ブラジルのリオデジャネイロで誕生し、老若男女を問わず手軽に楽しめるスポーツとして、世界各国で急速に普及しつつあるフレスコボール。「思いやりの競技」とも呼ばれる新たなスポーツの魅力と日本における草の根の人気拡大、そして今後に向けた展望を、日本フレスコボール協会会長の窪島剣璽氏に聞いた。
フレスコボールとの出会いと、突然のW杯
――窪島さんは現在、日本フレスコボール協会の会長を務められています。そもそもフレスコボールという競技と、どのようにして出会ったのでしょうか?
「きっかけとなったのは2013年、私はコミュニケ―ションアプリのLINE社で働いていたのですが、当時の上司に海外事業に携わりたいと直訴した時に、インド、ロシア、ブラジルの3択を示されました。ブラジルといえば、ビーチ。私は元々南国が大好きだったので、その場でブラジルと即答しました。
そしてその翌週から半年間ほどブラジルに駐在することになるのですが、『地球の裏側にわざわざ行くなら、ブラジル発の新たなビーチカルチャーを自分で見つけてみたい』と思いながら現地で過ごしていたところ、リオのコパカバーナビーチで楽しそうにボールを打ち合っている人たちを見かけました。聞いてみると、2人が協力しあってラリーを続けるフレスコボールというスポーツであると知りました。これがフレスコボールとの出会いです。
出会ったその場で“フレスコボール”とGoogle検索したんですが、何も検索結果に出てきませんでした。その時に、『このスポーツは日本には無いのか。“協力”というコンセプトは日本に向いているし、このスポーツを日本に持ち帰り普及させよう』と思い立ちました。そして帰国する際に、スーツケースをフレスコボールのラケットとボールで満タンにして帰国したんです」
――個人的にも、ブラジルという国や彼の地の文化に強い興味を抱いていたと。
「ええ。当時は翌2014年にサッカーのW杯が行われ、その2年後にはリオでオリンピックが開催されることも決まっていた。こういう流れの中で、日本の人たちがブラジルの文化にさらに触れるための絶好の機会が来るだろうとも思っていましたから。
とは言えフレスコボールなんて、未知のスポーツじゃないですか。だから最初にやったのは、ひたすらネットで検索して情報を収集することでした。詳しいルールや歴史、競技人口、有名選手、協会、大会、スポンサーに至るまでフレスコボールに関する知りたい情報を書き出して、ポルトガル語ができるアルバイトにそれを調査してもらうことから始めたんです。
そうやって情報を調べていると、翌年の2014年にメキシコのプラヤ・デル・カルメンというビーチでフレスコボールのW杯が行われることがわかった。で、リサーチを兼ねて(大会の事務局に)コンタクトを取っていたら突然、じゃあ日本も参加しろと言われて(笑)」
――いきなりW杯出場が決まってしまう。すごい展開ですね(笑)
「ええ。冗談みたいな話なんですけど、ホームページやSNSをチェックしたら、いつの間にか日本が参加することになっていて、しっかり日本の国旗まで載っている。もちろん、そんな約束をした覚えはまったくないんですが、すっかり運営本部もアジアから日本が参加するぞ!と盛り上がっていたので、折角なので周りにいた人間に声をかけて、行くだけ行ってみることにしたんです。フレスコボールの関係者と繋がりができる、いい機会にもなると思いましたし。
あれは貴重な体験になりました。フレスコボールをご存じない方には是非、YouTubeの動画を見ていただきたいんですが、ラリーの迫力やスピード感、ワイルドさに圧倒されました。これが本当のフレスコボールだと、教えてもらったような気持ちさえしましたね」
ブラジルで生まれた「思いやりの競技」
――この記事を目にする読者は、「フレスコボール」という単語さえ知らない人がほとんどだと思います。日本の方向けに、いかなる競技なのかを改めて説明していただけますか?
「フレスコボールは1945年頃にリオデジャネイロのコパカバーナビーチで生まれました。ポルトガル語の“Fresco”は、日本語に直訳すると、“新鮮な”、“爽快な”という意味です。フレスコボールを直訳すると、“夕涼み球”とも言われ、コパカバーナビーチで昼間の炎天下を避けて、夕方からボールを打ち合う様から、Frescobol(ポルトガル語)という名前がついたと言われています。
ゴム製のボールと木製やファイバー製のラケットさえあれば、老若男女を問わずに手軽に楽しめるスポーツだということで、ブラジルを中心に北中南米、ヨーロッパ、中東に広がって行き、今では日本や韓国などアジアでもフレスコボールを楽しむ人が増えています。具体的なルールとしては、ペアを組む二人が向かい合って5分間ラリーを続け、ボールを打ち合う回数やスピード、落球の少なさなどを審判が総合的に判定していく形です。
一見、シンプルなスポーツなんですが、実は奥が深くて。そもそもフレスコボールは1人ではできないし、同じだけの情熱を持ったペアと組んで、こつこつ練習を重ねていかなければならない。しかもお互いに助け合い、相手の力をうまく引き出していくことが不可欠になる。結果、わずか5分間のラリーでも、そこに至るまでに二人が築き上げてきた『絆』や人知れぬ苦労、ドラマといったものが、すごくにじみ出てくるんです」
――シンプルな競技であるがゆえに、いろいろなものが見えてくる側面がある。
「ええ。だから大会も、他人と競い合うイベントというよりも、日頃の練習の成果を仲間同士で披露するような場になるんです。ちょっと大袈裟ですが、大切なパートナーと熱中し、『青春』をもう一度体験できるような環境が生まれる場所になっています。
実際、僕はフレスコボールのことを『思いやりの競技』と表現していますが、こういう人間臭さやドラマ、共感を得られるといった部分は大きな魅力の一つだと言えます。日本でフレスコボールが確実に普及してきているのも、その根底にある価値や文化が、日本人のメンタリティにすごく合っているからなのかなとも思います」
日本でも確実に定着しつつある人気と競技人口
――2013年の協会設立以来、日本の競技人口はどこまで増えたのでしょうか? 現状をどのように把握されていますか。
「レジャーで親しまれている方をどう区別するかという問題はありますが、協会側としては3千人程度だと考えています。その根拠となっているのがラケットの販売数ですね。これまで5千本近くのラケットを有料販売してきましたので。
関東で一番盛んに楽しまれているのは逗子海岸。逗子市長ご自身フレスコボールに親しまれていますし、『逗子フレスコボール(通称:ZFC)』という日本初の地域クラブが発足されて以来、地元の方の様々なご支援もあり、逗子海岸では毎週末フレスコボールを楽しむ人々を見られるようになりました。
またここ最近では、大阪、奈良在住の方が普及に力を入れてくださっていて、関西地区での広がりが加速しています。明石にある大蔵海岸は、関西における聖地にもなりつつあります。さらには千葉の船橋、四国の香川、高知、九州の福岡、沖縄、岩手でも地域クラブが発足しました。これも熱心なフレスコボーラーのおかげというか。フレスコボールを普及させるために、福岡や沖縄に引っ越された方もいらっしゃいますから(笑)」
――フレスコボールを競技されているのは、どのような方が多いのですか?
「本当にさまざまですね。競技的には、かつてテニスや卓球、バトミントンなどをされていた方が多いですが、職業は多岐にわたっていて。たとえば日本代表でプレーしている倉茂孝明という選手は大手総合商社に勤務していますが、そのほかにもベンチャー企業や大手IT企業、広告代理店で務めている方、フリーランスで活躍されている方、学校の先生、歯科技工士、自衛隊で勤務されている方もいます」
多くの人を惹きつける、フレスコボールの真の魅力とは
――他のスポーツに親しまれていた方も、フレスコボールを選ばれるようになった。
「これはおそらく、モチベーションの問題も関係していると思うんですね。学生の頃は多くの人が他の選手やチームに勝つことを目標にしてスポーツに励みますけど、大人になるとむしろマラソンで完走するとか、じっくり個人的に目標を追求するパターンが増えてくるじゃないですか?年配の方もフレスコボールに親しまれているというのは、そのあたりに理由があるのかなと思います」
――仰っていることはよくわかります。年齢を重ねると他人と競い合ったり、わざわざ勝ち負けを付けたりするコンペティション自体に惹かれなくなる。むしろパートナーと、のんびりポジティブな気持ちでスポーツを楽しみたいと思いますから。
「またフレスコボールに親しんでいくと、スポーツとは別の側面で、コミュニティに所属している意識も育まれていくんです。例えば企業に所属している方は、勤務している会社とは別のコミュニティに所属してみたいという欲求が強い。
一方、現在の日本では働き方改革でフリーランスの方が増えていますが、こういう方達もやはり孤独は避けたいと思っている。そういう人には、フレスコボールを1つのツールとして、普段の生活では出会えない仲間や人脈を作ったり、そこで様々な刺激を受け、自己成長につなげることが出来るんです。
フレスコボールはそうした仲間意識や絆がすごく育まれるスポーツなので、さまざまな方の承認欲求や所属意識を満たしていきながら、地域に密着したコミュニティも根付かせていくことができるんです」
未来に向けて、さらに広がっていくビジョン
――現在はコロナウイルスの影響で、あらゆるスポーツがその活動の中断を余儀なくされていますが、もちろんこの状況が永遠に続くわけではありません。競技のわかりやすさと奥深さ、メンタリティの面での相性の良さ、そして時代のニーズにしっかり応えていける点などを踏まえると、フレスコボールという競技は日本でさらに普及していきそうですね。
「ええ。私たちも活動を再開できるのを楽しみにしています。残念ながら、東京の大森海岸で開催予定だったオオモリカップ(3月)と逗子海岸で開催予定だったズシカップ(5月)は中止という決断をしましたが、状況を見ながら大会運営を再開して行きたいと考えています。今年の9月には、千葉の稲毛海岸で『ビオレUVアスリズム フレスコボールジャパンオープン2020』という日本選手権に当たる国内最高峰の大会を開催したいと思っております。
フレスコボールの年間スケジュールは、例年3月の大会を皮切りに、4〜5回の大会を行って、参加者は各大会の成績に応じて、ポイントが加算される仕組みになっています。そして年間を通じて上位に入ったペアが12月にブラジルで行われる『ブラジル選手権』に出場するというのが大きな流れですね」
――国内での比較的歴史が浅いにもかかわらず、そこまで本格的に大会が開催されるようになったというのは素晴らしいですね。日本の協会を軸にサッカーのFIFAにあたるような運営組織を作ることができれば、ゆくゆくはオリンピックの参加種目にしたいというような夢も見えてくるのではないですか?
「ええ。世界ではグローバルな統一ルールを制定して、オリンピック種目を目指す動きもあります。ただ、その手の拡大を図っていくこと自体は悪いことではないと思っていますが、実現するのはかなりハードルが高いし、そこまで固執していません。今は先程述べたようなフレスコボールが持つ本質的な価値をしっかり理解してもらう、あるいはブラジルの文化を肌で感じられるような魅力を伝えていくことのほうが大切だと思っています。
実際、日本で大会を開催する際にも、参加してくれる人にとっては12月にブラジルの大会に参戦したいというのが、大きなモチベーションになっていますから。その意味では、フレスコボールに初めてであった頃の私とまったく同じ気持ちを抱かれているんだと思います」
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窪島氏が「思いやりの競技」と表現し、『青春』をもう一度体験しようと老若男女が楽しむフレスコボール。HALF TIMEでは今後も連載形式で、引き続き日本フレスコボール協会の窪島剣璽会長に伺っていく。