「眠れる獅子」。かつて水泳界はこう呼ばれていた。世界中で多くの人が親しみ、五輪でも人気種目でありながら、マネタイズやファン獲得、アスリートファーストの実現などで遅れを取ってきたからだ。この状況を一変させたのが、ISL(国際水泳リーグ)である。しかも今年は日本のチームがついに参戦。競泳界の新たな未来を拓きつつ、コロナ禍に苦しむ日本社会全体にも元気と笑顔を与えようとしている。大学時代は体育会水泳部に所属し、競泳に精通する数少ないライターである著者が、「東京フロッグキングス」をGMとして率いる北島康介氏に独占ロングインタビューを実施した。
前回:東京フロッグキングスGM北島康介が語る「競泳が団体競技に変わるおもしろさ」
ISLがもたらすアスリートファースト
個人競技の競泳を、ある種の団体競技に変えるフォーマット。東京フロッグキングスGMの北島康介氏は、これがISLの一つ目の大きな特徴だと指摘した。この方式は第2の大きな特徴であるプロレースにつながる。ISLでは選手の個人記録がチームポイントとして集計され、チームの総合成績に応じて賞金が分配されるからである。
たしかに従来の水泳界にも、賞金が支給される大会は存在していた。たとえば国際水泳連盟が主催していた世界水泳選手権大会では、成績に応じて賞金が支給されていたし、昨年、やはり国際水泳連盟によって開催された「チャンピオンズ・スイム・シリーズ」は、賞金総額約300万ドル(3億円)という豪華な大会になった。
だがISLはチーム対抗というフォーマットの革新性、イベントそのもの魅力、そして純粋な賞金総額のすべての面において、既存の大会を大きく凌駕する。事実、今年の大会の賞金総額はなんと約600万ドル(6億円)。競泳界の常識を変え、経済的なアスリートファーストを促進する契機になるだろうと期待される所持だ。
そもそもISLは水泳を愛してやまないウクライナの富豪、コンスタンティン・グリゴリシン氏が考案し、私財を投じたところからスタートしている。
競泳界にとっては時ならぬ追い風が吹いた形になったが、実現に至るまでの道のりは平坦ではなかった。国際水泳連盟側は、ISLの構想に拒否反応を示し、雛形となる大会への参加を選手に禁じた経緯もある。上記の「チャンピオンズ・スイム・シリーズ」も、実はISLに対抗すべく設立された大会という意味合いが強かった。だが北島氏はISLの開催を契機とした新たな流れは、加速していくだろうと見ていた。
「賞金が支給される大会は、以前も開催されていました。また、海外にはプロ志向が強い選手がいたのも事実です。でも競泳の場合は、やはり基本的にはオリンピックを頂点とするアマチュアスポーツという認識が強かったので、賞金をもらうことに対して抵抗感を持っている選手や関係者も少なくなかった。むろん一口に水泳界といっても規模は大きいし、それぞれの国ごとに解決しなければならない問題は変わってくる。だから各国の連盟や関係者の間での細かな調整は、今後も続いていくでしょうね」
「でもISLに参加する流れは、もっと加速していくと思います。実際、去年は数多くのトップ選手がISLの考え方に賛同して大会に参加したわけですし、水泳界の未来を拓くような素晴らしい取り組みであることは、すでに明らかになっていますから」
日本競泳界のパイオニアとしての矜持
このような流れは、日本にも相応の影響を与えていくはずだ。これは競泳に限った話ではないが、日本のスポーツ界は企業スポーツと結びつく形でアマチュアリズムが深く根付いてきたために、アスリートのプロ化がなかなか進んでこなかった。
それを考えればISL参戦の旗振り役に北島氏が就任したのは、まさに必然だったとも言えるだろう。北島氏は大学卒業後、早い段階でコカ・コーラと契約を締結。日本初のプロスイマーとして活動を続け、オリンピックにおいて2大会連続2冠の偉業を達成している。さらに現役を引退した後は「KOSUKE KITAJIMA CUP」という賞金大会を独自に設けるなど、日本の競泳界において、選手の経済的な自立を促しながら競技レベルを向上させていくための改革を推進してきたパイオニアだったからだ。
「僕の場合はレースの結果に対して対価を得るのではなく、自分が持っている価値に対して支援していただく形でプロ契約を結びました。でも日本のスポーツ界は企業が支援しているし、そもそもオリンピックを目指せるようなレベルの選手は、プロ契約を結ばなくても社会人になってからもサポートを受けることができる。だから不満を持つ選手があまりいないのも事実なんです」
「しかしISLは、根本的な枠組みからしてかなり違っている。大会に参加するだけで参加費が支払われるし、チームの一員として勝利に貢献することによっても、対価を受け取ることができる。これは競泳選手にとって画期的なことなんです」
「ただしこのチャンスを活かすためには、個々の選手があくまでも自分はプロとして参加し、それに対して対価を受け取るということをしっかり認識することが求められてくる。実際、僕たちもISLという大会ができたから参加しませんか?と単に呼びかけるのではなく、やはり選手やコーチ、あるいは様々な関係者に意識を変えてもらうことがきわめて重要だと思っています。ISLを成功に導けるかどうかは、そこが鍵になってくるでしょうね」
なぜ意識改革が鍵を握るのか
「意識を変えていくことがきわめて重要になる」
この北島氏の言葉は重く響く。根本的な意識を変えていくのは、ある意味ではタイムを縮めていくことよりもはるかに難しい。さらに述べれば、発展的な形でアマチュアリズムからの脱却を目指していかなければならないことも示唆する。にもかかわらず北島氏が意識改革の必要性を説くのは、そこに未来があると確信しているからだ。
「僕はもちろん様々な形で強化に携わっていますので、ISLへの参戦に関しても日本水泳連盟とも協力しあって、(アマチュアの大会とプロの大会を)共存できる道を確立していきたい」
「僕自身、夢を抱いたのはオリンピックという世界一の大会だったし、オリンピックを目指しながら選手として育ったので、そこに現役の選手がフォーカスする気持ちもよくわかる。だからオリンピックのことも考えた上で、このISLという大会をどういう位置づけにするのかということを、みんなで知恵を出し合いながら、建設的に考えていければと思っています」
「また、日本がここまで強くなることができたのは、やはり日本のスポーツ界が育んできた伝統や文化に負うところが大きかった。こういう良い部分は、次の世代にしっかり継承していく必要がある。でも日本の競泳界を発展させ、水泳というスポーツそのものの未来を拓いていくためにはやはり意識を変え、新しいチャレンジを推し進め、古い発想や枠組み、利害関係を打破してかなければならない。そこに囚われるのは、選手にとってプラスにならないからです。だからこそ僕はISLへの参戦を必ず成功させたいんです」
「たとえば日本国内に限っても、ISLへの参戦はもっと競技人口を増やしたり、水泳に親しんでもらえる人を多くしたり、10年後20年後の未来を見据えて、生涯スポーツとしての位置づけをより確立していくことにつながる。また選手の側に立てば、ISLへの参戦は単に記録を出したり、オリンピックでメダルを取ることを狙ったりするのではない、全く新たな市場を開拓するきっかけにもなるんです」
競泳界の前途に広がる広大な未開拓の市場
ISLはスポーツビジネスという観点から見ても非常に興味深い。そもそも水泳は非常に競技人口が多く、各種の大会でも花形競技となってきたが、他のスポーツに比べてマネタイズが遅れているということが度々指摘されてきたからだ。
事実、ISLの公式サイトではアメリカの4大スポーツやサッカーW杯、そしてオリンピックなどと比較。事業化がほとんど図られてこなかったことを強調している。驚くべきことに世界水泳連盟の大会が得てきた放映権料は、サッカーのチャンピオンズリーグの40分の1、オリンピックの80分の1、NFL(アメリカンフットボール)との比較では、なんと140分の1に留まるという。
ちなみに同サイトでは、従来は選手に賞金が分配されてこなかったことや、必ず大会に参加できるレギュラーシーズンが実質的になかったことなども指摘されている。北島氏が意識改革の必要性を説くのも、このような認識を共有しているからに他ならない。
「競泳は人気種目だと言われてきましたが、実質的に世界中にコンテンツを配信できるのは4年に1回、オリンピックが開催される時だけに限られているのに近かったんです。ただしアメリカのテレビ局では、オリンピックの水泳競技の視聴者数はそれでもトップ10に食い込んでいる。これは見方を変えれば、水泳というスポーツ自体に根本的な魅力、人を惹き付けるチカラがあるということなんです」
「たとえばヨーロッパのサッカーやアメリカの4大スポーツは、プロリーグの基準のような存在になっていますけど、競泳界で新しいフォーマットのレースを立ち上げて競技の楽しさや魅力を違った形で発信しながら、より多くの人の目にどんどん触れてもらえるようにしていく。こうすればサッカーや4大スポーツに匹敵するグローバルな市場を作り出せる可能性は十分にある。僕自身ずっとそう感じてきましたし、ISLを立ち上げた人間もきっとおそらく同じことを考えていたんでしょうね」
アジア戦略と北島氏に課せられた使命
グローバルな展開を目指していく上で、北島氏が率いる東京フロッグキングスはきわめて大きな役割を担っている。現在、日本のメディアは「日本から初出場」という文脈ばかりで論じているが、北島氏が率いるチームはアジア全体の中でも初めてISLに参戦するチームとなったからだ。
「僕がISLに関わったのは去年、先方から『君しか(アジア地域でのチームの立ち上げを)できる人間はいないから、この新しいプロジェクトに一緒に取り組んでくれないか』と頼まれたことがきっかけだったんです。やはり世界の中でのアジア市場は非常に大きいし、スポーツ界でもアジア市場は無視できない。しかもアジアのスポーツは急激に強くなってきている」
「もちろん、その後はいろんな調整に追われましたけど、ようやくISLに参戦できるところまでこぎつけた。今年に関しては手探りの部分もありますが、僕はやはりGMとして東京フロッグキングスを強豪チームに育てていきたい。だからマネージメントの方法やチーム作りに関するアイディアを各界から貪欲に吸収していくつもりです。ゆくゆくは世界に発信できる企業と組んで、一緒になにかを仕掛けることも考えていきたいですね」
*
遂に2020年のシーズンが開幕し、東京フロッグキングスも初出場を果たしたISL。日本、そして世界の競泳界の未来について、HALF TIMEでは引き続き東京フロッグキングス GM 北島康介氏に連載形式で伺っていく。
▶︎北島康介氏に伺う「東京フロッグキングス・ISL参戦」連載一覧はこちら