オリンピック旗は、毎回、閉会式のセレモニーで次の開催国に受け継がれてきましたが、いつから制定されたのでしょうか?また、初代の旗が受け継がれているのでしょうか?もし、初代でない場合、今は何代目の旗なのでしょうか?オリンピック旗について詳しく紹介します。
オリンピック旗とは?
オリンピック旗とは、5つの輪で表現されたオリンピックマークを描いた旗のことを呼びます。
オリンピックマークは「近代オリンピックの父」と呼ばれるクーベルタン男爵が考案したマークです。
彼は、「青・黄・黒・緑・赤の色は、地色の白を加えると世界の国旗のほとんどを描くことができるという理由で選んだ」とそのマークを選んだ理由について書き残しています。
5つの輪は5つの大陸の結合を表しているとされていますが、どの色がどの大陸かは示されていません。
したがって、「青はオセアニア、黄色はアジア、黒はアフリカ」という説は、青は海の色、黄と黒は肌の色から連想したのでしょう。
ちなみに、オリンピック旗のことは「五輪旗」とも呼びますが、「五輪」という表現は新聞社が考案した表現です。
「オリンピック」が活字的には長いため、短く表現する方法を探していたところ、5つの輪を用いたマークであることと、五輪(ごりん)の音がオリンピックの「オリン」に似ていることから生まれたとされています。
オリンピック旗の掲揚は1920年アントワープ大会から
オリンピック旗は、1914年6月の国際オリンピック委員会(IOC)創立20周年記念式典でクーベルタン男爵によって披露されました。
そして、1920年のアントワープ大会以降、開会式で掲揚されています。
アントワープ旗
1920年に掲揚されたオリンピック旗は、アントワープ市が製作してIOCに寄贈したものです。製作した都市の名前をとってアントワープ旗と呼ばれました。
このアントワープ旗は、1920年の閉会式前に紛失してしまいました。
関係者が必死に捜索したものの見つからなかったため、1924年のパリ大会では、開催市のパリが製作しIOCに寄贈。
その時の旗が、1980年のモスクワ大会まで正式な旗として使われました。
77年経った1997年、アメリカオリンピック委員会主催のイベントで、アントワープ大会の飛び込み種目で銅メダルを取ったハル・ハイ・プリースト氏の自宅にアントワープ旗が保管されていることが分かり、アントワープ旗は2000年にIOCに返還されました。
現在は、スイス・ローザンヌのオリンピック博物館に展示されています。
ソウル旗
1980年のモスクワ大会は冷戦中であり、ソ連から1984年のロサンゼルス大会のアメリカには旗が渡りませんでした。したがって、1984年の大会ではレプリカが使用されたそうです。
その次の大会である1988年のソウル大会では、ソウル特別市が旗を製作しIOCに寄贈。1988年から2016年まで特別旗として使われました。
リオデジャネイロ旗
2016年のリオ大会では、リオ市が旗を製作しIOCに寄贈しました。
この旗は3代目の旗ということになりますが、ソウル旗より若干小さく、オリンピックマークが旗の面積に比較して大きく描かれています。
リオデジャネイロ旗は、閉会式で2020年開催の東京都の小池知事に渡され、現在は東京都庁に保管されています。
オスロ旗
オリンピックには夏季と冬季がありますが、オリンピック旗は1952年まで、その両方で使われていました。
1952年の冬季オリンピックの際に、開催都市であるオスロ市が冬季用に旗を製作し、IOCに寄贈したことから、アントワープ旗は夏季オリンピックのみで使われるようになりました。
夏季と冬季の旗には違いがあります。
その違いは、旗竿にリボンが結ばれているかいないか、ということ。
夏季の旗竿には青・黄・黒・緑・赤・白の6色のリボンが結ばれていますが、冬季用には結ばれていません。
旗を見るときに、旗竿のリボンを見てみるのも面白いですね。
まとめ
長い歴史のあるオリンピックですが、過去を調べるとオリンピック旗にもいろいろな出来事が起こっていることが分かります。
今回紹介した内容を思い浮かべながら、2020年の東京オリンピックのフラッグハンドオーバー(オリンピック旗授受)セレモニーを見ると違う楽しみ方ができそうです。
(TOP写真提供 lazyllama / Shutterstock.com)
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