【ファン・エクスペリエンス考#2】モデルケースを通して知る、理想的な顧客体験――The Fan Experience Company創業者マーク・ブラッドリー

サッカービジネスは加速度的にグローバル化しているが、そのブランド力を足元で固めるのは国内人気に他ならない。事実、欧州では近年、地元ファンやサポーターの創造に向けた顧客体験「ファン・エクスペリエンス」が注目されている。欧州各国の協会やリーグ、クラブに提言を行うコンサルティング会社The Fan Experience Company創業者で、英サッカービジネス専門誌『FC Business』のレギュラー・コラムニストでもあるマーク・ブラッドリー氏が、そのコンセプトと成功事例、そして今後の発展可能性を解説する。

前回コラム:【ファン・エクスペリエンス考#1】サッカービジネスでますます重要になる「顧客体験」

「ファン・エクスペリエンス」のシナリオ

soccer stadium

前回のコラムでは、欧州のサッカー界において、ファン・エクスペリエンスがいかに重視されるようになってきているかを解説した。今回は、その実例を具体的なシナリオに沿って紹介したい。

それでは、とある親子連れが、ヨーロッパのどこかのサッカークラブに初めてサッカー観戦に出かける時のことをシミュレーションしてみよう。父親はサッカーに多少なりとも親しんでいると想定し、今回は女性――特に母親目線でストーリーを再現してみたい。

「サッカーの試合を見てみたいな」

子供達からせがまれた母親は、まずチケットを買うために、各クラブの評判を調べ始める。クラブの知名度や有名選手の有無も重要な要素だが、やはり子供を連れて行く以上、安全で、少しでも社会的な評判のいいクラブを選ぼうとするからだ。

そこで目にとまったのは、地域社会に非常に貢献していると評価されているクラブだった。そのクラブは平日にはスタジアムのオフィスを部分的に開放し、ビジネスアイディアを持つ若者に利用させているという。地域社会全体の発展に貢献しようとする姿勢がよく分かる。

そして地域側ももちろんクラブ側と協働する。ホームゲームが行われる際には街ぐるみで雰囲気を盛り上げようとするし、チームのイメージカラーで街中を装飾したり、巨大な布で彫像や橋、建物を覆うこともある。

試合前から始まる「エクスペリエンス」 ウェブのデジタル体験とスタジアムの実体験

関心を持った母親はチケットを購入する準備を進めながら、今度はクラブのウェブサイトを本格的にチェックし始める。そこにもまた素晴らしい情報が公開されている。

例えば公式サイトには、家族連れや初めてサッカー観戦に訪れる人達向けの専用エリアが設けられ、数々の情報や体験談がわかりやすく表示されている。

具体的にはチケットの受け取り方法、現地までの移動方法や駐車場の情報、キックオフの時間といった基本的な内容はもとより、初めてサッカーの試合を観戦した家族連れのコメントも数多く紹介されている。ウェブサイトでは、クラブのマスコットが登場するビデオも公開されている。このビデオでは、初めてスタジアムを訪れたファンが体験できる、楽しいイベントやエンターテインメントなど様々な娯楽について知ることができる。

また子供向けには、クラブのマスコットに会えるタイミングや、選手から直接サインをもらったり、一緒に記念撮影をしてもらえたりする時間も細かく説明してある。さらには軽食のメニューも掲載されているため、家族はスタジアム内での飲食も計画できる。子供用のスナックが入ったボックスを予約しておけば、キックオフの20分前にマスコットに席まで届けてもらうこともできるようになっている。

さて、ついに試合当日がやってきた。

母親が車を運転してスタジアムに近づくと、家族専用のスタンドに非常に近い、これまた家族専用のスペースに車を駐車することができる。

車を降りた途端、母親のスマートフォンには、「ようこそ」という歓迎のメッセージが届けられる。これもまた嬉しい心配りだ。母親にはクラブストアで利用できるクーポンが送信されるだけでなく、同じ試合に知り合いが来ていることがわかれば、隣同士に席を変更する権利も与えられる。

車を降りた二人は、スタジアムに足早に向かっていく。まずは定番のスタジアムツアー、そして帽子やスカーフのプレゼント。クラブのグッズを身につけた二人は、他の親子連れと一緒にピッチ脇のベンチにも招待される。このような特典は、チケットが予約された時点で自動的に準備されるようになっている。

スタジアム内に用意された、あらゆるエンターテイメント

stadium tour
Liverpool FC
画像=berm_teerawat / Shutterstock.com

ツアーを終えてスタジアムの中に入ると、そこは様々な芸術作品やオブジェで鮮やかにデコレーションされている。

試合が始まるまでに時間を潰す選択肢も山ほどある。子供達向けにはボールなどを蹴ってスコアを競い合えるアトラクションもあれば、XboxやPS4などを体験できるエリアもある。この手のゲームは保護者向けのものも用意されている。

様々な販売スタンドが魅力的なグッズや軽食、飲み物などを用意していることは言うまでもないだろう。気温が低い場合には、子供達が風邪を引かないように暖を取れる場所まで確保されている。

ファミリーラウンジも大盛況だ。テーブルサッカーや、子供達が楽しく時間を過ごせる遊具、部屋の内部には赤ちゃんのオムツ替えができるエリアもしっかり設けてある。かと思えば、保護者向けのバーカウンターもあるなど、まさに至れり尽くせりだ。試合当日は、もっと素敵な出来事が起きる可能性もある。選手入場の際、子供達が一緒に手をつないでピッチに出て行くメンバーに選ばれることもあるからだ。

キックオフの時間が近づき、専用の観戦エリアに入っていくと、ピッチ上にはDJが登場し、賑やかなプレゼンテーションを始める。彼とコンビを組んでいるラッパーは客席の間を移動しながら、一緒にダンスをして盛り上げようと促していく。

そしてついに選手登場。鮮やかな色のテープがクラッカーの音と共に飛び交い、頭上には花火が打ち上がる。ふとピッチの方を見ると、自分の娘が選手と手をつないで登場してくる。

この映像を母親はスマートフォンで撮影し、クラブが提案したハッシュタグをつけて、SNSのアカウントですぐにシェアする。知り合いはもとより、他の一般のファンもこの投稿に反応。「いいね!」を押す者もいれば、「だから僕は、自分のクラブを誇りに思うんだ」とコメントを投稿してくれるファンもいる。こうして一体感が高まったところで、いよいよキックオフとなる。

評価は「10点満点」 試合内容に左右されない満足感

試合がどんな展開になるかは神のみぞ知るだが、クラブ側は試合の内容にかかわらず、楽しめるような配慮をしている。

ハーフタイムにスマートフォンでクラブのアプリを立ち上げれば、一番近くの売店を簡単に見つけられるだけでなく、「若い家族」向けの専用の列に並び、すぐに購入できるようにも工夫されている。

ハーフタイム中も、クラブ側は家族連れを担当するスタッフを抜かりなく配置。家族連れは彼らに見守られながら、チームを応援するフラッグを振ることもできれば、ピッチサイドに登場したマスコットのパフォーマンスも楽しめる。さらにラッキーな場合は、ハーフタイムにピッチ上に招かれ、DJやマスコットなどを交えながら、小さなイベントにも参加できるだろう。

夢のような時間は、こうしてあっという間に終了。

駐車場の車に戻った瞬間、母親はクラブ側から感謝のメールを受け取る。そこには、初めて体験するサッカー観戦を楽しめたかどうか。このエクスペリエンスを、他の家族に推薦したいと思いますか?といった質問項目が並んでいる。

そして母親は、こんなメッセージを返信することになる。

「評価は10点満点。最高に楽しかったわ!本当にありがとう!今度は友達も誘ってまた来るわね!」

試合前から試合後まで、あらゆる「体験」を通してクラブへの関心を惹きつけ、確実にリピーター(新たなファン)に仕立て上げていく。サッカー界ではその目的を達成するために、かくも工夫を凝らしている。最終回となる第3回はサッカービジネスで採用され始めた、さらに訴求力の高い枠組みづくりを紹介する。