オリンピックで日本人選手が大活躍するなど、今や国民的スポーツの1つである卓球。
温泉宿での風呂上がりや出先のちょっとした宿で卓球ができるとついつい皆で楽しんでしまうものですが、卓球の歴史については知らない、という方も少なくないでしょう。
本記事では、卓球の歴史について紹介していきます。
これを読めば、これから卓球を観る時、やる時、いつもよりちょっと卓球が楽しくなりますよ!
卓球の歴史。発祥の地は?
卓球は別名「テーブルテニス」。
テニスから派生したスポーツであり、その起源は、インドといわれています。
インドで発祥した卓球の起源と、その発展の歴史を紹介していきます。
卓球の起源。実はインドが発祥
テニスから派生したスポーツというと、卓球はヨーロッパで発祥したとイメージする人が多いかと思いますが、その起源は、実はインドとされています。
インドは、長い間イギリスの植民地であったことから、イギリスからテニスの文化が伝わります。
ところが、雨季のあるインドでは、外でテニスを楽しめないことが多かったよう。
その結果、生まれたのが「ゴッシマテニス」です。
ゴッシマテニスは、長方形のテーブルをネットで区切り、ボールをラケットで打ち合って遊ぶ遊びであり、まさに、現在の卓球そのものだといえるでしょう。
イギリスへ逆輸入
このゴッシマテニス、19世紀に宗主国であるイギリスに伝わります。
元々上流貴族のスポーツであったテニスですが、インドと同様、雨の日には外で出来ないという悩みがありました。
そんな時、インドからゴッシマテニスが伝わり、イギリスの上流貴族の間でも楽しまれるようになります。
イギリスに伝わった当初は、葉巻の箱などをラケットにしていたようです。
道具の発展
19世紀、イギリスに伝来した当初は、コルクをボールに使用していました。
ボールはその後、適度な反発力のあるセルロイド製のボールに改良されます。
また、当時、ラケットは中空で革張りのラケットが用いられていましたが、このラケットでボールを打つとき、太鼓のように「ピンポン」となったため、卓球の別名が「ピンポン」となったとされています。
1902年、日本に伝わる
インドで発祥し、イギリスに伝わった卓球は1902年、イギリス留学を終えた坪井玄道によって日本に伝わります。
坪井玄道は現在の筑波大学の前身である東京高等師範学校の教授であり、東京師範学校の学生に卓球を伝えました。
そして、この学生たちが教員となり、東京の大学や横浜の高校を中心に全国に卓球を広めて行きます。
手軽に老若男女問わず楽しめる卓球はすぐに全国に広まり、1923年には初の全国大会が開催されました。
1926年 国際卓球連盟発足
1926年1月、ドイツのベルリンで初の卓球世界大会が開催されました。
それを機に、イギリス・ドイツなどの9ヵ国・地域で国際卓球連盟が結成されます。
国際卓球連盟は世界選手権やプロツアーの主催をはじめ、国際ルールの制定などを行っています。
国際卓球連盟の行った大きなルール改正
国際卓球連盟の行った大きなルール改正として「フィンガースピンサービス」の禁止が挙げられます。
フィンガースピンサービスとは、指で強い回転を掛けるサーブ。
このプレーが生まれる前、当時の卓球ラケットは速く強い球を打つことができませんでしたが、そこで問題となっていたのが、ラリーが長時間化です。
第10回世界選手権では2時間以上もラリーが続いた記録が残っています。
その翌年の世界選手権で搭乗した革新的なプレーが「フィンガースピンサービス」です。
現在でも卓球の醍醐味となっている、「回転」を使ったプレーですが、回転に慣れない対戦相手はほとんどラリーが続かず、回転を使えない他の試合はダラダラと長くなるなど、極端な試合展開で観客が退屈するということが起こった為、国際卓球連盟は「フィンガースピンサービス」の使用を禁止しました。
第二次世界大戦後、ラバーの種類が増える
第二次世界大戦後、日本が「裏ラバー」によって卓球の歴史を変えました。
「裏ラバー」とは、従来のラバーを裏返して貼ることであり、裏ラバーを用いることによって、指を使わずとも強力な回転をかけることができるようになったのです。
ここで一気に技術が発展し、反発力の高い「スポンジラバー」や、裏ラバーとスポンジラバーのハイブリッド「裏ソフトラバー」、1枚ラバーと組み合わせた「表ソフトラバー」や表ソフトラバーの進化形「ツブ高ラバー」など、ラバーの種類が増えていきます。
革新的なラバーをたくさん生み出した1950年代の日本は黄金時代だったといわれています。
誕生当初、葉巻の箱のフタで代用されたラケットの歴史
ラケットの変遷
葉巻の箱 |
木製ラケット誕生。木の枠に羊の革を張った「バンジョーラケット」 |
空洞がなくなる |
ブレードに無数の穴を開けたラケットができる。ラケットの軽量化 |
柄が短くなる。操作性の向上 |
ペンホルダー全盛期 |
シェイクハンド全盛期 |
19世紀の終わり頃、卓球ラケットは葉巻の箱が用いられていました。
ボールもワインのコルクを丸く削ったものだったので、本当に上流貴族の単なる遊びとして楽しまれていたといえるでしょう。
卓球の人気が高まるにつれて、「バンジョーラケット」と呼ばれる木製のラケットが登場します。
「バンジョーラケット」とは、木製の木の枠に羊の革を張ったもの。
この時のラケットは、卓球がテニスから発展した名残で、柄の長いものが使われていました。
その後、より反発力を得るため、ラケットの空洞がなくなります。その結果、ラケットが重くなって操作がしづらいというのが新たな問題として発生します。
そして生まれたのが無数の穴を開けたラケットです。この頃には、徐々にラリーのスピードも上がり、操作がしやすいよう柄が短くなりました。
この時、ほぼ現在の卓球ラケットの形が完成します。
1980年代頃、卓球はペンホルダー全盛期となり、ペンホルダー用のラケットが主流となります。日本の卓球黄金期です。
1990年代以降は、回転技術の発展により、バックハンドも重要視された結果、シェイクハンドが主流となり、シェイクハンド用のラケットが一般的となりました。
まとめ
今回、卓球の発祥とその歴史について紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。
道具の歴史は技術発展の歴史であり、卓球のラケットの歴史を知ると、卓球の技術の歴史も見えて面白いもの。
卓球がテニスから発展したしたものであり、その発展の歴史に日本が重要な役割を果たしていると知ると、今後、さらに深く卓球を楽しめることができるのではないでしょうか。
(TOP写真提供 = dwphotos / Shutterstock.com)
《参考記事一覧》
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