スポーツビジネスサミット(SBS)が「スポーツを通した地方活性化」をテーマに初開催されたのが2018年9月。その1年後となる今年9月には、サッカー・ベルギーリーグ1部のシント=トロイデンVV(STVV)の協力により、ベルギーの「地方都市」ともいえるシント=トロイデンでSBS欧州が実現した。現地密着したHALF TIMEでは、連載1回目としてSTVV 立石敬之CEOの講演の模様をレポートする。
目指すは安定経営 後押しとなったベルギーリーグの制度設計
日本のインターネット企業DMM.comがサッカー・ベルギーリーグ1部のシント=トロイデンVV(STVV)を買収したのは2017年11月。遡るとその発端は、当時FC東京GM、後にSTVVのCEOを務めることとなる立石敬之氏が、サッカー仲間と居酒屋で「日本代表の強化をどうしよう」と熱く語り合ったことだった。
サッカーの本場・欧州に日本人が運営するサッカークラブを作って、そこで選手のみならず、指導者・クラブ運営の人材を育ててはどうか――。こんな居酒屋談義が人づてに色々な人に届き、やがてDMM.comの正式な投資案件となったのだ。
白羽の矢が立ったのはベルギーだった。欧州連合(EU)本部を首都ブリュッセルに持つベルギーは、地理的にも政治的にもヨーロッパの中心に位置するが、国土そのものは九州程度と小さく、人口も約1,140万人に過ぎない。しかし、サッカーの世界ではFIFA(国際サッカー連盟)ランキング1位に立つ大国である。
そんなベルギーの国内リーグをリサーチした結果、DMM.comは、ベルギー1部リーグでは、全16チーム中、1チームしか2部リーグに降格しないという事実に特に魅力を感じるようになった。
「実はこれ(昇降格の制度設計)が、DMM.comが(ベルギーリーグのクラブを)買収した大きな理由です」(立石氏)
多くの国のリーグでは、毎年3チームから4チームが1部と2部の間を行き来することになる。確かにシーズン終盤のドラマを盛り上げるという意味では有用でも、プロサッカークラブを経営する側にとって、2部降格は大きなリスクとなり得る。しかし、ベルギーリーグは最下位にでもならない限り、翌シーズンも1部リーグで戦うことができるため、リスクを抑えながら、投資を行うことができた。
「ベルギーリーグは自分たちの立ち位置が分かっているんですよね」と立石氏。
ベルギーリーグは、若手タレントの育成リーグとしても知られている。国が小さく、マーケットも小さなベルギーでは、どうしてもチケット販売収入やスポンサー収入に限界があるため、自分たちで育てた選手をビッグクラブに売却して収益をあげる「移籍金ビジネス」でクラブを運営していく傾向が強い。また、ドイツ、オランダ、フランスと国境を接しており、ドーバー海峡の向こう側には英国もあるなど、常に外国クラブのスカウトが目を光らせている。
このような特徴を国も理解しているため、21歳以下の選手の所得税はクラブに還付されるという税法上の優遇措置が定められている。降格が年間1チームしかないことは、実際の試合で若手選手を起用する機会を増やすことにもつながるのだ。
冨安健洋のストーリーが示唆する、大きな可能性
DMM.comは2017年11月にSTVVの99.9%の株式を取得し経営権を掌握、続いて2018年1月には、FC東京でGMを務めていた立石氏がSTVVのCEOに就任することになった。これと同時に、STVVは日本人選手一期生とも呼ぶべき冨安健洋を、アビスパ福岡から獲得している。
立石氏の「日本代表を強くしたい」という居酒屋談義が、DMM.comのSTVV買収プロジェクトにつながった以上、日本人選手を育成し、日本代表の強化につなげていくことはDMM.comとSTVVの使命である。
日本代表の強化ポイントはゴールキーパー、センターバック、ストライカーの3ポジションであることは明らかだった。そこでまず立石氏はSTVVでセンターバックの冨安を育てて、2020年の東京オリンピックに参加するU−23代表チームの中心選手として活躍させてから、フル代表にステップアップさせるプランを描いていた。
ところが、マルク・ブライス監督との巡り合いによって、冨安は2018/2019シーズンにまたたく間にベルギーリーグを代表するセンターバックに成長し、A代表の中心選手にまで上り詰めた。この間に冨安は欧州の移籍市場でも高い評価を受けるようになり、2019年7月にボローニャ(イタリア)へとステップアップしていった。
選手育成の次に求められる、重要な要素とは
冨安のサクセスストーリーには、立石氏が今回の講演で話したエッセンスが詰まっていた。
ベルギーリーグは降格のリスクが低いため、マルク・ブライス監督も冨安のような経験のない若手を、守備の要であるセンターバックで抜擢することに躊躇しなかった。すると冨安の活躍はすぐに欧州中に広まり、争奪戦が始まる。STVVが冨安の獲得に要した移籍金は80万ユーロ(約9,600万円)と推定されるが、1年半後には、700万ユーロ(約8億4,000万円/推定)の収入をSTVVにもたらすことになった。
これはベルギーリーグが、ステップアップを目指す選手にとってはもとより、移籍ビジネスを通じて経営を拡大しようとするクラブ側にとっても、理想的な環境であることを改めて証明したといえる。
従って、冨安が“卒業”した今季、STVVがゴールキーパーのシュミット・ダニエル(前仙台)と、ストライカーの鈴木優磨(前鹿島)を獲得したのは、決して偶然ではない。
ヨーロッパで一度躓いた日本人選手に、再チャレンジの場を与えるのもSTVVの特徴だ。鎌田大地(現フランクフルト)と関根大貴(現浦和)の2人はドイツ・ブンデスリーガの高い壁に阻まれたが、STVVで再起にかけることになった。ゴールゲッターとして大活躍をした鎌田と比べると、関根は怪我に泣かされシーズン終盤しか思うようなプレーができなかった。両者の明暗は分かれたが、共に成長したのは、移籍先での現在の活躍ぶりを見れば明らかだ。そして現在はHSV(ドイツ2部)で出場機会を減らした伊藤達哉が復活に燃えている。
しかし、選手だけを育てても、日本サッカーは強くならない。立石氏は、「ワールドカップで優勝した国は、すべてその国の指導者が監督を務めていたんです」とも話す。
今や日本人選手がヨーロッパでプレーすることは珍しいことではなくなった。しかしトップリーグの監督を、日本人指導者が務めた例はない。トレーナーやデータ分析なども、これから日本人が活躍してもおかしくない分野だ。
また、経営、事業運営、営業といったビジネス分野でも、世界のサッカー界で通用する人材が出てくることが望まれる。こうしたピッチ外の人材育成ができることこそ、DMM.comがSTVVを経営するメリットだろう。立石氏は「日本人の挑戦の場としてSTVVを使ってください」とも述べた。
2つのアイデンティティーをいかに両立させていくか
2017年11月にDMM.com傘下に入ったSTVVにとっては、2018/2019シーズンが実質的に最初のシーズンとなった。立石氏は当時を振り返る。
「去年の今頃は、誰もがSTVVを最下位に予想していた。『日本人がサッカークラブを経営して何がわかるんだ。絶対に2部リーグに落ちるだろう』と。それがレギュラーシーズンで7位になり、最後の最後まで『プレーオフ1(上位6チームによる優勝を争うプレーオフ)』進出争いをした。これはベルギーリーグで大きなサプライズだった」
ベルギーリーグの関係者が、欧州サッカー界で自分たちが置かれた立ち位置を理解しているように、人口わずか4万人のシント=トロイデンを本拠地とするSTVVのサポーターも、「優勝しろ」などとは絶対に言わない。だが、「勝てば喜び、負ければ悲しみ、負けが続けば批判される」(立石氏)というプロサッカー界の掟は、このクラブも避けて通れない。
また立石氏は、自らが掲げる「日本代表の強化」というミッションと同時に、地元選手の育成も図っていかなければならない状況も理解する。
「STVVはシント=トロイデンという町のもの。私たちはSTVVを買収したとは言え、間借りしているわけです。だから私たちは、勝てば喜び、負ければ悲しむ地元のファンが感情移入できるようなチームを作っていかなければならない。
今、STVVには外国人選手がたくさんいますが、地元の選手もユースから育てようと、育成にも一生懸命力を入れています。ヨーロッパでは育成スタッフは基本的にパートタイムなんですが、STVVはフルタイムの条件で働いてもらってます。育成の指導者をフルタイムで雇っているのは、ベルギーではアンデルレヒトとSTVVだけです」
欧州各地で外国資本のサッカークラブが生まれている。そこには色々な思惑があり、STVVも日本代表の強化という理念を持つ。だがサッカークラブにとっては、地元との絆が何よりも大事になる。この2つのアイデンティティーをいかに両立させていくかが、立石氏にとって最大の課題になっていくと思われる。
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次回のSBS欧州・現地密着レポートでは、STVVの立石敬之CEOと飯塚晃央CFO(最高財務責任者)を交えて繰り広げられた、パネルディスカッションの模様をお届けする。
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