東京2020オリンピックを控えた昨年夏、日本フェンシング協会は『World Fencing Day Japan』を都内で開催。日本のフェンシングに関わる人の考えや思いを討論し、学びの場を提供する目的で行われたイベントは3つ目のセッションに突入。『覚悟 ~「その日」に向けての準備と納得!~』と銘打たれ、大いに盛り上がったセッションをレポートする。
選手に求められる覚悟 柔道レジェンド・野村忠宏氏は
協会運営を中心とした1つ目のセッションとスポーツビジネスを中心とした2つ目のセッションの後、ランチワークショップの次に始まった3つ目のセッションは、『覚悟 ~「その日」に向けての準備と納得!~』と題したパネルディスカッション。3大会連続でオリンピックの金メダルを獲得したレジェンドに、東京2020オリンピックを目指してラストスパートするアスリートも加わった熱い議論は、現役選手たちが前のめりに聞き入る貴重なセッションとなった。
モデレーターを務めるアゴス・ジャパン代表取締役の横山匡氏が、現役選手・元選手を迎え、「筋肉中心のセッションでやりたいと思います」と切り出して笑いを誘い、いきなりの盛り上がりを見せたセッション。まず“覚悟”について語ったのは3大会連続の金メダルを獲得した柔道家・野村忠宏氏だった。
柔道ファミリーに生まれたが、若い頃は本当に弱い選手だったと話す野村氏。「それなりの考え方しかなかったし、甘い部分はいっぱいありました」と振り返る。大学3年生で初のオリンピック出場が見えてきた時も、翌年のアトランタ1996オリンピックではなく、5年後のシドニー2000オリンピックに出られればと思う程度だったという。
他の上位選手が調子を落としたこともあり、アトランタ1996オリンピック出場が決まる。最初は不安で仕方がなく、自分が代表でいいのか、覚悟や自信を持っていない自分でいいのかと悩む日が続いた。だが「代表になったなら、いかに金メダルを取るか、勝つために何をしないといけないのか。そこを具体的に考える。最初に覚悟を持った瞬間はそこです」と腹を決めると、実際に行動に移した。
まず、オリンピックという未知の大舞台で金メダルを取るため、3つのテーマを掲げた。1つ目は常に前に出て攻撃し続けること、2つ目はどのようなピンチが来ても絶対に表情に出さないこと、そして3つ目は絶対に諦めないこと。1つ目は自分の長所、2つ目は自分の短所、3つ目は勝負事の鉄則であり、自分のことを理解した上で信念を貫き通した。その準備が功を奏して1つ目の金メダルを獲得することができたという。
横山氏は、昨年の本イベントに参加した競泳の北島康介氏が語った「勝つ運命は握れない。勝てると信じた準備の運命しか握れない」という言葉を紹介し、スポーツに留まらず留学準備や進路選択、ビジネスにおいても「何に納得して準備を整えるか、それが時間内に間に合うのかということが重要」と語った。準備の入念さはトップアスリートに共通し、不可欠であることを示した。
競輪からトラック競技へ 自転車競技で新たな道を拓く新田祐大氏
次に、1億円に達する減収を受け入れて五輪を目指す“覚悟”を明かしたのが、自転車・トラック競技チームDream Seekerの代表で、公営ギャンブルの競輪選手と、自転車競技選手の両方の顔を持つ新田祐大氏。
もともと自転車とは無縁だったが、中学1年生の時に長野1998オリンピックでスピードスケート・清水宏保氏の500メートル競技を見て感動。オリンピック選手を目指そうと決意した。自分なりにオリンピックへの最短ルートを調べ、競輪選手になり活動資金を集め、そこからオリンピックを狙うことが近道と判断して今に至る。
現在、自転車トラック種目の男子ケイリンで世界ランク1位。だが東京2020オリンピックへの出場は確約されていない。開催国枠はなく出場枠は最大3人だが、世界ランク10位以内に日本人が3人入っており、10位以下にも力のある日本人選手が控えているのだ。全力でオリンピックレースを戦わなくてはいけないため、おのずと収入の糧である競輪での出場が減っている。
1番多い時には1年間で1億6,000万円を競輪で稼いでいたが、オリンピックを目指すことで、6,000万円ほどに減ったという。それでも一般人からすると羨ましい額だが、競技に使用する自転車は高価で1台200~300万はザラ、3,000万円する自転車もあるほど費用がかかる。収入を減らし、多額の自腹を切ってオリンピックを目指す日々だ。「選手になって10年以上経ちますが、(今までの)蓄えを使って、この東京2020オリンピックに挑んでいます。それが今の僕の覚悟かな」と話した。
フェンシング界期待の女子サーブル・江村美咲氏
フェンシング・女子サーブル日本代表の江村美咲選手は、個人と団体の間で揺れた心に決着をつけ、オリンピックに向かう覚悟を語った。以前は個人第一で競技に打ち込んできたが、2017年のユニバーシアードで団体金メダルを獲得。その時に団体戦で勝つ喜び、その喜びを分かち合う楽しさを経験し、個人よりも団体に力を入れてやってきたという。
だが自国開催のオリンピックが近づく中、「団体戦は1人の力ではどうしようもない。自分の人生だなと思って、今は個人が第一。自分が個人戦で結果を出して、団体戦でも自分のポジションで自分のやるべきことを今まで以上にできれば、それがチームの貢献にもなる」と個人を最優先する“覚悟”を示した。
横山氏は「チームワークへの1番の貢献は、自分のレベルアップと常に言われていました」と、大学時代に師事したアメリカで20世紀最高のバスケットボールコーチと呼ばれる人物の金言を引き合いに出し、個人が成長し、自分を突き詰めることが大事という意見に理解を示した。
これに賛同したのは野村氏も同様だ。日本スポーツのお家芸として常に金メダルを求められる柔道ならではの、尋常ではない重圧や苦しみを赤裸々に告白。「ただ、それ以上に金メダルを求めたのは自分だった。私には応援してくれる人や支えてくれる人が本当にいっぱいいました。でも、そういう人のために頑張ろうというのはさらさらない。あくまで自分のためにやる」と、周りに助けやモチベーションを見出すのではなく、己に意識を集中させることが肝要だと強調した。
その考えに新田氏も同調。個人で頂点を目指すことが1番重要であることを示し、さらにフランス人のコーチからは、「俺はお前に金メダルを取らせる手助けしかできない。ただ金メダルをつかみ取れるかを決めるのはお前次第だ。だから、やりたいのかやりたくないのかは、俺は決められないからお前が決めろ」と激励された経験を明かした。
そこにあるのは競技者としての心構えの原点なのかもしれない。「重要なのは、何のためにオリンピックを目指すのか、オリンピックのメダルを目指すのか、その色は何が欲しいのか。常日頃、毎日考え続けること、そして求め続けることが、恐らくプロのアスリートであるし、これが仕事だと思う」と語る新田氏の言葉に熱がこもった。
大舞台を迎える準備 フィジカルもメンタルも、オンもオフも意識
そして話は、個人競技の柔道で、己を突き詰めてオリンピック3連覇を達成した野村氏に移る。1度目と2度目のオリンピックの違いについて聞かれると、精神的な部分にあったと回答した。アトランタ1996オリンピックではオリンピックに出たいなという程度の意識の中で、世界一にチャレンジ。次のシドニー2000オリンピックは金メダリストとして世界中から研究されての挑戦だった。
シドニー2000オリンピックに向けては、2つのモチベーションがあったという。まずは連覇すること。加えて、いかに自分の柔道を進化させて、研究されても勝てる“新しい野村の柔道”を作り上げるかだった。技や戦い方などのバリエーションを広げ、得意の背負い投げを研究されても、違う技、違うタイミング、あらゆる方法で勝てる自分自身を4年間かけて作ったことで、2大会連続で表彰台の1番高い場所に立った。
限界と言われながらも挑んだ3回目のアテネ2004オリンピック。「今まで(2大会を通して)やってきたことを自信に、何かがその場で湧き出てくることを信じて戦ったというのが印象的だった」と横山氏から話を振られると、「日本一、世界一をつかむためには目標を持って戦っていくだけではダメ。どういう意識を持って、本当に世界一になる練習をできているのか、世界一になる危機感、恐怖、プレッシャーを抱えながら、休むことも大事。休める人間は強い」と野村氏。
自分自身を追い込むと共に、休養の大切さにも話が及ぶと、普段の練習や心構えなどについても話は広がっていった。
「練習の時に、より試合に近いメンタルに持っていく方法は何かありますか?」と江村選手が質問すると、野村氏は「時間も大事だけど、質を高めていくことが大事。質を高めるには基本練習でも実戦練習でも、何に対しても、1つ1つの行動と動きに意識を持っていく。その意識はすべて、東京オリンピックにつながる」と力説した。
柔道界のレジェンドは、自分以上に練習している選手や、より危機感を持って人生をかけている選手がいることを想定し、一層の危機感、覚悟、恐怖を持つことも提案。さらに今まで試合で経験した悔しい思いを、常に思い出して練習に取り組めば、大きな変化が生まれることも付け加えた。
さらに質問は会場からも続き、フェンシングの現役選手から「試合で100%の力を出すのに一番大事なことは何ですか?」と問われた新田氏は、「終わった時に自分が納得できていれば100%ですし、納得できてなければ100%ではないのではないか。いつも僕は、練習でも試合でも、自転車にまたがった時に、後悔だけはしたくないと思ってやっているので」と答えた。金メダルを狙って挑んだ今年2月の世界選手権で銀メダルに終わったが、結果に関係なく、それまでの練習や挑む姿勢について最大限やり切った納得感があったという。
東京2020オリンピックへ 次への抱負
これまでの話を踏まえ、今後の意気込みを聞かれた江村選手は「質の高い練習、危機感を持つ、妥協しない。今日勉強したことばかりですけど、それを実践して自分が後悔しない、納得できる挑戦をしたいなと思っています」と決意を新たにした。
新田氏も呼応し「僕も東京2020オリンピックのメダルを目指している1人ですが、(フェンシング競技の)皆さんは最大枠18人とのことですので、18人と一緒にメダルを掲げて、並べるように僕自身も頑張りたいですし、みんなと一緒に頑張っていきたいなと思っています。ぜひ、2020年8月にメダルを見せ合えるように、一緒に頑張りましょう」と呼びかけた。
最後に、フェンシングの現役選手たちに激励の言葉を送ったのは野村氏。太田雄貴会長が先頭に立ち改革を行い、試合会場の観客が満員になり、支援するスポンサーが増えている環境を踏まえ、「期待される苦しさを感じながら、期待される喜び、注目してもらえる喜び、そういうのをもう一回考えて欲しい」と熱く語りかけた。
そして東京2020オリンピックに向け、「自分の持っている技術、能力、性格、価値観、そういうものをすべて考えた上で、自分がどうあるべきか、個人でどうあるべきかを考慮し、個人の強さを求めて行って欲しいなと思っています。時間はないですけど、若い選手は半年もあれば変わる。なんとか自分の弱さを認めて受け入れて、変えていくことを考えて頑張って欲しい」と野村氏は続け、更なる奮起を促した
最後には横山氏が「ぜひ頑張ってください、ではなくて、今は、明日を、明後日を納得して日々を過ごしてください。明日からの行動に1つでもつなげてもらえれば、セッションをやった甲斐があると思うので」と締めると、会場からは大きな拍手が送られた。
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次回は「World Fencing Day Japan」最後のセッションで、ヤフー取締役常務執行役員の小澤隆生氏、ビズリーチ代表取締役(当時/現ビジョナル代表取締役社長)の南壮一郎氏、元JリーガーでSOU代表取締役社長(当時/現バリュエンスホールディングス株式会社代表取締役社長)。の嵜本晋輔氏を迎えた、『Athlete Firstを超え、Athlete Future Firstへ!~理念の本質。最優先は選手の未来!~』の様子をお届けする。
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