パートナー企業からスター選手、名将ヴェンゲルまで。アーセナルFCが日本と育んできた「特別な絆」

グローバル化するスポーツビジネスで近年目覚しい、欧州サッカークラブによるアジア進出。特に英プレミアリーグの各クラブは本国を離れても凌ぎを削り、名門アーセナルFCもその例に漏れない。4月28日に開催される『HALF TIMEカンファレンス2020』に先駆けて、APACオフィスを率いるハドリアン・ぺラッツィーニ氏に、アーセナルがアジアそして日本で展開してきたマーケティング戦略と、新たなファンエンゲージメントを聞いた。

「アーセナル・ウェイ」を体現する、エミレーツ・スタジアム

エミレーツ・スタジアムはアーセナルにとって大きな資産となっている。画像提供=アーセナルFC

創設以来、クラブが血肉として受け継いできたバリューを緻密なマーケティングやブランディングを通じて共有し、各国のファンやスポンサー、そしてコミュニティとの距離感を縮めていく。アーセナルのシンガポールオフィスを率いるペラッツィーニ氏は、それがAPAC(アジア太平洋)地域の戦略だと語る。とは言えAPACには近年、続々とヨーロッパのサッカークラブが拠点を開設。ファンの心を掴むための競争は激化している。アーセナルはいかにしてアドバンテージを確保し、熾烈な戦いに勝ち残ろうとしているのか。 

「まず幸いなことに、我々は世界で最も人気のあるプレミアリーグに所属しているだけでなく、そのリーグにおいて強豪としての地位を保ってきた。これは決定的な要素です。ただし実際のビジネスにおいては、この前提に立った上で様々な側面で競争力を維持していかなければなりません。アーセナルがDNAとして受け継いできたバリューを活用し『アーセナル・ウェイ(アーセナルの流儀)』と呼ばれるクラブ運営の方法論自体を、より効果的で洗練されたものにしていくことが求められているのは事実です」

そこで重要な役割を果たすのが、エミレーツ・スタジアムである。2006年、旧ハイバリースタジアムにほど近い場所に新設されたモダンなスタジアムは、アーセナルの財務体質を強化しつつ、各要素をさらに拡大発展させるツールとなってきた。

「サッカークラブの収益構造は入場料収入、スポンサーシップ、マーチャンダイジングと呼ばれる物販の収入を3つの柱としています。プレミアリーグの場合は、そこに巨額のテレビ放映権料が加わるわけですが、我々にとっては試合の入場料収入も絶対に欠かすことのできない収入源となっている。だからこそアーセナルは約15年前、他のクラブチームに先駆けて新たなスタジアムを建設し、ハイバリーから移転したんです。

たしかにハイバリー・スタジアムは、長年、アーセナルのホームグラウンドとして使用されてきただけでなく、サッカー界そのものにとっても歴史的なアイコンになってきました。その意味でスタジアムの移転するのは、決して容易な決断だったわけではありません。しかし将来を見据えてクラブの競争力を維持していながら、サッカー界そのものを刷新していくためには、新しい施設の建設が必要になる。だからこそクラブの役員は大きな決断を下したんです。この選択が正しかったことは、今日の状況を見てもらえば一目瞭然だと思います」

アーセナルFC APACディレクターのハドリアン・ペラッツィーニ氏

エミレーツ・スタジアムは、サッカークラブが果たす社会的な機能そのものも拡充している。一昨年にはトットナム・ホットスパーが新たなスタジアムを建設。地域コミュニティの活性化や、ビジネスの拠点としてのハブ機能が注目されたが、このような流れに先鞭をつけたものこそ、アーセナルの新たな聖地だった。

「エミレーツ・スタジアムのような新たな施設を建造したことは、我々のクラブにとって大きなステップとなりました。ロンドンのようなアイコニックな街に、新しいランドマークができたという意味でも、インパクトは大きかったと思います。

『ムービング・フォワード(前進し続ける)』というスローガンが示すように、我々はスタジアムで提供できる観戦体験を高めてきました。事実、私たちは夏のシーズンオフが訪れるたびに数百万ポンドを投資して、施設を改修し続けている。これはサッカー界の新たなニーズに、しっかり対応するという意味も持っています。我々は並行して、数年前には身体的なハンディキャップを持っている方々がよりアクセスしやすくなるように、スペースを拡充しました。これは『アーセナル・フォー・エブリワン(全ての人にアーセナルを)』――このクラブを真にインクルーシブなものにしていくという目的も持っています。

その一方では、ホスピタリティエリアなどの拡充ももちろん行ってきました。エミレーツ・スタジアムを建設した当時、ロンドンに拠点を置くあらゆるクラブは、本格的なボックスシートを設立していたいと望んでいました。そんな施設はありませんでしたからね。その点でエミレーツは、グラウンド全体をぐるりと囲むボックスシートが設けられた最初のスタジアムになっている。エミレーツを訪れる全ての人に、最高の観戦体験を提供したい。この方針はあらゆる面で反映されています。その恩恵には、アウェーのチームや相手サポーターもあずかることができるのです(笑)」

JVC、セガ、1980年代から紡がれてきた日本との絆

1993年FAカップ優勝のキーマンとなったイアン・ライト(中央)。その胸にJVCのロゴが輝く。画像提供=アーセナルFC

そしてもう一つ、エミレーツ・スタジアムを語る上では忘れてはならない要素がある。瀟洒なスタジアムそのものが、アーセナルが受け継いできた伝統や歴史を現代に伝える触媒となっている点だ。スタジアムの外周に配置された、レジェンド(過去の名選手)の巨大なイラストや銅像などは象徴的だろう。

このような仕掛けもまた、アーセナルというクラブが持つバリューを高め、マーケティングやマーチャンダイジング、そしてファンエンゲージメントを充実させるのに役立っている。これは、日本を含むアジア太平洋地域においてもである。

ではアーセナルは、アジア太平洋地域でも鍵を握る日本市場を、どのように捉えているのだろうか。

「我々は日本のマーケットと昔から深く結びついてきました。もちろん国を問わずに新たな企業とパートナーシップを組む際には、白紙の状態からアイディアを練り、エンゲージメントを最大限に高める方法を考えていかなければなりません。各企業が目指すものと、アーセナルというクラブが持つブランド力や役割をうまく組み合わせることによって、初めてパートナーシップは実を結んでいくわけですから。

ただし日本の場合は、他の国にも増して深い関係、コミュニティ全体の発展まで視野に入れた、持続可能なパートナーシップを築いていくことができる。現に我々はコナミと素晴らしいパートナーシップを維持してきましたが、アーセナルというクラブは実は1980年台から日本企業と密接な関係を築いてきた。こういう歴史もまた、日本とアーセナルの特別な関係に貢献してきたと言えると思います」

同氏の指摘は正しい。新しい世代のファンの方向けに説明しておくと、アーセナルはかつて日本の音響メーカーである日本ビクター(現在のJVCケンウッド社)と、メインスポンサーの契約を結んでいた。1981年に締結された契約は翌年1982/83シーズンから1998/99シーズンまで20年近くも継続。この間、選手が身にまとうユニフォームの胸の部分には「JVC」の文字が誇らしげに踊り続けた。

日本ビクターを継いだのが、ゲームメーカーのセガである。同社との契約は3シーズンで幕を下ろすが、企業名であるSEGAやメイン商品であるDream Cast などは、やはりアーセナルと日本企業の特別な関係を象徴するシンボルとして強烈な印象を残した。

アーセン・ヴェンゲルが築き上げた特別な関係

アーセン・ヴェンゲル氏は20年以上にわたりアーセナルの指揮を執った。画像提供=アーセナルFC

ただし、日本とアーセナルがかくも深い絆を築くことができたのは、とある人物が及ぼした影響も決定的に大きい。アーセン・ヴェンゲル氏である。ヴェンゲル氏は1996年にアーセナルの監督に就任し、以降、20年以上もクラブを指揮。この間にはシーズン無敗優勝を果たすなど幾多の栄光をもたらし、今日のアーセナルの礎を築き上げている。

ちなみにアーセナルを率いる以前に指揮していたのは、Jリーグの名古屋グランパス。ヴェンゲル氏は稲本潤一や宮市亮、浅野拓磨をはじめとする選手もアーセナルに呼び寄せ、また大の日本通ということで何度か来日も果たしているため、アーセナルと日本のサッカーファンを結びつけるキーマンとなってきた。

「アーセンは我々のクラブを20年間以上も率いてくれましたが、日本ともきわめて縁が深い。このような関係性は、我々にとって大きなアドバンテージになっている。アーセナルのファンはもともと忠誠心が高いことで知られていますが、日本の場合はその傾向がさらに強いからです。

また文化的な側面に関して述べれば、アーセナルというクラブが持つ美意識やディテールへのこだわりは、日本の文化や伝統と非常に相性がいいことも指摘できる。日本はデザインやファッション、あるいは洗練されたライフスタイルで有名ですし、ヘルシーで見た目にも美しい食文化などは海外でも人気が高い。アーセンもその一人です。日本において今後さらに活動を展開していく際には、こういう要素を念頭においた上で、エンゲージメントの質を高めていきたいと思っています」

日本にも馴染みの深いアーセナル。さらなる交流が見られるか。画像提供=アーセナルFC

ペラッツィーニ氏はブランディングやマーケティングを離れた部分、実際的なサッカーの分野においても興味深い可能性を示唆する。

「我々はイノベーション(革新的な発想・改革)とサステナビリティ(長期的な持続可能性)を重視していますが、このアプローチはサッカーそのものにも反映されている。具体的に述べるなら、競技の普及と発展、草の根の拡大を図るために女子サッカーにも力を入れてきました。現に我々の女子チームは、イギリスで最も大きな成功を収めている。

その点、日本は女子サッカーが盛んなことでも知られています。だから日本における活動を意義あるものにしていく上では、日本の女子サッカーと我々のアーセナル・レディースがなんらかの形でコラボレーションを行っていくことも、十分に可能だと思います。そもそもアーセナルは国籍を問わず、世界中で優れた才能を持つ選手を発掘し、彼らの才能をアカデミーで伸ばしてきました。このようなアプローチもクラブのバリューを高めるのに寄与してきたわけですが、同じような試みは日本でも十分に展開できると思いますね」

最後に同氏は、来るカンファレンスに向けた抱負を次のように語ってくれた。

「我々は今、アジア太平洋地域のマーケティングに力を注いでいます。とりわけ日本が、今後もきわめて重要な役割を担っていくのは間違いありません。HALF TIMEが開催するカンファレンスでは、日本の様々な方々とさらにダイレクトに交流できるのを楽しみにしています」

(TOP画像提供=アーセナルFC)


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