幼少の頃からスポーツの本質に気づき、多文化環境によって引き起こされた苦悩も、「スポーツによって乗り越え、スポーツを通じてコミュニケーションを図り、人間関係の構築ができた」と振り返る秦 アンディ 英之さん。今年6月から日本のプロバスケットボールチームで、愛知県豊橋市をホームタウンとするB.LEAGUE所属の三遠ネオフェニックスを運営する株式会社フェニックスに入り、VP(国際部門バイスプレジデント)兼GM(ジェネラルマネージャー)に就任した。秦さんが「新しいチャレンジ」という新天地での夢の話を中心に、これまでスポーツを通じて得たものや苦悩、異業種に飛び込んで挫折を味わっていてもくじけない原動力などについて訊いた。 (初出=NESTBOWL)
◇秦 アンディ 英之(はた あんでぃ ひでゆき)
株式会社フェニックス 国際部門バイスプレジデント兼ジェネラルマネージャー
1972年ベネズエラ生まれ、アメリカ・ペンシルバニア州フィラデルフィア育ちの元アメリカンフットボール選手。明治大学ではアメフトの明治大学グリフィンズに所属し、副主将兼主務として活躍。大学卒業後の1996年にソニーへ入社し、働きながら明大のコーチを1年間務める。翌年に社会人アメフトリーグ「Xリーグ」に所属するアサヒビールシルバースターに3年契約で入団。契約最終年となる1999年には自身初の日本一を経験する。1999シーズンを最後に引退。
ソニーには2012年まで在籍し、FIFAとのトップパートナーシップなど、全世界を束ねるグローバル戦略の構築を担当。その後は、スポーツ専門の調査コンサルティング会社ニールセンスポーツの日本法人の代表を経て、2019年に総合格闘技団体「ONEチャンピオンシップ」日本代表取締役社長に就任。2020年よりJリーグ特任理事に就任。2年後に退任したのち、株式会社フェニックス VP(国際部門バイスプレジデント)兼GM(ジェネラルマネージャー)に就任した。
俯瞰的な立場ではなく、アスリートに近い視点を持って現場で働きたい
5月31日に自身のFacebookで、ONEチャンピオンシップジャパンから退くことを報告した秦さん。2019年に日本代表取締役社長に就任して、同年3月と10月の2度の日本大会の開催を成功させたが、20年1月頃から発生した新型コロナウイルスの蔓延により、海外選手を招いての日本大会の開催はできない状況に。その後の取り組みについて伺った。
秦 アンディ 英之さん(以下、秦):「今回、心機一転、B.LEAGUE所属の三遠ネオフェニックスを運営する株式会社フェニックスの要職に就いたのは、様々な思いと感情が重なり合った結果です。就任に際しては、地方創生や地域と人的交流の活性化、次世代の育成などが目的として挙げられますが、個人的にはプロのスポーツクラブの現場に入りたかったのと、俯瞰的な立場ではなく、アスリートに近い視点を持って現場で働きたいという思いがありました。
特にVP(国際部門バイスプレジデント)として、<国際>は非常に可能性を感じている領域です。スポーツは国と国を繋げるツールであり、地域性を引き出す、地域の架け橋になる。チームがある「三遠」という一地域を、国内・外と活動を広げることがミッションです。
9月30日に開幕する2022-23シーズンからはチーム復活に向けて、牛尾信介新社長による新体制のもと『強化・共育・地域』の3つの方針を掲げます。まず強化は、歴史ある三遠ネオフェニックスのチームの立て直しを指します。スポーツビジネスにおける自分の経験値と、自分自身のアメフトでの優勝を始め、様々な競技の一流組織と触れ合った経験を現場と融合して、勝つ組織に育てる。共育は、スポーツを一つのきっかけとして、国際交流を促し、少子化の中で地域の教育を充実させ、国際的に通用する人材を育成すること。そして地域では、ホームタウンの活性化や国内・外の交流を深めていきます」
実際、新体制が発足したシーズンにリーグ最優秀選手賞(MVP)を獲得し、島根スサノオマジックに所属していた金丸晃輔選手の加入を発表。さらに、チームの来季のヘッドコーチに、千葉ジェッツを6年間率いた名将・大野篤史氏が就任した。2人の加入により、三遠ネオフェニックス躍進の期待が高まる。
グローバルなネットワークを最大限活かして、変化の風を起こしたい
秦:「VPとしてすでに取り組んでいるのは、バスケットボールの最高峰・アメリカでは不可欠な“バスケットボール・アナリティクス”(プレーの数字を分析してチームの強化を図る)の第一人者であるハーバード大学と日本では初となる提携を結び、ノウハウを導入。三遠ネオフェニックスの強化に活かしていきます。
さらにその取り組みで得たものを、地域の大学などと共有・還元し、ビジネス界にも親会社を通じて伝えていきたい。また、シーズン中に<ハーバードデー>を設けて、地域を巻き込んだお祭りを開催。将来ハーバードを目指す子どもたちを支援していきたいと思っています。
GM(ジェネラルマネージャー)としてのミッションは、やはりチャンピオンチームを作ること。一流のマインドと技術を持った選手・スタッフが、アメリカの最高峰からいろんなものを吸収して、よりレベルアップしていく仕組みを作り、勝てるチームに育てたい。そして、4年後の2026年にはホームタウンにアリーナが完成するので、NBAチームを招いて開幕戦をするのが目標です。
“勝てるチーム作り”という明確な目標を持って挑む新天地での仕事。ONEチャンピオンシップでグローバルビジネスを学び、メディアミックスの重要性を感じました。Jリーグ特任理事では国内における様々な課題も見てきました。自分が積み上げてきた経験値を、三遠ネオフェニックスの現場に還元できるように、VPとGMの仕事の領域をクロスオーバーさせて、スポーツ界の未来を切り拓いていきたい」
「スポーツに救われた」ともいえる半生、幼少期から学生時代を振り返る
秦:「親の方針でスポーツ大国のアメリカで育ちました。現地に適応するための教育が徹底していて、良い意味で捉えれば“現地化”できましたが、アメリカの小学校に6年間通って、日本に帰って中学校に入ると、宇宙人扱いされました。日本語が片言だったり、アメリカでは当然の自己主張が通じなかったり、日本的な協調性を重んじる文化からはみ出してしまうわけです。でも自分では、そういうことが分からず、いつの間にか溶け込めなくなってしまい、異質とみなされ、弾き出されてしまう。それで脱落しかけた時期に助けてくれたのがスポーツです」
秦さんは中学でバスケットボール部に入り、コートの上で一つのボールを競い合うと、仲間たちは「お前、やるじゃん!」と認めてくれたそうだ。その時に理解したのが、「スポーツは同じ土俵に乗せてくれる」ということ。日本での中学3年間を過ごして、「好きなアメフトをもう一度やりたい」というのが大きなモチベーションとなり、アメリカの高校に進んだ。
秦:「アメリカに行ったら、今度はアメリカで溶け込めなくなりました。いつの間にかジャパニーズイングリッシュになっていて、自己主張しなくなった自分がいて、周りからも“アンディ、昔と違うね”と指摘された。ですが、アメフト部で、自分は身体が大きくなかったものの、練習中に一番身体の大きい相手に当たりにいくうちに、周りがだんだん認めてくれるようになりました。スポーツの本質は『勝ったら賞賛、負けたらもう一度チャンスを与える』こと。この本質は、人生そのものに適応できるもので、自分は子どもの頃から何度もスポーツに救われました。スポーツによって乗り越え、スポーツを通じてコミュニケーションを図り、人間関係の構築ができたのです」
アメフトで日本一を経験した時に感じたスポーツの危機感
秦:「自分とスポーツの関わりには2つの大きなターニングポイントがあります。一つは、自分が大学生のときに、ラグビーをやっていた親友がゲーム中に亡くなってしまったこと。泣いてばかりいましたが、あるとき彼が夢に出てきて “アンディ、おまえだったらどうするんだ”と言われた。それで、“そうだ、残された者は人生を目一杯エンジョイして、亡くなった友人ができないことを一生懸命やらなければ”と思ったのです。
もう一つは、自分の現役引退のとき。社会人アメフトリーグ・Xリーグに所属して3年目に日本一を決めるライスボウルで優勝しましたが、スタジアムには観客がほとんど入っていませんでした。なぜかその年に限ってガラガラで、自分は3年間、無我夢中でアメフトをやってきてついに日本一になったのに、その大舞台がこんな状況でいいのかと非常に危機感を感じたのです。現役としては、満員の観客の大声援の中で勝つことこそ大きな褒美ですから、この現状はまずいなと。そこで“裏方に回ろう”と決意しました」
このとき秦さんはアスリートとして絶頂期の26歳。選手としてピークのときに裏方の世界に飛び込んだのは、親友の死とガラガラのスタジアムでの現役引退が密接にリンクしている。それが秦さんの「スポーツで恩返しをしたい」という今も変わらぬ思いの原動力になっているという。
秦:「今でももちろんくじけそうになるときはありますが、自分の中心に常に消えない炎があって。スポーツの本質を広げることで、自分が得てきた経験値や価値を継承していけるという大きなサイクルに気づきました。17年ほどスポーツの最前線で戦ってきましたが、現役の最中に気づいたのは、『フロントに力がないと、世の中に対し影響力が出ない。スター選手の存在だけでは変わらない』ということでした」
自分がやりたいことや思っていることを「言い続ける」ことが大事
秦さんは、現役時代に企業側の“スポーツを活用するしくみ”が弱いことに気がつき、当時在籍していたソニーがサッカーのワールドカップに協賛して得た経験やノウハウをもっと広く伝えていく必要があると痛感。ソニーを退社後、スポーツの効果測定を普及する活動に尽力し、ニールセンスポーツでは、日本のみならず、中国、韓国の代表も務めた。
そして、アジアで一番ニールセンのデータを活用していたシンガポール発祥の総合格闘技団体「ONE チャンピオンシップ」と出会い、日本支社代表に就任。約3年間、デジタル時代のスポーツプロパティとして注目された格闘技イベントの指揮を執るが、新型コロナウイルスの蔓延によって当初の予定や計画はことごとくストップしてしまった。
秦:「社会がこれほど激動している中で、今は誰も答えを持っていません。それではどうするか。“みんなで答えを導き出す”のです。人やモノをかけ算して、アクションを起こせる力を持つべきです。自分ができることを起点に置いて、最大限のパワーを発揮できる環境をどう求めるかが大事。自分がやりたいことや思っていることを言い続け、軌道修正しながらまた発信する。それでも次の壁にぶつかりますが、気持ちを持ち続けることが大事です。答えがない時代だからこそ、自分に立ち戻るべきだと思います」
「スポーツで恩返しがしたい」という思いを強く胸に抱く秦さんは、三遠ネオフェニックスのVP兼GMに就任の際、次のようなメッセージを発信した。
Now is the time! Let’s make it happen together !!! We are PHOENIX !!!
(時がきた! 共に夢を実現しよう! 我々こそはフェニックスだ!)