実業団の「トヨタ自動車アルバルク」から、プロクラブの「アルバルク東京」へ。日本独特の“実業団文化”で歴史を重ねてきたバスケットボールがプロ化したことで、クラブは経営のプロ化という課題に直面した。日本有数の大企業トヨタ自動車の傘下から独立したアルバルク東京では、どのような変化があったのか?Bリーグで5年目を迎えたクラブで、人事・採用面でのこれまでの取り組みを林邦彦社長に聞いた。
前回:5年目のアルバルク東京。クラブ経営の「改革」を経て挑む新シーズン
立ち上げ期は経験値のある人材を優先
アルバルク東京の運営会社である「トヨタアルバルク東京株式会社」は、Bリーグ開幕と同時に11名の社員で新たなスタートを切った。
「社員はトヨタや三井物産からきたスポーツに関わったことのない“素人”と、スポーツビジネスの経験のあったメンバーで構成されていました。何かしらプロクラブで働いたことのある人たちの経験値は、とても貴重でしたね」(林氏)
代表取締役社長に就任した林邦彦氏は、同志社大学を卒業後に入社した三井物産で木材・建材の国内販売、輸出入や不動産開発事業、フランチャイズビジネスを手がけてきた。ドイツ、ベトナムに駐在した後、子会社の三井物産フォーサイトに出向して広島東洋カープ、中日ドラゴンズのスポンサーシップ・マーケティングに携わる。
プロ野球との関わりはあったが、クラブ経営、ましてやバスケットボールという競技自体にはまったく関わりがない中でのスタートだった。
「設立当初は人事制度すらない会社でした。1年目に会社の規定を作り、2年目にかかるくらいのときに人事制度を作りました。これから5年目のシーズンを迎えますが、人事については、まだまだ基盤構築の段階、畑を耕すような状態です。畑にこれから肥料を入れて、どんなものを植えていくのか、どうやって育てていくのかというのは、これからというところです」(林氏)
まだまだ基盤造りの過程にあるアルバルク東京では、フロントスタッフも少数精鋭、それぞれが自分に与えられた仕事をきっちりこなす能力が求められる。
「1年目、2年目は『発信すること』が重要という考えがあったので、広報と営業系の人材を中心に探していました。求めていたのは、仕事を自己完結できる人材。経験値といっても、スポーツ、クラブ運営、ビジネスのすべてを経験している必要はありません。公募しているわけではなかったので、どうしても同じ業界から人材をという形が多くなっていましたが、自己完結できる経験値と能力さえあれば、他の業界、業種からの転職でもまったく問題ないと思っています」(林氏)
バスケット愛ゆえのサービス残業がスポーツビジネスを蝕む
ビジネス感覚のある人材の不足は、日本のスポーツ界全体が抱える問題だが、林氏の求める経験値や自己完結できる能力は、いわゆる“スポーツ村”の中だけではなかなか生まれてこない。
「人材に関していえば、それぞれの強みを生かしてくれればいいと思うのですが、『バスケットが好きです!なんとかやりきります!』という方は、逆に難しいと思っています」(林氏)
スポーツへの情熱、バスケットボール愛は否定する要素ではないが、そのために「なんでもやる」「サービス残業も厭わず」という人材を採用することは、クラブにとっても本人にとっても逆効果だと林氏はいう。
「当たり前ですが、寝ないでがんばるみたいな“学芸会ノリ”“文化祭ノリ”では、クラブ運営は成り立ちません。自分の持っている経験値、体力や労働力を提供して対価を得るのが『仕事』です。現場でとにかくやります!というのはプロではないですよね。若くて意欲のある人にはプロとして『仕事』で活躍してほしいと思っています」(林氏)
林氏は、「なんでもやります」「がんばります」という姿勢は、ビジネスの効率化という観点からはマイナスに働いてしまう可能性があるとも指摘する。
「盲目的に仕事をすると、工夫がなくなってしまいます。ラクをしようとするからこそ、効率を上げようといろいろ考えるわけですよね。でも『好き』が強くなってしまうと、過剰なタスクでも長時間に渡ってやりきろうとしてしまう。ある意味、仕事に自らが『聖域』を作って、無意識に生産性を上げる努力を放棄してしまってると思います」(林氏)
ビジネスの現場では「働き方改革」が叫ばれ、かつてのように長時間労働や滅私奉公的な働きを称賛するのではなく、真に生産性の高い働き方を追求し、そこから導き出される成果を評価するようになっている。これは、スポーツビジネスにおいても、当然ながら求められることだ。
「めいっぱい働いて、空いている時間に趣味をしたり遊んだりするのではなく、あくまで自分の人生の中で、仕事とプライベートを両立させる働き方をするべきだと思うんです。どんなに高性能なクルマだって、アクセルをベタ踏みし続ければオーバーヒートしてしまいます。次にパワーを出すために、休むことも重要なんです。『クールヘッド・ウォームハート』で取り組むのが一番ですね」(林氏)
正当な対価は、給与以外のベネフィットでも得られる
スポーツビジネス業界は、一般的な企業に比べて給与水準が低いともいわれている。
「一つの会社で一生を終えるような時代ではなくなりつつありますが、会社側が一生勤められないような賃金体系で若い人を雇うのはおかしいと思うんです。スポーツ界に限らず、世間の給与水準からも低く、将来的に給料が上がる期待のもてないところで、若い人にがんばってやってみろとはいえませんよね」(林氏)
仕事に対する報酬は、当然ながら給与などの金銭的なものが主体だが、それ以外にも福利厚生などを含めた「フリンジベネフィット」と呼ばれるものもある。それらを総合して、安心して働ける環境を提供することこそ、企業の責務でもある。
「私が会社として提供しなければならない最も重要なことは『職場の雰囲気』です。アルバルクでは、きちんと人事制度を作り、会社の規則を作り、安心して働ける環境を整えています。また、トヨタの厚生施設が使えたりすることも、大きなフリンジベネフィットといえるでしょう。それらにも増して、風通しのいい、『今日もここで働けてよかった』と思える職場の雰囲気こそが重要です」(林氏)
健全なクラブ運営のためにも、フリンジベネフィットが重要
目に見えないベネフィットについても考えていくというのが、林氏のポリシーでもある。スポーツクラブというと、どうしても選手の待遇を最優先に考えてしまいがちだが、現代スポーツは、いわゆる裏方の尽力なしには成立しない。
いまや、スポーツ界はデータや科学的な分析が進んで、選手ががむしゃらに努力するだけでは高いパフォーマンスを発揮することはできない。裏方が綿密にプランニングしたトレーニングをこなし、詳細に分析したプランに基づいてプレーすることが当たり前になっている。
「選手が活躍できる環境を作るのは、スタッフです。コーチやトレーナーだけでなく、事務方などのフロントを含め、多くのスタッフが選手を支えてこそ、お客様に魅力的なプレーをお見せすることができます。チーム側とフロント側の交流がないチームもあると聞きますが、アルバルクでは事務方のフロントスタッフ全員の顔を選手は知っています。選手が現役で活躍できる期間は本当に短いので、スタッフに比べて報酬が高くなるのは当然ですが、両者がいてこそのプロスポーツクラブなのです」(林氏)
2017-18、2018-19とBリーグを2連覇したアルバルク東京だが、事業規模、運営会社の人員では、同じBリーグの大規模クラブと比べて半分程度に収まっている。これまでの基盤づくりの期間を経て、2020年以降は新たなフェーズを迎えようとしている。
「ようやく基盤が整ったので、これからは必要とする人材の質も変わってくると思っています。B リーグが今後どこまで成長するかはこれからの課題ですが、我々は長く成長し続ける前提でクラブを運営しています。そうなると、次代を担う若い人たちを定期的に採用していかなければなりません。クラブ運営を『仕事』としてがんばれる人、一緒に成長していける人材はこれからもっと必要になってくると思います」(林氏)
クラブの勝利、優勝という結果を残しつつ、着実にプロスポーツクラブとしての事業成長を続けるアルバルク東京。林社長のいう「仕事」を全うできる人材が育ち、クラブが各種のベネフィットを総合的に提供できるようになれば、日本のスポーツ界の働き方改革は、その歩みを進めるかもしれない。
次回はプロスポーツクラブの「経営」を深堀するため、引き続き林社長に伺っていく。
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