2019-20シーズンは不本意ながらシーズン途中での閉幕となったBリーグ。この秋から新たなシーズンの開幕を迎えるが、withコロナ時代の中、スポーツクラブが果たす役割は大きく変わるだろう。各クラブは改めて何を目指し、どのようにファンとパートナーを巻き込んでいくのか。茨城ロボッツの山谷社長に、ロボッツの現在と未来を訊く。(聞き手は小林謙一)
「ないかもしれない火中の栗」
スポーツというコンテンツが社会を動かす。今ではこうした事例を目の当たりにすることも多くなったが、プロスポーツを通して経済を回し、地域を活性化させるために奮励努力するチームがある。プロバスケットボールチーム「茨城ロボッツ」。その代表取締役社長を務めるのが、自身もアメリカンフットボールのプレーヤーとして活躍したアスリートである山谷拓志氏だ。
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――山谷さんが茨城ロボッツと出会ったのは、どんなきっかけだったのでしょうか?
「私が代表取締役社長になったのは、2014年でした。前身であるつくばロボッツが経営的に行き詰まり、当時NBL(日本バスケットボールリーグ)の専務理事であった私は、その救済に奔走していました。そんな中、ロボッツのスポンサーであるサイバーダイン株式会社が『山谷さんが社長をやるなら』という条件でサポートを続けてくれるといってくれたんです。それは、やるしかなかったですね(笑)。リーグの仕事をやめ、チーム再建のために新たに立ち上げた運営会社の社長になりました」
――山谷さんはその以前にも、Bリーグ栃木ブレックス(現・宇都宮ブレックス)で社長として実績を残していました。田臥勇太選手を獲得し、チームを設立から3年目で日本リーグのチャンピオンに導いています。茨城ロボッツでも、チームを再生できるという見込みはあったのでしょうか?
「そのときは、勝算なんかなかったですよ。でも、ここで諦めてしまえば、チームがなくなってしまうわけですからね。それは避けたかった。後に堀さん(現オーナー・グロービス経営大学院学長の堀義人氏)と運命的に出会うわけですが、当時は誰の助けも当てにできない状況でしたね。『そんな火中の栗を拾うようなことはやめておけ』というのが周囲の一致した声でした。いや、拾うべき栗すらないじゃないか、というのが実情だったかもしれません(笑)」
――マイナスからの再スタートだったわけですね。これまでバスケットボールという競技は、中学高校では人気の部活ですが、その上はあまりパッとしませんでした。プロスポーツとして、どのように捉えていましたか?
「プロバスケの価値はわかっていたんです。栃木ブレックスでの経験もありましたから。バスケットボールという競技は、得点シーンが多いんですね。それだけシーソーゲームや逆転劇も起こりやすく、盛り上がる要素が詰まっています。しかも、屋内スポーツなので、天候に左右されることもない。何より、アメリカであれだけ成功しているわけだから、きちんと育てていけば人気を獲得できると思っていました」
――確かに、NBAはアメリカの4大プロスポーツとして、絶大な人気を誇っていますね。しかし、日本ではバスケットボールの人気はイマイチでした。どこに原因があるのでしょう?
「かつてのバスケットボールは、企業スポーツとして福利厚生を目的に収益を生まないコストセンターとして運営されていました。その魅力を多くの人に伝える努力は、皆無だったといっていいかもしれません。料理に例えるなら、せっかくいい材料があるのに、盛り付けやレストランの設備が悪くて見向きもしてもらえなったようなものです。一度見てもらえば、ファンもスポンサーも獲得できると確信していました。とにかくルールがわかりやすいですよね。私はアメリカンフットボールをしていましたが、こちらはルールがわかりづらくて、なかなかファンが広がらないですから」
地域を活性化させるコンテンツとしてのプロスポーツ
――現在のプロスポーツチームは、地元に根ざした活動を展開することが一般的になっていますが、茨城ロボッツも地域密着を重視されていますね。
「プロスポーツは『興行』ですから、商圏がなくては成り立ちません。会場に足を運んでもらうには、地域に密着することが欠かせないんですね。ロボッツはつくばから水戸に本拠地を移しつつ、チーム名には『茨城』と付けてあります。それは、より広域で活動することができるというのと、これまで『茨城』と名前がつくプロスポーツチームが他になかったというのが理由ですね」
――どのような形でチームを地元に「密着」させていったのですか?
「実は、茨城県というのは、日本でもっともプロスポーツのやりにくい場所だったと思っているんです。というのも、茨城には地元の民放テレビ局も県域FMラジオ局もないからです。茨城や水戸に住む人たちは、東京の人たちと同じ番組を見たり聞いたりしているんですが、そこでは茨城の情報なんてほとんど流れません。マスメディアを使ってチームの情報や試合予定などを広めていくことを私たちは『空中戦』と呼んでいますが、茨城や水戸ではそれができなかった」
「そこで『地上戦』に力を入れました。チームのうちわを配ったりして、地道な広報活動を行っていきました。やれることをきちんとやれば、結果につながっていくという信念でしたね。現在は、唯一の県域ラジオ放送局である茨城放送の株式を保有し、チーム情報も広く告知することができています。これまでメディアがスポーツチームを持つことはありましたが、その逆は珍しいですね」
――地域密着のための施策としては、M-SPO(まちなか・スポーツ・にぎわい広場:2017年に水戸にオープンした複合施設)もそのひとつですね?
「M-SPOは、水戸の街づくりに貢献しようというオーナーの堀さんの思いを形にして完成しました。デパートが撤退するなど水戸の中心部が空洞化してしまったところに、練習施設やカフェなどの複合施設を作ったんです。選手が練習することもありますが、子供のためのバスケ教室が開かれていたりして、その間に親御さんはカフェでお茶しながら待っていられます」
「チアのためのダンス教室があったり、グロービス経営大学院の授業があったり…。街行く人が、ちょっと覗いていってくれたりもしますし、選手と触れ合うこともできます。ロボッツが勝った日には、ロボッツのユニフォームを着てカフェに行くと堀さんがビールを1杯ごちそうしてくれるというサービスもありますし(笑)」
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民間の力を示すことで行政をも動かす
――地元と関わっていくには、行政ともいい関係を築いていく必要がありますね。
「行政との関係はとても良好です。これには順序があって、最初からこちらが一方的に行政に要求するだけではダメなんです。ロボッツの選手は、小学校であいさつ運動をしています。M-SPOなどの施設も、民間の資金で作り上げています。まずはチーム自らが動いて、本気を示さなくてはなりません。すると、行政ものってきてくれて、自粛期間中にはスポーツチームのための助成金制度なども整えてくれました」
「水戸は歴史のある街で、みなさんそのことに誇りを持っています。チームが水戸に移転してきた頃には、当初はまだ知名度は低かったのに、地元の企業のみなさんは『期待』を先行してスポンサーとして援助をしてくださいました。費用対効果で考えたら、チームをサポートすることは割に合わないことだったかもしれないのに…。」
――それは「夢」を共有しているということでしょうか?
「そう思っていただけたら、嬉しいですね。一緒に地域を盛り上げるパートナーとして認めてもらえたなら、こんなにありがたいことはありません。スポンサー企業の経営も、いいときばかりではありません。このコロナ禍の中で業績が悪化しているところもあります。それでも、『こんなときこそスポンサーとして支援を継続しないとだよな』なんていってくださったりもして。私たちは結果を出して、恩返ししなければならないですね」
『勝利』に向かう姿勢こそがスポーツの真の価値
――茨城ロボッツは、スポーツチームとして理想的な姿に向かいつつありますが、今後はどのようなことを目指していきますか?
「まだまだ道半ばですが、理想とするのは強いチームが地域の活性化に貢献することです。私は、スポーツとは勝敗を争うものである以上、根源的な価値というのは試合に『勝つこと』だと思っています。茨城でお手本にしたいと思っているのは、鹿島アントラーズ。地元企業のバックアップがあったとはいえ、それほど大きな街でない鹿嶋市を本拠地として、フィールドで勝利という確固たる実績を残してきました」
「さらにいえば、Jリーグの功績は、サッカーというコンテンツを全国津々浦々に『流通』させたことだと考えています。地元の名前のついたチームが、その地域で毎週試合をやってその結果が伝わってくる。日常にスポーツが届けられる仕組みができあがったんですね」
「もともと選手だったからそう感じているのかもしれませんが、スポーツにおいては『勝利』こそがコアバリューだと思っています。水戸は、学生スポーツや他競技も含めて、まだ地元のチームが『日本一』になった経験がないそうです。ぜひとも茨城ロボッツが、自分たちが応援する地元のチームが優勝するところをお見せしたい。それこそが、チームの苦境を救ってくれた方々や、信じて応援してくれた人たちに対する、最大限の恩返しだと思っています」
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スポーツのエンターテインメント化を推進する声が強まる中、山谷氏は「勝利こそがスポーツの究極的な価値」だと喝破した。とは言え、それは勝つこと「だけ」に価値があるということとは少し違う。
スポーツはすべて、勝利することを目指している。それに向けて努力することからストーリーが生まれ、人は魅せられていくのだ。地道なトレーニング、緻密な戦略、そして汗と涙。それらを共有することで、そこに感動が生まれ、人から人へと伝わっていく。茨城ロボッツは、こうした感情のうねりを作り出し、地元の人たちをつなげ、地域を活性化させることを目指している――。