「ランパード、チェルシー復帰」の衝撃③ レジェンドの監督起用がもたらす、次代へのマーケティング効果

外国人監督を次から次へと更迭するクラブから、レジェンド選手を軸にした、新たな指導体制の構築へ。フランク・ランパードの監督就任は、チェルシーというクラブの組織文化が変化し始めたことを示唆する。連載の第3回は、今回の監督人事がプレミアリーグ全体のマーケティングに及ぼす影響について、20年以上にわたってイングランドサッカーを取材し、多数の書籍も手がけてきた田邊雅之氏が概観する。

前回コラム:「ランパード、チェルシー復帰」の衝撃② 昨シーズンから顕著になったプレミアリーグのトレンドと、チェルシーの危険な賭け

プレミアリーグを世界一の繁栄に導いた要因と、ビジネスモデル

フランク・ランパード自身にとってもチェルシーというクラブにとっても、今回の監督就任は少なからぬリスクを孕んでいる。だが万が一、当初の成績が振るわなかったとしても、クラブの役員会がランパード政権をしっかりと支えていけば、得られるものは計り知れないほど大きい。プレミアリーグのビジネスモデルや収益構造、エンターテイメントとしての商品性を、スケールアップさせる可能性を秘めているからだ。

そもそもプレミアリーグは、テレビ放送を最初から意識して設立された、世界初のプロリーグである。

しかもフーリガンが徹底的に排除されたこと、老朽化したスタジアムで火災事故などが相次いだため、近代的なスタジアムの建設や整備が義務付けられたこと、イングランドのサッカー自体、テンポが非常に速くスペクタクルに富んでいたこと、90年代後半からは、サッカー自体が世界的なレベルで巨大なブームになったこと、そしてデビッド・ベッカムをはじめとするスター選手が登場したことなどが追い風となって、プレミアリーグの人気は爆発。

放映権料は天文学的なレベルにまで上昇し、この分配金に預かった各クラブが世界中から高名な選手や監督をかき集め、人気が一層高まっていく好循環が生まれた。

ランパード対ジェラード。監督に転身したレジェンド対決が実現する日

であるが故にこそ、ランパードの監督就任は意義を持つ。

かつて絶大な人気を誇った選手が、監督やコーチとして有名クラブの指揮を執り始めれば、プレミアリーグは、グローバルなレベルでもエンターテイメントとしての商品性を高めていくことができる。しばらくは実現しないにせよ、仮にジェラードがリバプールの監督に就任し、チェルシーを率いるランパードと監督同士としてしのぎを削るような日が訪れれば、それだけで注目を集めるのは間違いない。

しかもランパードやジェラードなどは、2000年代以降にブリテン島に渡ってきた外国人監督、ジョゼ・モウリーニョやラファエル・ベニテスなどの「新世代監督」から薫陶を受けた、「新・新世代監督」に該当する。当然、戦術的な素養も従来のイングランド人監督よりも高いため、長期的にはプレミアリーグで展開されるサッカーのレベルアップに貢献していくことも可能だろう。

プレミアリーグが手にする「ファン・エンゲージメント」のツール

一方、ランパードなどの監督起用は、プレミアリーグのビジネスモデルが、さらに拡大するために不可欠なツールも提供する。

今日のサッカービジネスでは、「ファン・エンゲージメント(ファンとの精神的な結び付き)」がこれまで以上に重視されるようになってきた。このファン・エンゲージメントを醸成していく上では、クラブの歴史や伝統、独自の文化といった要素が大切な役割を担う。

たしかにサッカーの世界では試合結果がすべてだが、このような無形の「価値」はブランドの独自性(クラブのアイデンティティ)を担保し、競合クラブとの差別化を計る上で有用なツールとなる。ランパードの監督就任が、旧世代のファンにクラブとの一体感を醸成したり、最近サッカーに関心を示さなくなった層を再び惹きつける上で直接的な効果を果たしたりすることは、誰でも簡単にイメージできるのではないだろうか。

プレミアリーグに限らず、世界各国の名だたるクラブが、いずれも歴史や伝統を謳い、様々なロマンやドラマを演出しようとする所以だ。

地域との「絆」から生まれる、新たなバリューとビジネスチャンス

かつてクラブで活躍した選手が指導者として復帰するシナリオは、地域コミュニティとの絆という価値(アイデンティティ)の創出にもつながる。

例えば最近のプレミアリーグでは、ビッグクラブがこぞってユースの育成に力を入れてきた。チェルシー然り、マンチェスター・シティ然りだが、これは具体的な人材の発掘や育成を目指すと同時に、地元密着型のイメージをアピールするための方策でもある。

近年、欧州のサッカービジネスは目覚ましい発展を遂げてきたが、いみじくも岡部恭英氏(TEAMマーケティング ヘッド・オブ・アジアパシフィックセールス)が以前コラムで指摘したように、放映権ビジネスを軸にした成長モデルに陰りが見られるのも事実だ。既存のコアなサッカーファンのマーケットは、既に開拓され尽くしているからだ。当然、各クラブにとってはいわゆる「ニュートラル」なファンや、ライトなファンをいかに獲得していくかが、マーケティング上の一つの鍵になる。

また各クラブは他のスポーツやエンターテインメントとの熾烈な競争に打ち勝ち、サッカーやスポーツにあまり関心のなかった新たなファンを獲得しつつ、異業種とのコラボレーションも展開していいかなければならない。この過程では、地域コミュニティとの絆の有無も大きな武器になる。トッテナム・ホットスパーが新たなスタジアムの共用によって、数々の新機軸を仕掛けていることは、HALF TIMEが過去に報じたとおりだ。

選手だけではなく監督も含めた関心の高揚、クラブの歴史や伝統といった「価値」の提示による幅広い人々へのアピール、さらにはグローバルなビジネスの拡大と地域密着型の新たなコラボレーションの展開。マーケティングだけに限っても、ランパードは強烈なドライブ(牽引役)や「ハブ」としての機能を果たしていくだろう。

このように分析してくると、実はランパードの監督就任が、プレミアリーグのさらなる発展をもたらす起爆剤になり得ることが理解できる。短期集中連載の最後となる4回目は、イングランドサッカー界の次なる課題、そしてJリーグへの教訓について触れる。

画像=CosminIftode / Shutterstock.com


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