「クラブスタッフの声」をオープンに伝えていく――水戸ホーリーホック 青木真波氏の広報としての挑戦【30代キャリア】

スポーツビジネスの現場で核となり、さらに将来のキーパーソンともなる30代の方々に、これまでのキャリアと現職について伺う連載企画。第二回は水戸ホーリーホック 広報の青木真波(あおき・まなみ)さんに、アパレルから放送業界、そしてJクラブへと転身したキャリアを伺います。(聞き手はHALF TIME編集部の横井良昭)

前回:「リーグ上位・売上下位」を変えていく――。サンフレッチェ広島 営業部の悦喜裕也氏が地元クラブで挑むこと

「全員が発信する」水戸ホーリーホック

――水戸ホーリーホックは2000年にJ2加盟後、2019年には新スタジアム構想も発表し、J1昇格を目指す「改革進行中」のクラブともいえます。まずはクラブで青木さんの職務、日々の活動を教えてください。

現在、ファンマーケティング事業部の広報チームで働いています。チームは現在私を含めて女性が2人で、Jクラブでは珍しく女性だけのチームです。広報業務は大きく分けるとクラブの発信媒体、例えばSNSやオウンドメディア「ホーリーデジタル」のコンテンツ作りと、イベントなどでのメディアからの取材対応に分けられます。

日々SNS用の写真を撮ったり、取材の方がきている場合はインタビューに同席するなど、トップチームとも一緒に動き、トレーニング・グラウンドにも足を運びますね。また試合時には取材対応や試合の速報、SNSの更新を行っています。

水戸は選手もフロントスタッフもすごく広報発信に協力的で、誰でもいつでもメディアに出られる状態。広報が発信するというより「全員で発信する」スタイルです。ほとんどのフロントスタッフがTwitterで本人のアカウントを持っているのは、他にはあまりないかもしれません。

――前例にないことをできるのは、水戸の強みですね。

現在水戸では、事業部門が営業ホームタウン事業部とファンマーケティング事業部の2つに分かれています。事業部の施策を判断するのは30代前半のスタッフで、クラブ運営を取りまとめる経営企画室のGM補佐や事業部の施策を判断するオフィサーは同年代の32歳・33歳のメンバーです。営業ホームタウン事業部には20代後半だけでなく、新卒のメンバーもいます。クラブの歴史を支えてきたベテランの先輩方に加え、ここ数年で加入した「若い力」も積極的にアイディアを出せるオープンな雰囲気で、様々な新しい取り組みを行っています。

Jクラブ広報に転身するまで

水戸ホーリーホック 広報の青木真波さん(中央)。トレーニング風景を撮影し各種メディアで日々発信を行う。写真提供=水戸ホーリーホック

――メディアのお話も出ましたが、私も青木さんを知ったのが「デイリーホーリーホック」でした。Jクラブの広報になられるまでのキャリアは、どのような道だったのでしょうか?

学生時代にアルバイトでアパレルの販売員を行っていた経験から、アパレルに携わりたいという想いがありました。その後就職活動を経てアパレルメーカー大手のイトキンに内定をいただき、2011年に入社することになります。入社後は営業として複数店舗の売上の管理やスタッフの管理を担当しました。その当時働いていたのが、ジェフユナイテッド市原・千葉のスタジアムの隣にあるショッピングセンターだったんです。その頃は、サッカーといえば「お店が忙しくなる日」。サッカーは好きでしたが当時は「にわかファン」で、サッカー業界で働くとは思ってもいませんでした。

約3年イトキンで勤務をし、その後ご縁がありテレビ業界へ転身します。実は父親が報道カメラマンだったこともあって、小さい頃は報道記者を目指していたんです。大学生時代に卒業論文で取材をした方が日本テレビで働かれていて、たまたまリサーチャーの職種で空きがあると声をかけてくれたんです。記者ではありませんでしたが、やってみる価値があると感じて入社しました。

サッカーに「目覚めた」のもこのタイミングでした。アパレル時代の同期が関西のJクラブの大ファンで、毎週末一緒に遠征するようになったんです。私は都内に住んでいたので週末のほとんどを夜行バスで過ごしましたが(笑)、90分の試合を見ると疲れはなくなり逆に元気が出る。また、それまで無趣味でお金も時間も費やすものがなかったんですが、ほぼ毎週試合を観に行くようになりました。サッカーを通して、笑ったり泣いたり怒ったり、「自分が一番人間らしくいられる」と感じたんです。

その間、日本テレビではリサーチャーから記者となり、仕事ではサッカーと直接関係のない経済関連ニュースを担当していました。とはいえ、ビジネスの文脈で鹿島アントラーズの当時監督であった石井正忠氏に組織マネジメントについてインタビューする機会もありました。鹿島がFIFAクラブワールドカップで勝ち上がり、レアル・マドリードと対戦するに至った時です。

このように経済記者として時折スポーツを題材に取材を続けましたが、その後V・ファーレン長崎の前社長である髙田明氏とも取材を通してお話しする機会があり、その際の「目標や夢は常に変えて良い」という言葉に感化されて、サッカー業界への転職を決めたんです。

――プライベートを充実させてくれたサッカーを、仕事にするという決断ですね。数あるクラブの中でも、なぜ水戸ホーリーホックを選んだのでしょうか?

ご縁としか言いようがないかもしれません。オフシーズンに多くのクラブの求人が出ると思うんですが、その時は即戦力・経験者の求人が多く、他のクラブの人を引き抜くための求人だと思って見ていました。その中で、水戸ホーリーホックへ応募させてもらったんです。

最初の面接は、クラブ本拠地の「ケーズデンキスタジアム」。総務・経理の鈴木と経営企画の市原との二人と面談をしました。もともと募集していた求人は法人営業で、二人には「営業経験がない」と正直に伝えました。結果的にはクラブの人事異動もあり広報となりましたが、当時は未経験の業界・職種となるので自分の中では「新卒より大変になる」とも思っていました。

一通りの面接を行う中で、もし私が次の面接に進めた時に、(地理的にも)遠く、縁もゆかりもなかった水戸で働く決心がつくだろうか…と不安を感じ、水戸で働いているお二人に本心を聞きたいと思った私は、「なぜ(水戸ホーリーホックで)働いているのか」と、逆質問をさせてもらいました。

すると2人は揃って、「サッカーが好きで、クラブを良くしたくて、地域に貢献したい」と答えたんです。一番に出てきた言葉が、「好き」という言葉だったんですね。これを聞いて、この方々のいる水戸ホーリーホックというクラブであれば、自分の「サッカーが好き」という気持ちを活かして、クラブのために頑張っていける、と思いました。

当時私は31歳。若い世代のスタッフも積極的に「攻めた」施策に関われる水戸には、挑戦をさせてもらえる環境があると感じて、飛び込もうと思いました。面接が進む中、「自分がやりたくて、根拠があればチャレンジができる」環境だと言っていただいたのも印象に残っています。

「異業界」の強みを活かして、チャレンジしていく

コロナ禍でクラブの発信方法もデジタル化が加速。企画の裏には、臨機応変な広報の存在がある。写真提供=水戸ホーリーホック

――アパレル、放送とこれまで別の業界を歩んでこられました。また営業から記者、そして広報と、職種もしなやかに変化されてきたように見受けます。これまでの経験で現在に活きているものはありますか?

一つは、人に対して情報を伝えるときにポイント立てて説明ができること。アパレルの販売員や経済記者の経験から、どのように相手へものごとを伝えるかという経験は、広報の現職に活きていると思います。もう一つは、SNSのノウハウ。記者としてSNSから情報を得ることも業務のうちだったので、逆にどういった情報が必要とされているかがわかります。SNSの投稿でファンに喜んでいただくなど、これまでの経験が役立っていると思いますね。

もちろんスポーツの現場ということで、体力もありますよ。アパレル店員として店舗にもいましたし、テレビ局では取材に応じて朝早く、夜遅いということもありましたから(笑)。

――「外側」から思っていたプロスポーツクラブと、その「内側」にギャップはありますか。

まず、そもそも新卒採用をあまりしていないので、フロントスタッフがどういった職業、職種で、どのような働き方をしているか、世の中に認知されていません。私も知りませんでしたし、私の周りの友人などが持っているイメージは「試合の時に受付にいる人?」程度です(苦笑)。もちろんそれも間違ってはいませんが、それ以外の仕事もたくさんありますよね。プロスポーツクラブが、まだまだビジネスとして捉え方られていないんです。

入社してから感じたのは、一般的な会社と同じような仕事が多くあるということです。さらにいえば、クラブはそれ以上に何でもできます。例えば、飲食はスタジアム周りでできますし、グッズ販売もできる。マーケティングも、人事・採用も、営業も。何でもできるクラブなのに、魅力的だと思われていないのは、業界や各クラブが手を打ってこなかったからだと思います。

実際、まだまだ普通の会社ではないことがたくさんあります。水戸は業務で使う様々なITツールを取り入れたり、フレックス制やリモートでの働き方を導入していますが、業界全体では福利厚生面はまだ整っていないと言わざるを得ません。スポーツクラブの求人を初めて見た時に、給与水準の低さにびっくりしたというのが本音です(苦笑)。子供たちが夢を持つスポーツにおいて、「選手にはなりたいけど、フロントにはなりたくない」というような状況は間違っています。

転職の際、現代表(取締役社長)である小島が面接で「今の給料はこのくらいだが、みんなで頑張って、給料をあげていきたいと思っている」、そして「そうしないとクラブもリーグも地域も良くならないから、一緒に目指してくれる人を募集している」と言っていたことを覚えています。これは、私たちが働くモチベーションにもなるので、すごく素敵な考え方だと思いました。普通の会社が取り組んでいることを、普通にできる組織になろうとしているのが、水戸なんです。

「クラブは、人のためにある」

――プロスポーツクラブで働いて約半年が経とうとしています。これまでに感じた、スポーツ業界で働く魅力は何でしょうか。

クラブは、人、関わってくださる方々のためにあると思っています。私たちはスポーツをビジネスにしていて、利益をあげることも大切な目標ですが、結果として目にするは人の笑顔だったり、感情です。勝ったら温かい言葉をいただいて、負けてしまったら厳しい言葉を浴びて…。そういった「感情」をどうやってより多くの皆さんに抱いてもらえるかが重要です。

クラブが施策を積み重ねて、最終的にスタジアムでファンの方々の声援を聞けること。そして、選手、チームやクラブスタッフだけでなくファン・サポーターのみなさん、関わってくださる皆さんと同じ感情を共有できることが、何よりの魅力だと思います。

――今後、青木さん自身がスポーツ業界で取り組んでいきたいことはありますか?

スポーツクラブは女性のフロントスタッフが少ないのが実情だと思います。Jリーグのファンは30代・40代の男性が多いですが、他の層にも良いと思ってもらわないとビジネスは衰退してしまいます。ですから、女性に響く「カッコ良さ」「素敵さ」も打ち出したいですね。

また、若い人にスポーツビジネスに興味を持ってもらい、このクラブに入りたいと思ってほしい。なので水戸では色々なフロントスタッフにメディアへ出てもらい、クラブの取り組みを包み隠さず語ってもらっています。「クラブで働く姿」を発信することで、クラブで働くことをポジティブに捉えてもらい、スポーツ業界で働きたい人が気軽に声に出せるような場所を作っていきたいです。

――これからも青木さんの活躍に注目していきたいと思います。最後に、今後スポーツ業界へ転職を考えている方へメッセージがあれば、一言お願いします。

転職で入ろうと考えている人には、スキルを活かすことができる業界だと思います。それに、まだまだノウハウのないクラブも多いので、チャレンジもしやすい。これまでのキャリアで特定の領域に自信がある方なら「これができるから、採ってくれますよね」ぐらいの気持ちで目指すといいと思います。その方が、クラブはもっと面白くなると思いますね。

アパレルの営業、放送業界での記者を経てJクラブの広報として活躍する青木さんのキャリアは、常に前向きで、新しいチャレンジを楽しんでいるようにも見えます。スポーツ業界を新しい活躍のフィールドと捉え、ビジネスの現場を牽引する「未来のキーパーソン」に、HALF TIMEでは引き続き連載形式で伺います。


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