スポーツ庁が策定した第3期『スポーツ基本計画』において、成人の週1回以上のスポーツ実施率を70%とする目標が掲げられた。だが現状は52.0%と目標には遠く、特に女性は49.4%と男性から5ポイント以上も低いのが実情だ(令和5年度『スポーツの実施状況等に関する世論調査』(スポーツ庁))。
なぜ女性のスポーツ実施率は低いままなのか?いかにして女性のスポーツ参加を促進するのか?渋谷区が3月に開催した「スポーツアコード渋谷」で、元陸上競技選手で女子ハンマー投のオリンピアン、順天堂大学スポーツ健康科学部先任准教授の室伏由佳氏、同大学医学部、国際教養学部教授の田村好史氏らが語った。
オリンピアンが引退後に感じた「健康」の重要性
「引退後に強く思ったのは、心も身体も健康で、女性としてもいきいきと生きていきたいということです」
そう話すのは、女性スポーツの振興や課題解決に携わる室伏由佳氏だ。女子ハンマー投で日本歴代2位の記録を持ち、27歳で念願のアテネオリンピック(2004年)出場を果たしたが、順調に見えるキャリアとは裏腹に、深刻なけがや病気と闘い続ける日々を過ごした。
2005年、突如として急性腰痛症をひと月に1~2回頻発するようになり、病態の主因が不明のまま、時には歩けないほどの激痛に襲われた。椎間関節の変性が原因となる脊柱管狭窄症と判明したのは、それから7年近く経過した引退前年の2011年のこと。
さらには2009年、子宮内膜症で卵巣にできたチョコレート嚢胞が破裂しホルモン療法や腫瘍摘出術を経験したり、利き手である右肩の腋窩神経障害や胸郭出口症候群等も患い、時として日常生活もままならない状態のなか競技生活を続ける日々が何年も続いたりした。
そんな経験をしたからこそ、引退後に健康の大切さを広く啓発していきたいと考えた。
順天堂大学でスポーツ医学を専門にする田村好史氏が代表幹事を務める産官学組織「マイウェルボディ協議会」に、副代表幹事として参画し、女性のボディイメージと健康改善に取り組んでいる。同協議会は、内閣府のSIP(戦略的イノベーション創造プログラム)の社会実装プロジェクトの一環として2024年3月に発足し、「自分らしく心地よくあり続けられる健康な身体を、自らの意志で選択できる社会」の実現を目指している。
「やせていれば健康」は大間違い。助長しない社会が必要
両氏が今、特に注力しているのが日本人女性の「やせ」の問題だ。
「実は日本は先進国の中でもやせている女性の割合が最も高いのです」と室伏氏が話すように、20代の女性は約20%がBMI 18.5未満で「やせ」状況にある(『国民健康・栄養調査報告』(厚生労働省))。
室伏氏の調査によれば、ダイエット経験のある「やせ」型女性220名(18~29歳/平均身長158.8cm)が肥満だと感じる体重は51.83kgだったという。「まったく肥満の体重ではない」と同氏が言うように、適正体重より3kg以上も軽い数値で、日本人女性の「やせ願望の強さ」が表れた結果だ。
田村氏は、「やせている」「細い」を褒め言葉にする危うさを指摘する。そうした言葉の一つ一つが「やせているのは良いこと」「やせている方が美しい」という固定観念を生み出し、「知らない間にやせたい気持ちになってしまう社会」を創り出しているという。
また同氏は、自身の研究で明らかになった「やせ」のリスクについて、「肥満の人が糖尿病になりやすいのは知られていますが、やせている人も糖尿病になりやすいことはほとんど知られていない」と説明する。
やせ型の女性は標準体重の女性に比べて食事量も運動量も少ない「エネルギー低回転型」であることが多い。人間の身体の中で糖をためる最も大きなタンクである筋肉量が少ない場合、糖の取り込みが低下し、結果として耐糖能異常(糖尿病予備群)となる可能性が高まるというわけだ。
「(健康状態が)見た目で判断できないというのは、いまや代謝学の常識です。やせていれば健康というわけではなく、しっかり食べて運動することで、エネルギーを回していく『エネルギー高回転型』に転換していくことが重要です」(田村氏)
女性の「運動嫌い」をなくすために
「エネルギー高回転型」への転換に大事になるのが運動習慣だ。現在、女性のスポーツ実施率(週1回以上)は49.4%と低く、スポーツ実施率の向上が大きな課題となっている。
運動・スポーツを実施できなかった女性が、「面倒くさいから」(43.2%)、「仕事や家事が忙しいから」(41.6%)をその理由に挙げている中、見逃せないのは、「運動・スポーツが嫌いだから」が24.2%を占めている点だ。男性の10.2%を大きく上回る数値で、女性のスポーツ実施率向上の大きな壁となっている。(令和5年度『スポーツ実施状況等に関する世論調査』(スポーツ庁))
実は、女性の運動嫌い・運動離れは、10代から始まっている。平成27年度『体力・運動能力調査』(スポーツ庁)によれば、女性の運動実施率は男性よりも早い小学5年生(10歳)でピークを迎え、中学期で男女差が大きく開き、高校期で大幅に下落する。
女子は一見すると小学期高学年から中学期にかけて横ばいで推移しているように思えるが、実態は異なる。1週間の総運動時間が60分未満である割合が、小学5年生の16.2%から中学2年生の25.1%へと大幅に増加し(令和5年度『全国体力・運動能力、運動習慣等調査』(スポーツ庁))、運動するグループと運動しないグループで「二極化」しているのだ。運動・スポーツを「嫌い」「やや嫌い」と回答した中学2年生の女子は23.6%で、男子の10.8%を大きく凌駕している。
現状、運動部活動はどちらかといえば競技力の向上や大会での勝利を志向しており、その点が女子の運動嫌い、運動離れを生み出す要因だとも考えられる。田村氏が「競技スポーツではない部活動があってもいい」と話すように、生徒の多様なニーズ、潜在的なニーズに対応できる部活動が求められている。
キーワードは「ゆる部活」だ。
例えば大泉学園中学校(東京都練馬区)の「レクリエーション部」では、週2回1時間程度、その時その時で球技などいろいろな種目の運動を行い、楽しんで身体を動かしている。部員数は110人(全校生徒468人)で、文化部と兼部したり、他のスポーツや習い事と両立したりしている生徒も多いという。
現在の部活動は教員主導で行われていることが多いが、室伏氏は「私たち大人が“こうした方がいい”と言っても、彼女たちには彼女たちの“できない理由”がある」と寄り添う。だからこそ、「どうすれば運動できるのか、運動したくなるのか、当事者である若い人たちと一緒に考えていくことが大事になる」(室伏氏)。
渋谷区は「思わず身体を動かしたくなる街」へ
「スポーツアコード渋谷」は、渋谷区内のスポーツ振興団体、⺠間事業者、トップスポーツチーム、アスリート、地域関連団体など、政策の実現に携わるスポーツ関係者が⼀堂に会し、区のスポーツ振興に関する情報共有や共通認識を図る場として実施されている。
第3回となる今年度は、「⼥性のスポーツ実施率向上」をテーマに開催された。
渋谷区では、スポーツが人々の日常生活の一部になり、誰もが楽しみながら健康を保つことができるよう、渋谷区を「15㎢の運動場」と捉え、日常的な運動も、楽しみで行うスポーツも、全てが暮らしに溶け込むようなまちづくりを進めている。
2025年度は、部活動の地域移行・地域展開に向けた更なる拡大、区内のプロスポーツチームとの連携強化によるスポーツ観戦事業の実施、そして既存の部活動にはないアクティビティも推進する。
また、部活動改革プロジェクトの一環として実施する「渋谷ユナイテッドクラブ」も拡大する。現在、区内在住の中学生を対象としてボウリング、ボッチャ、eスポーツ、将棋、料理などを展開しているが、五輪種目にもなったスケートボードやブレイキンなどを含むストリートスポーツと、アニメ・声優が新設される。対象年齢の幅も広げる予定だ。
さらに、今後、人気必至のピックルボールの普及・啓発も行う。ピックルボールはネットを挟んで打ち合うラケットスポーツのひとつで、渋谷区と姉妹都市提携を結ぶホノルル市のあるハワイで大人気のスポーツ。性別、年齢、体力を問わず誰でも楽しめるとあって、女性のスポーツ実施率向上にも寄与すると期待されている。
スポーツの語源といわれるラテン語の「deportare(デポルターレ)」は、「気晴らし」「発散」「遊び」といった意味を持つ。渋谷区長の長谷部健氏は、この日、会の冒頭でそう紹介した。
「例えばカラオケもスポーツと捉えて、渋谷区で『のど自慢大会』を実施してもいいかもしれません。スポーツを“広義の意味”で捉えて、スポーツ振興に取り組んでいきたいと考えています」(長谷部区長)
スポーツを通じた健康増進、健康寿命の延伸は、日本が抱える喫緊の社会課題の一つだ。全国各地の自治体、そして私たち一人一人にとって、決して他人事ではない。
渋谷、恵比寿といった繁華街をもちながら、約24万人の住民が暮らす街でもある渋谷区。「思わず身体を動かしたくなる街」の実現に向け、これからもその取り組みに注目が集まる。
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