動きと、変貌しつつあるチェルシーの文化。ランパーでは二つの変化を象徴する存在となっていた。第3回では今回の監督人事がもたらす効果を、ビジネス、特にマーティングの観点から分析する。
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