東京2020オリンピックを控えた昨年夏、日本フェンシング協会は『World Fencing Day Japan』を都内で開催。日本のフェンシングに関わる人の考えや思いの討論と学びの場の提供を目的としたイベントの最終回は、『Athlete Firstを超え、Athlete Future Firstへ!~理念の本質。最優先は選手の未来!~』セッション。アスリートの現役キャリア、セカンドキャリアの議論が大いに展開された。
現役アスリートがどれだけ「スポーツ以外」のことを考えられるか
『World Fencing Day Japan』の最後のセッション『Athlete Firstを超え、Athlete Future Firstへ!~理念の本質。最優先は選手の未来!~』は、アスリートの今後のキャリアを考えるにあたり多くのきっかけを提供する場となった。
「私自身のキャリアが少しユニーク」と述べたのは、バリュエンスホールディングス株式会社代表取締役社長(当時株式会社SOU代表取締役社長)の嵜本晋輔氏だ。Jリーグのガンバ大阪で3年間プレーした経験を持つ同氏は、22歳の時にサッカー選手としてのキャリアに見切りをつけ、「前向きな撤退」を決意した。
そこに至るまでには葛藤もあったが、ガンバ大阪を退団後、当時JFLの佐川急便大阪SCに所属したことが転機となった。この時初めて自分自身を客観視できるようになると、Jリーグで通用するのか?という問いに対してすぐに答えが出たという。
「サッカーで未来に投資すること自体が、この先(自分自身の)20年、30年を考えた時にちょっと違うなと」
若くして新たな道へ踏み出し、今や上場企業の社長になったものの、Jリーガー時代については「時間の使い方という点では、あまりにもサッカーしか見られていなかった。浪費というような時間もかなり多かった」と振り返った。現役時代から引退後のキャリアをしっかりと描けているか。その重要性はどの時代の、どんなアスリートにとっても共通の問題だろう。
アスリートのキャリア構築について、ヤフー株式会社取締役常務執行役員にして、楽天在籍時のプロ野球・楽天イーグルス創設メンバーでもある小澤隆生氏は、明るい口調でこう語る。
「70歳までは(現役は)できないですよ。24時間365日、自分の競技のことしか考えないということはないでしょう。今日何食べようとか、それと同じ感じで『引退後どうしよう』というのは当然考えるべきですよ。生活がかかっているんだから」
こう語る小澤氏が勧めるのが人脈作り・ネットワーキングだ。日本フェンシング協会の太田雄貴会長を例に挙げ、「私は何で彼と知り合ったのか分かりません(笑)。フェンシングやっていないですから。彼はちょっと面白そうな人がいると、時間を見つけてすぐ連絡して会いに行っちゃうんですね」と、同会長の行動力を引き合いに出し、会場に集まったフェンシング選手へ提唱した。
そして小澤氏は、「自分の競技以外のことに好奇心を突き詰めていく、そういう時間を作ってもいいかもしれません。それが30代、40代、50代の過ごし方を変えてくると私は心から思います」とも付け加えた。
英語試験導入に見る「選手の未来が第一」の体現
“最優先は選手の未来”がこのセッションのテーマだが、日本フェンシング協会は様々な改革を行う中で、選手の将来に種を蒔いている。その一つが、日本代表選手の選考に英語試験を加えるというものだ。
「2021年以降の世界選手権に選ばれる選手は、セファール(CEFR:語学力の国際標準規格)の基準でA2(英検準2級相当)以上の英語力が求められます。基本的に日本代表は外国人コーチの下でトレーニングしているので、英語でのコミュニケーションが常です。また1年の約3分の1は海外遠征に行っているので、日常的に英語を話すことが求められてくる。その中で今回、我々としては選手の将来のキャリアを見据えた上で、英語試験を導入しようと決断しました」
元フェンシング日本代表選手で、現在は総合商社に勤めながら日本フェンシング協会で理事を務め、このセッションでもモデレーターとして登壇した坂俊甫氏は、英語試験導入の意図をこう説明する。
選手は遠征中や練習の合間など、空いた時間も多い。イベントに参加したフェンシング選手も「僕が所属している会社の従業員の方より、(自分は)かなり時間がある」と実感を口にする。アスリートにとっては身体を休めることも練習の一環と言えるが、他のことに使える時間があるのも事実だ。
坂氏は、この取り組みについての意見をパネリストに求めると、「大賛成」と口にする嵜本氏。小澤氏は「僕は英語をあまり喋らないので、日本代表になれないことが分かりました」と会場の笑いを誘った。
そして、小澤氏と同じく楽天イーグルスの創設メンバーであり、現在、ビジョナル株式会社代表取締役社長(当時株式会社ビズリーチ代表取締役)の南壮一郎氏は「それに乗ってやってみるくらいの、変化に柔軟に対応できるようになってもらいたいなと思います」と述べ、選手たちに向けてこう続けた。
「太田会長はじめ協会の方々が、皆さんの未来に対してプラスになると思ってやってくれているのだから、誰よりもこの(英語試験)制度の体現者であってほしいです。フェンシングだけでなく日本のスポーツ界がそれで変わっていくとしたら、フェンシングに対するリスペクトがまた上がるわけですよね。これは捉え方だと思っていて、こういう制度を利用して『英語がペラペラになりました』となったら、選手としての価値がものすごく上がりますよ。そういう捉え方をするならば、素晴らしい制度なのではないですかね」
協会によると、英語を選手選考の足切りの材料にすること自体が目的ではなく、オンライン教材の無償サポートなどを受けた上で、選手が練習の合間や遠征中など、いつでもどこでも英語力向上に取り組める環境を作りたいという。つまり、根本にあるのは選手の自主性をさらに促したいとの意図だ。実際にコーチや審判とのコミュニケーションなど、競技を行う上で英語力は欠かせないものであり、引退後のキャリアを考えても意味のある取り組みと言える。
アスリートは「株式会社 自分」
セッションが質疑応答に移ると、フェンシング選手から起業に関する質問がパネリストたちに投げかけられた。
嵜本氏は、元々事業を営んでいた父の下でサッカー選手引退後の第一歩を踏み出し、後に2人の兄とともに父から事業を引き継いだ。さらに3兄弟でチーズタルトの専門店を「全くノープランで」始めたという。一見すると無謀な挑戦のようにも思えるが、海外にも店舗を展開するなど成功を収めている。「ど素人じゃないと出来上がらなかったレシピだった」と言うように、いい意味で業界の“常識”に染まっていなかったからこそ斬新なアイデアが生まれたのだという。
「アスリートは起業に向いていると思いますね」とさらに話を展開するのは小澤氏。自身も起業家として1999年に創業したビズシークを楽天に売却、また2011年クロコスを創業し翌年ヤフーに売却し、現在在籍するヤフーでは新興のスマホ決済サービスPayPayの陣頭指揮を取る。絶対に成功させてやる――そうした執念深さや自身の想いで周囲を巻き込む力、強い信念は、アスリートに共通しているという考えだ。
南氏も、「アスリートとしてやっている時点で起業しているのと同じだと思っています」と同調する。同氏のもとにもスポンサーの依頼がよく来るというが、ほとんどの場合がアスリート自身の話しかしない実情があるという。
「お客様がどういう課題を持っていて、自分はこういう解決ができます。それが僕のスポンサーになることで解決できます、というのがビジネスを始める上での原理原則」と続け、「アスリートは『株式会社 自分』という会社だと思う。たとえば、なぜ(ビズリーチに)スポンサーになって欲しいのか教えてもらわないと、スポンサーにはなってもらえない。スポンサーをする意味があるのなら、喜んでなりますよ」と会場に呼びかけると、どよめきさえ起こった。
さらに質問はお勧めの書籍にまで及び、小澤氏は人気漫画『キングダム』(原泰久作、集英社)を紹介。南氏はある工場の復活を描いたビジネス小説『ザ・ゴール ― 企業の究極の目的とは何か』(エリヤフ・ゴールドラット著、ダイヤモンド社)を挙げた。
そして嵜本氏は、自身の著書である『戦力外Jリーガー 経営で勝ちにいく 新たな未来を切り拓く「前向きな撤退」の力』(KADOKAWA)を推薦して笑いを誘いつつ、次のようにメッセージを送った。
「僕みたいな人間がなぜここまで成長しているのかというのを、ご自身の今の状況と照らし合わせながら読んでいただけると、何か気づくこともあるのではないでしょうか」
ポスト2020のスポンサー熱 個人アスリートができるアクションは?
質疑応答ではさらに、太田会長からもパネリストへの問いかけがあった。それは以下の2点だ。
- 東京2020オリンピック以降、企業におけるスポーツ支援やスポーツに投資する金額は減少するのか、増加するのか
- 企業側から見て応援したいと思うアスリートはどのような人物か
小澤氏は、オリンピック後に投資は鈍化すると指摘。「盛り上がりの余韻がありますから、いきなりズドンとくることはありません」としつつ、それでも今の段階からアクションを起こし、起こり得る未来に備えるべきとの考えを示した。
嵜本氏も小澤氏の意見に同調する一方で、「逆に言うとそこでも異彩を放つ、輝いている選手への投資というのは、どんどん集まってくるんじゃないかなと思っています。企業と選手が共に歩んでいける、意味を作り出している人には投資が流れ込むのでは」との見方を示す。
南氏も呼応し、「個人に応援してもらうか、会社にスポンサーしてもらうかって全然違うと思うんですよ。これからは多分、より個人にスポンサーシップの機会が増えていくのではないかと予想しています」と語る。今後、アスリートにはより自分自身のストーリーを作っていくことが必要だと指摘し、スポンサーを依頼する際、その相手のことを考え、共感してもらうことが未来につながると話し、「そのために勉強してほしいし、学んでほしいなと思います」と会場の現役選手たちにメッセージを送った。
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フェンシングに限らず様々なアスリートが自らスポンサーを探し、支援を募っている。現役生活をいかに充実したものにできるかという点でも、引退後のキャリア形成を考える上でも、『World Fencing Day Japan』は学びの多い時間となったはずだ。登壇者たちの実体験に基づいた重みのある言葉の数々を、参加者は聞き逃すまいと真剣に耳を傾けていた。
イベントの最後にはセッションの合間に行われた、参加者によるワークショップの発表会も行われた。フェンシングを通じてSDGs(持続可能な開発目標)にどう貢献できるか?をテーマに、10グループがそれぞれ発表。各セッションの貴重な話を吸収しながら、参加者同士で考え、アウトプットする機会にもなった。
イベントの開催前、「選手と社会の接点を作りたい」と語っていた太田会長。その想いが、選手や関係者、スポンサー企業に伝播し、これから少しずつ形になってくるはずだ。
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