Jクラブ社長と大学院博士課程を並行。なぜ私は、学び続けるのか:V・ファーレン長崎 髙田春奈社長

V・ファーレン長崎の代表取締役社長 髙田春奈氏に手記をいただく本連載。Jリーグ史上2人目・現在では唯一という女性社長として注目されますが、それ以外にも「教育学」を長く学び、現在も大学院博士課程で研究を続けアカデミックにも見識が深いなど、ユニークなキャリアを歩みます。多様な働き方だけでなく「多様な生き方」が目指される現代、髙田社長に「学び続ける」理由を聞きました。

前回:中断、再開、無観客…。V・ファーレン長崎が直面した、コロナ禍の「実際」

教育学へと導かれた、学びの経緯

私は今、大学院の博士課程に在籍し、教育学を専攻しています。広告と人事コンサルティングの2社を経営していた2013年に東京大学教育学部に学士入学し、2015年卒業。2016年に同大学大学院修士課程に入学、2018年から博士課程に進学しました。合計すると教育学に触れるようになって、8年目となります。

2001年に社会人になってから、すぐに会社の人事部で社員の人材育成に携わるようになりました。2005年に独立した際も、そのメインの軸は人材育成。会社における人事の仕事は、その企業の独自の基準で活躍する人材像を策定し、どう評価するのか、どう伸ばしていけばいいかを考えていくことが基本です。

しかしその軸は単なる知識や考える力だけではなく、どのような心持ちで仕事に臨むのか、周りの人たちといかにいい関係性を構築していくのかなど、人間的な部分にも関わることが多くありました。

そうなってくると、企業で役に立つ人を育てることを考えるばかりでなく、子どもも含めた人間がよりよく生きられる教育について考えたい、それを人生の後半に追求出来たら、という気持ちで学びの場を求め、学士入学という形で学部から教育学の勉強を始めました。

教育とは、学びの本質とは

そこで出会ったのは自分の想像を超えた世界でした。教育というと、「成長する」、「発達する」、「前に進む」ことが当たり前だと思っていました。しかし人がより良く生きることを考えていく上では、単純に効率や成績という尺度では測れないことがほとんどで、時に立ち止まり、ぐるぐる回ることで、人としての層が積み重ねられたり、他者とのつながりを感じられたりもする。

歩みの速度は人それぞれで、時には学校さえいらないという人もいる。つまり、教育の在り方を問い直し、人そのものについて考える、ということがテーマの学問に足を踏み入れ、自分自身も救われ、もっと知りたい、もっと追求したいと思うようになりました。

よく「ずっと学び続けてえらい」と言われることもあるのですが、好きでやっていることなので苦痛はありません。そしてそれが学びの本質ではないかと思っています。例えばサッカーを好きな人がとことん突き詰めてマニアックに語れるようになる、ゲームを好きな人がとてつもない技を極めたりする。強いられてやるのでも、役に立つからやるのでもなく、自ら「はまっていく」感覚こそが学びの根底にあり、哲学者の千葉雅也はそれを「キモくなる」と表現しました(『勉強の哲学』)。私はまだまだその域にも達していませんが、教育学というテーマを追求する限りにおいては、その感覚を持てたことそのものが、大きな財産になっていると感じます。

今の仕事でも子どもたちや学校に触れることがたまにありますが、できれば子どもたちには、成績をよくすることや、いい学校に行くことだけで、自分の価値を感じてほしくない、といつも思います。大事なのは自分の気持ちのベクトルで、自分が勉強や課外活動を行う中で、楽しい、苦しくてもやりたいと感じられる瞬間を見逃さないようにして、それを大事に育んでほしい。そしてそれを支えてあげられる大人の一人として、接していければと思っています。

両立ではなく多面化

とはいえ、仕事をしながら学ぶことは、それなりに覚悟も必要でした。私は経営者であり、比較的自分の時間をコントロールできる立場にあったので、仕事に支障を与えずに学び続けることができたわけですが、人に与えられた時間は有限で、その限界を超えて悩んだことも何度かあります。

しかしそれ以上に、別の確度でこの世界を見られていることの価値は大きく、ビジネスがアカデミックの分野に、アカデミックの分野がビジネスに、いい影響を与えてくれることも多くありました。ビジネスとアカデミックな世界は別と思われている人も多いかもしれませんが、同じ生きている世界であり、対象としているのは人間である点で共通です。仕事しかしていなかったときは、経営の世界での理屈が、さも社会の理屈であるかのように感じていた部分もありました。それは全く無意識で、自分がこのアカデミックの世界に入って初めて気づいたことでした。

研究においても同様です。自分たちが当たり前、所与のものと思っていることが、実はそうではないということもある。それは人間や人間の心を対象にしている仕事・学問をしている立場からすると、とても大きな気づきではありますが、それぞれの世界で別の世界の理屈を提示することはなかなか理解してもらいにくいこともあり、その分苦しいこともあります。でも同じ人間が生きている世界だからこそ、何とかそのつながりを証明したい。そのモチベーションで、今もなおしぶとく、学びの世界に身を置いておきたいと考えています。

サッカーと教育思想

サッカーの世界に関わるようになった2018年4月は、ちょうど博士課程に進学をしたタイミングでした。修士論文を書き終わって、これからきちんと「研究」をして実績をあげていかねばならないという最中、どうしてもJ1に上がって運営に苦しんでいるV・ファーレン長崎をサポートなければならないという使命感を同時に持ち、結局兼務という形で運営や広報の仕事に関わることになりました。

そして2019年秋には、翌年から社長になることを決意。この時初めて、お世話になっている大学院の先生方に、自分がやっている仕事を説明し、これからまたさらに立場が変わっていくことを伝えました。それは単純に仕事が変わるのでも、忙しくなるのでもない。むしろこの変化をチャンスに変えていかねばならない、という宣言にも似た気持ちであり、先生方も理解し、応援してくださいました。

スポーツやサッカーというものは、単純な経営の尺度では測れないものです。普通に考えれば、強くなるためにはお金が必要、人気が出るためには勝たなければならない。つまり、お金をつぎ込めば成功するという単純な図式です。しかし実際にはそうではない。

個の力では劣っているチームが、チームワークで強くなる。応援の力で勝たせてくれる。単なる技能やフィジカルの力のみではなく、人と人とのつながりや奇跡こそが、感動を生み出し、人を魅了する。チームの数だけ個性があり、勝ち負けがあり、挫折がある。成長の形に正解がない。これはまさに教育の原点にもつながっているような気がしています。

そういった世界に身を置くことによって、新しい気付きにもなればと思いましたし、自分が学んでいる中で得た気づきや感動を、仕事を通して人々にも伝えていけたらと思いました。

また関わるステークホルダーが多いことも、サッカー(Jリーグ)の特徴です。ファン・サポーターや資金面で支えてくださるスポンサー様のみならず、自治体や各種団体の皆さんとともに、地域を盛り上げ、次世代の子どもたちを育んでいく公共的使命があるというのも、自分の研究にいい影響を与え、その学びを還元していけることにつながるのではないかと思っています。

イレギュラーなシーズンをどう生きるか

チームは今、佳境を迎えています。3月にリーグが中断となり、先が見えなくなった中、みんなの知恵と努力で、すべての試合を消化しきれるところまで見えてきました。その中でV・ファーレン長崎も山あり、谷あり…まだ「J1昇格」という夢をあきらめずに済むところに留まっています。

新型コロナウイルス拡大という偶然の惨事は、多くの人を苦しめ、私たちもイレギュラーを強いられましたが、それもまた計算通りにはいかない人生そのものなのだと思います。その中でいかに結果を生み出すことができるかは、自分たちの意思や関わる人々すべてを含めたチームの結束次第なのだと思います。

どのチームも必死です。どのクラブにも個性があります。大事なのはいかに長崎らしさを強さに変えていけるか、社長という仕事はその中の役割の一つでしかありませんが、私らしくみんなの想いを結集することに、貢献していきたいと考えています。残り一か月、目の前の一戦一戦に集中して、悔いのないシーズンにしていきたいです。

編集部より=論理が求められるビジネス、真理を追求していくアカデミック、そして「簡単な図式では測れない」サッカーという様々なフィールドを横断する髙田社長。その姿を突き動かすのは、「好き」という純粋な気持ちや、「使命感」という想いだったのでしょう。「どう生きるか」。この問いは、今改めて重みを持つように思います。


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