昨年、惜しまれながら5年間の活動に終止符を打ったサンウルブズ。その挑戦をスポンサーとして献身的に支え続けたのが、営業支援事業分野において目覚ましい躍進を続けるヒト・コミュニケーションズである。スーパーラグビーへの参戦は日本のラグビー界をいかに変革し、未来に向けて何をもたらしたのか。代表取締役社長の安井豊明氏と、一般社団法人ジャパンエスアール代表理事CEOの渡瀬裕司氏に、サンウルブズがもたらしたレガシーについて振り返っていただいた。(聞き手は田邊雅之)
初めて体験した、スーパーラグビーの厳しさ
――渡瀬さんはチームのCEOとして、そして安井社長はチームのスポンサーとして、共にサンウルブズを支えられました。お二人はラグビー経験者でほぼ同年代でもありますが、現役時代からお知り合いだったのでしょうか?
安井「渡瀬さんのことはもちろん存じ上げていました。でも直接お会いしたのは、サンウルブズの記者発表の時が初めてでしたね。スポンサードすることが急に決まったこともあり、当日は、我々のロゴが入ったユニフォームがまだできあがっていなくて、ちょっと肩透かしを食ったんですが(笑)、スポンサーをやらせていただいて本当によかったと思っています。深く関われば関わるほど、サンウルブズに対する愛情が膨らんできましたから。やりがいや喜びは非常に大きかったですね」
渡瀬「あの時はとにかくバタバタしていましたので、ご迷惑をおかけしてしまって。でも安井さんにお力をお借りすることができたのは幸運でした。そうでなければサンウルブズは、あそこまで成長できなかったと思います」
――サンウルブズは日本ラグビー界が初めてスーパーラグビーに参戦する基盤となっただけでなく、日本ラグビー界初のプロチームとしても注目されました。
渡瀬「参戦1年目は何から何まで初めての経験なので、やはり慣れるのに大変でしたね。当然のように時差の問題も出てきますし、通常の海外遠征と違って選手の食事をきちんと確保するのに苦労するようなケースも多々ありました。コーチ陣も移動の飛行機の中でミーティングしながら、次の試合のゲームプランを考えるような状況になるんです」
安井「運営のご苦労は相当だったと思います。スーパーラグビーでは、南アフリカで試合をしてからオーストラリアに入って、さらにまた南アフリカに戻るような日程にもなる。ましてやそこまで苦労しながら戦っているのに、最初はなかなか結果も出なかった」
渡瀬「ええ。でも、そういう経験こそが貴重で。海外遠征をすれば環境が必ず劣悪になる。スーパーラグビーとは、どんなに環境やコンディションが悪い時でも、常に最大限の力を発揮できるようにするためのトレーニングの場でもあったんです」
――スーパーラグビー参戦1年目、逞しさを少しずつ増していったサンウルブズは9戦目のジャガーズ戦(アルゼンチン)で、ついに初白星を飾ります。
安井「あの時はとにかく嬉しかったですね。我々は全力でサンウルブズを支援していましたけど、シーズン全敗するかもしれないという懸念も当然あるわけじゃないですか。そういう状況の中、しかも秩父宮(ラグビー場)でジャガーズ相手に見事に競り勝つことができた」
渡瀬「あの堀江(翔太)が、男泣きしていましたからね」
日本代表かサンウルブスか
――以降、サンウルブズは2020年まで戦い続けていきます。その過程でも様々な紆余曲折がありました。
渡瀬「2年目の2017年以降は、1年目に比べて観客数がちょっと落ちてきてしまって。それに勝ち星も思ったように増やしていくことができなかった」
安井「とは言え、致し方ない部分は多分にある。もともとサンウルブズは、日本代表の予備軍的な位置づけになっていた。だから代表から声がかかれば、その都度、選手を送り出さなければならない。チーム編成も相当苦労されたのではないですか?」
渡瀬「確かに楽ではなかったですね。選手の入れ替わりが激しいので、戦術の落とし込みもすごく難しくて。それと腐心したのは選手のモチベーションでした。
スーパーラグビーのシーズンは2月から始まるんですが、6月になると『ウインドウ・マンス』と呼ばれる、代表のテストマッチの期間がやってくる。サンウルブズの中でも晴れて代表からお声がかかった選手と、選に漏れた連中が分かれてくるので、代表に呼ばれなかった選手のモチベーションをいかにもう一度高めて、シーズン終盤戦に臨むかを考えなければならないんです」
チームを団結させた強烈な反骨精神
安井「しかしサンウルブズの場合は、そういう特殊なチーム事情があるにもかかわらず、選手の団結心が強かった。試合前のロッカールームの熱気はすごいものがありました」
渡瀬「ある意味、選手はみんなスネに傷を持っているというか。日本人選手にしても外国人選手にしても、代表メンバーへの返り咲きを狙っているような連中が少なからずいましたから。スーパーラグビーでなんとしても活躍して、自分たちの存在をもう一度認めさせてやろうという気持ちが強かったんです」
安井「チームの雰囲気もだんだん変わっていきましたね。最初は日本代表強化の一環という認識だったと思うんですが、スーパーラグビーという大舞台で、純粋に勝利を狙っていこうとするようなムードが生まれてきた」
渡瀬「やはり試合に臨む以上、どんな強豪が相手でも負けたくはない。だから何くそと思って戦っているうちに、徐々にいいプレーができるようになっていくんです」
安井「いい流れができていくと、パフォーマンスの質も上がってくる。私は参戦2年目や3年目、チームの状態が充実していた頃の美しいトライシーンが本当に好きでした。サンウルブズには様々な国の選手が集まっている。そういう状況の中から、あんな素晴らしいラグビーを展開できるチームができあがってきたのは驚きでした。これはまさにアートだなと思いながら見ていましたね」
渡瀬「特にアタックはそうでしたね。大会関係者も、サンウルブズの試合はスリリングで、見ていて面白いとよく言ってくださったんです。点の取られ方もスリリングではあったんですが(笑)、アタックのバリエーションは他のチームよりもあったと思います」
ワールドカップ日本大会の礎を築いたサンウルブズ
――ボールをキープしつつ、運動量やアジリティ、そして組織力を活かしながら、常に攻撃を仕掛けて試合の主導権を握っていく。このようなスタイルは、日本代表がラグビーワールドカップ日本大会で活躍する基盤も築いたのではないでしょうか。
渡瀬「それは確かだと思います。とは言えラグビーワールドカップ日本大会の直前、2019年シーズンはきつかったですね。まず選手が引き抜かれた影響で、秩父宮では1試合も勝つことができなかった。さらに2021年以降は、スーパーラグビーに参戦できないことも決まってしまって……」
安井「だからこそ、ラグビーワールドカップ日本大会では救われた思いがしたというか。プールリーグ第3戦のスコットランド戦は、渡瀬さんと一緒にスタンドで観戦していたんですが、黒子に徹しながら頑張ってきてよかったと心から思いましたから。しかも選手たちは大会終了後、サンウルブズのおかげで、ここまで戦うことができたと言ってくれたんです。あれも本当に嬉しかった」
渡瀬「それは間違いないですね。2020年は新型コロナウイルスの影響でシーズンが途中で終わってしまいましたが、サンウルブズの意義を誰よりも理解していたからこそ、最後のセレモニーにも多くの選手が参加してくれたんです」
ラグビー界の常識を覆した新機軸
―― サンウルブズは日本国内で、新たなラグビーファンも数多く開拓しました。
渡瀬「2015年のラグビーワールドカップ・イングランド大会で日本代表が活躍したことで、当時は『にわかファン』と呼ばれる人たちが急激に増えてきていました。スーパーラグビーへの参戦はそのような状況の中でスタートしただけに、ライト層を積極的に取り込もうという姿勢を徐々に明確に打ち出していったんです。
それを踏まえて2017年シーズンには、スタンドの一角に特設ステージを設けて、試合前にMAN WITH A MISSION(サンウルブズの公式テーマソングを歌っていたバンド)のコンサートをしたり、2018年シーズンの開幕戦では、郷ひろみさんに国歌斉唱やヒットソングを歌ってもらったりと、あの手この手でいろんなことを仕掛けていきました。
何が正解かというのは誰にもわかっていなかったと思うんですが、こういうことをするとお客さんが喜んでくださるというのが、なんとなくつかめてくるんです」
安井「渡瀬さんは秩父宮に照明を追加して、ナイターの試合まで実現させましたからね。確かに周りではいろんなことを言う人がいましたけど、大切なのはファンの人に喜んでもらうために、思い切っていろいろやってみることなんです。
例えばサンウルブズが設立された時には、どうしてあんなに外国人選手が多いのかという声もありましたが、そういう時代遅れの意見もだんだん収まっていった。実際問題、試合に勝った時の盛り上がりはすごかったですから。ファンの方にしてみれば、国籍なんてそんなに大きな問題にはならないんです」
唯一無二の盟友として
渡瀬「そういう改革を進めることができたのは、安井さんが背中を押してくださったからなんです。安井さんはサンウルブズへの愛情が強かったし、私が新しいことを仕掛けようとして各方面から反対された時にも、常に力強く励ましてくださった」
――安井社長は、ラグビー界を変えていくためのかけがえのない同志だったと。
渡瀬「ええ。こういう姿勢というのは、安井さんご自身の人生観を反映したものであると同時に、ヒト・コミュニケーションズという会社に流れる組織文化にもなってきた。それがまさに日本ラグビー界に必要なものでもあったんです」
安井「我々はベンチャーでしたからね。これが例えば日本を代表するような大企業だったら、あそこまでいろんなことは実現できなかったかもしれない。でも渡瀬さんやサンウルブズが目指していることとスピリットが、我々の企業カルチャーにうまい具合にマッチしたんです」
渡瀬「そもそもサンウルブズというのは、ラグビー界におけるベンチャー企業のようなものでしたから、すごく相性が良かったんです。日本ではスーパーラグビーという新たなスポーツが定着していくのに連れて、『ヒト・コミュニケーションズ・サンウルブズ』というフレーズが一つのセットとして浸透していくようになった。
サンウルブズのユニフォームは、チーム名の上に『人』という文字だけがある独特なデザインなんですが、あのユニフォームじゃないとしっくりこないというファンが増えてきて。新しいファンを開拓したことによって、サンウルブズ独特の応援文化もできてきましたし」
安井「試合を見ながら、ファンの方が『ワォーン』と狼の鳴き声を真似したりして。これも画期的なことですよね。そんなことをしたら、周りにいる人たちから即座に怒鳴られるというのが以前のラグビー界でしたから(笑)」
サンウルブズが残したもう一つのレガシー
安井「日本代表の強化につながったということと同様に、これもまたサンウルブズが残したレガシーであることは間違いないですね。簡単に言うとサンウルブズは、ファンの大切さを改めて教えてくれたんです」
渡瀬「私も同感です。従来のラグビー界では、ファンや一般の人に目を向けるというよりも、同業者やOB、自分たちの組織に関わる人間ばかりを意識していましたから」
安井「今は日本のスポーツ界全体が、ようやくスポーツビジネスとして成熟し始めた時代だと思うんです。だからプロ野球やサッカーに限らず、バスケットやバドミントン、あるいは卓球といった様々な競技も初めて真剣にファンに向き合うようになってきている。
その点でサンウルブズはラグビー界だけでなく、日本のスポーツ界全体に対して、これから進むべきヒントを与えてくれたような気がしますね。渡瀬さんの下でサンウルブズが新たな試みを始めた時には、私もスポーツ業界の様々な方から、是非ともノウハウを教えてほしいという依頼を数多く受けましたから」
最先端を走り続ける使命
――5年間に亘る挑戦、改めてどう振り返られますか?
渡瀬「新しいことにチャレンジしていかないと、進化のスピードは速まらない。その点、サンウルブズの5年間は、通常の何倍ものスピードで進化を遂げることができたように思います。もちろん、ここまで歩んでこられたのは安井さんのサポートがあればこそだと思いますが、今後はこの貴重な経験を、日本ラグビーに還元していければと思っています」
安井「渡瀬さんは球団経営でも手腕を発揮されたし、海外のチームや関係者とも渡り合いながら人脈を築いてこられた。だからこの知見を是非、来年スタートする新リーグや、いずれ実現するであろう、新たな形での海外参戦に存分に活かしてほしいですね」
――その際には、また渡瀬さんと安井社長がタッグを組まれる可能性も十分にあると。
渡瀬「今では、ヒト・コミュニケーションズさん=ラグビーというイメージが定着しましたが、安井さんには今後さらにスポーツに深く関わっていただきたいですね。
やはりスポーツは選手や関係者のためにだけあるわけではないし、いかに多くの方々にスポーツの楽しさや素晴らしさを体験してもらえる環境を提供するかが鍵になる。ヒト・コミュニケーションズさんは、そういう分野でも最先端を走られている会社ですから」