Jリーグの発足時の選手やサッカーの歴史について知りたい方は必見です。
Jリーグを観戦しているファンのなかには、これまでにどのような流れで発展してきたのか知りたい方もいらっしゃるのではないでしょうか。
本記事では、Jリーグ発足時のオリジナル10や歴代の最多優勝クラブなどについて解説しています。
ぜひ、最後までご覧ください。
【Jリーグ発足】Jリーグの歴史について
サッカーのJリーグが誕生したのは1993年のことです。この時にJリーグに参加したのは、10チームであり、これらのチームは「オリジナル10」と呼ばれています。
Jリーグに参加するチーム数は年々増え、1993年発足時に10チームであったチーム数は1998年には18チームになり、1999年にはJ1・J2の2部制となりました。
その後、2004年にJ3が創設され、J1・J2・J3の3部制となっています。
年間の成績に応じてJ1・J2・J3の入れ替えがあるため、それぞれに所属するチームは毎年変わる仕組みです。
Jリーグが開幕した1993年と翌年の1994年は、延長VゴールとPK戦方式で勝敗を決めていました。決着をつけて終わることで、ファンを惹きつけるという狙いがあったのです。
1993年と1994年の勝ち点制度は、90分の試合時間内で勝利しても 、延長戦やPK戦での勝利でも、同じ1点とされていました。
1995年からは、勝利が3ポイント、PK 勝利が1ポイントとする制度が導入されます。そして、1997年にはPK戦が廃止され、勝ち点制度は90分での勝利が3点、延長戦での勝利が2点、引き分けた場合は1点となりました。
2003年には延長戦が廃止され、勝利した時の勝ち点が3点で、引き分けの際の勝ち点は1点という現在の形になっています。
オリジナル10とは?
前述した通り 、Jリーグ発足時に所属していた10チームを「オリジナル10」と呼びます。
「オリジナル10」は
- 鹿島アントラーズ
- ジェフユナイテッド市原
- 浦和レッドダイヤモンズ
- ヴェルディ川崎
- 横浜マリノス
- 横浜フリューゲルス
- 清水エスパルス
- 名古屋グランパスエイト
- ガンバ大阪
- サンフレッチェ広島
の10チームです。
10チームがどのように選ばれたのか、その選定過程についてみてきましょう。
各チームの選手たち
Jリーグが発足した当時、オリジナル10には多くの実力ある選手がいました。
ここでは、Jリーグ発足当時の選手のなかでも、とくに有名な4人の選手を紹介します。
三浦 知良
三浦知良選手は、Jリーグ発足時から2021年現在まで、J-リーグ最年長選手として現役でプレーしているサッカー選手です。
「カズ」の愛称で親しまれ、ゴール後の「カズダンス」も有名。1982年に高校を中退し単身でブラジルに留学。現地でプロサッカー選手として活躍しました。
帰国後は、Jリーグが発足して初のリーグ戦でMVPを獲得するなど、日本を代表するサッカー選手です。
出身地 | 静岡県 |
生年月日 | 1967年2月26日 |
Jリーグ発足当時の所属チーム | ヴェルディ川崎 |
ポジション | フォワード |
ジーコ
ジーコ(本名:アルトゥール・アントゥネス・コインブラ・ジュニオール)選手は、元ブラジル代表として活躍していたサッカー選手です。
代表引退後、1からJリーグを発足するという話に魅力を感じ、鹿島アントラーズからのオファーを受けて来日を果たしました。
2021年現在も、鹿島アントラーズのテクニカルディレクターとしてJ-リーグに携わっています。
出身地 | ブラジル |
生年月日 | 1953年3月3日 |
Jリーグ発足当時の所属チーム | 鹿島アントラーズ |
ポジション | ミッドフィールダー |
武田 修宏
武田修宏選手は、日本代表にも選出されたサッカー選手です。
Jリーグでは通算94ゴールを決めており、高い得点力が持ち味。現在では、サッカー解説者をはじめタレントとして幅広い分野で活躍されています。
出身地 | 静岡県 |
生年月日 | 1967年5月10日 |
Jリーグ発足当時の所属チーム | ヴェルディ川崎 |
ポジション | フォワード |
森保 一
森保一選手といえば、2021年現在の日本代表の監督として活躍するサッカー選手です。
現役時代には日本代表にも選出されており、ボランチとしての活躍が注目されました。
2018年に日本代表の監督となってからは、日本代表を勝利に導く心強い監督です。
出身地 | 長崎県 |
生年月日 | 1968年8月23日 |
Jリーグ発足当時の所属チーム | サンフレッチェ広島 |
ポジション | ミッドフィールダー |
オリジナル10の選定過程
Jリーグ発足時のチームである「オリジナル10」には、参加要件が設けられていました。
その参加要件は
- 法人であること
- ホームタウンが確立されていること
- 15,000人以上収容可能なナイター設備付きの球技場が確保されていること
- 下部組織が運営されていること
- 18人のプロ選手と契約していること
などです。
当時、サッカーチームの大半は企業の傘下だったため、かなり高いハードルと思われました。
Jリーグ発足時のチーム数は10と紹介しましたが、参加希望を表明したのは20の団体です。
ここから、当初の予定では8チームに絞る予定でしたが、バブルによる好景気や社会貢献ブームによって加入を希望する団体が多かったため、8チームから10チームにチーム数が増やされています。
最初の選考では、地域のバランスや実力などを考慮し、古河電気(ジェフユナイテッド千葉)、読売クラブ(ヴェルディ川崎)、日産自動車(横浜マリノス)、松下電器(ガンバ大阪)、トヨタ自動車(名古屋グランパス)、全日空(横浜フリューゲルス)、三菱(浦和レッズ)、マツダ(サンフレッチェ広島)の8つのクラブが内定を得ました。
そして、残り2つの枠を、清水市民クラブ、ヤマハ、ヤンマー、日立製作所、フジタ、住友金属の6つのクラブで争うことになったのです。
残り2枠のうちの1枠に決まったのが、高校総体サッカー競技場の日本平運動公園球技場を所持していた清水(清水エスパルス)です。
残り1枠は、天皇杯優勝経験のあるヤマハ、ヤンマー、日立、フジタで争われました。
その結果、「観客席に屋根の付いた1万5000人収容のサッカー専用競技場を建設すること」という条件をクリアした住友金属が最後の1枠を手にしました。(現:鹿島アントラーズ)
このように、オリジナル10の決定にはかなりの紆余曲折がありましたが、加入を逃したヤマハや日立、フジタは1995年までに Jリーグに参入しています。
歴代の最多優勝クラブ
Jリーグのオリジナル10のなかで、もっとも優勝しているクラブは鹿島アントラーズ。Jリーグ発足から2021年現在までに、J1優勝を8回も成し遂げています。
2番目に多く優勝しているクラブは、横浜F・マリノスで4回。では、鹿島アントラーズが、なぜこれほど優勝できるのでしょうか。
鹿島アントラーズの強さの秘訣は、チーム環境が要因ではないかと言われています。
鹿島アントラーズの強み
鹿島アントラーズが、なぜこれほど優勝できるのでしょうか。
1つは、元日本代表の監督を勤めたジーコ氏の存在であり、もう1つは地域に根ざすといった方針が強さの要因ではないでしょうか。
ジーコの存在
ジーコ氏は、引退後に日本で復帰をするといったエピソードがあります。彼は、ブラジル時代に所属していた強豪クラブで、未だ破られていない得点記録を持つ選手でした。
そんな人物が日本で所属したチームは、当時2部の位置にいた鹿島だったということで、世間に驚きを与えました。
ジーコ氏は、鹿島のクラブで常にサッカーに対するマインドを説き、チームの方針や雰囲気を作っていきました。特に「勝者のメンタル」を植え付け、常に勝ち続けるということ、優勝を義務付けられているという考えは、現在でもこのチームに根付いています。
また、ジーコ氏は、2021年現在でも鹿島アントラーズのテクニカルディレクターを勤め、チームの運営に尽力しています。
地域に根ざした経営方針
もう1つの要因である、鹿島アントラーズの地域に根ざした経営方針ですが、それはJリーグ発足時からの深い背景があります。
もともと、拠点を構える茨城県鹿島市(当時は鹿島町)は人口が約6.7万人でした。そして、運営にあたっての収入の柱であるチケット収入などは、首都圏にホームを置くクラブと比較すると、相当なハンデがありました。
一般的に、サッカーのマーケットは半径30㎞圏内が商圏とされ、東京や埼玉などの大都市圏は2,000万人規模の商圏人口ですが、鹿島の場合は78万人と圧倒的に不利です。
しかしながら、商圏人口が首都圏と比べて劣る鹿島アントラーズは地域に根ざした取り組みをいち早く実施し、ファンクラブ制度や複数のホームタウンの運営など経営を工夫。そのうえ、地域との繋がりだけでなく、観戦客を呼び込むには首都圏や他の地域から来てもらい収益を上げることが重要です。
そのためにも、チームが試合にも負けられない方針になり、勝ちにこだわります。勝ち続けることで注目を集め、より良い選手が入団したいと思われるチームになり(事実、欧州で活躍している選手を多数輩出しています)結果、よいチームができるといった好循環を作り出せているのではないでしょうか。
オリジナル10のうち、J2に降格してしまったチームは?
オリジナル10のうち、 J2に降格経験があるのは
- ジェフユナイテッド市原
- 浦和レッズ
- ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)
- 清水エスパルス
- 名古屋グランパス
- ガンバ大阪
- サンフレッチェ広島
の7チームです。
どのチームも、強豪チームとしても、Jリーグ上位の常連チームとしても有名ですが、 J2に降格してしまった経験もあるのです。
オリジナル10の中でいまだ降格なしのチームはあるのか?
オリジナル10の中で、降格なしのチームは横浜F・マリノスと鹿島アントラーズの2チームです。
横浜 F マリノスは、フリューゲルスと横浜マリノスが合併して出来たチームなので、創設から降格がないチームは、鹿島アントラーズだけです。
まとめ
発足時、10チームだったJリーグですが、今では54チームが所属し、J1・J2・J3の3部リーグになっています。
Jリーグに加入するためには、様々な基準が設けられているため、それをクリア するために、各チームは様々な工夫を凝らしています。
「オリジナル10」と呼ばれる発足時のチームで残っているのは9チームですが、その9チームは現在でも人気を誇っています。
Jリーグの歴史を知り、発足時のチームの活躍に注目しながら観戦すると、新たな楽しみ方ができそうです。
(TOP写真提供 = mooinblack / Shutterstock.com)
《参考記事一覧》
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