ながらく続いたコロナ禍、社会を分断したトンネルもようやく出口が近づいて、日常が戻ってきた実社会。しかし世の中にはまだまだ環境問題や男女格差、人権問題といった課題が多くある。
そんな中、HALF TIMEでは新しく「ENJIN(エンジン)プロジェクト」を始動する。アスリートと企業が「円陣(えんじん)」を組むように力を合わせてソーシャルインパクトを生むこと、そしてより良い社会へ向かうために社会変革を推進する“エンジン”となることを目指す。
今回はプロジェクトに参画するアスリートの一人、空手家の月井隼南選手に、HALF TIME代表の磯田裕介と、スポーツが社会で果たす役割について語ってもらった。(取材・文=小林謙一)
◇月井 隼南(つきい・じゅんな)
空手家(女子組手50kg級)。日本人の父とフィリピン人の母のもとフィリピンで生まれ、3歳で日本に移住。空手師範の父の影響で空手を始め、高校時代より日本代表に。2017年からはフィリピン代表として活動し、2019年東南アジア競技大会(SEA Games)優勝、2022年ワールドゲームス優勝。
挫折を味わったからこそわかった、自分を肯定する力
磯田裕介(以下、磯田):ENJINプロジェクトでは、多くの社会課題の解決に向けてインパクトを与えていくことを目指しています。それには月井選手のように強く発信し、実際に取り組みを進めている方とのコラボレーションが欠かせません。ENJINプロジェクトには、どんな観点で賛同いただけたのでしょうか?
月井隼南選手(以下、月井):アスリートとしての悩みや男女格差についての問題など、私が話すことで何らかの切り口になれればいいなと。誰かがやらないと課題は解決しないので「初めの一歩」になればうれしいですね。
磯田さんにはいつもカジュアルに私の話を聞いてくれて、助かっています。アスリートの悩みや男女差の問題など、私の話を聞きながらうまく課題を解きほぐしてくださるので、とてもありがたいなと思っていました(笑)。
磯田:ありがとうございます(笑)。ではまず月井選手の背景について伺いたいのですが、これまでの生い立ちをご紹介いただけますか。
月井:私はフィリピンのマニラ生まれで、日本人の父は青年海外協力隊で空手の指導に来て、フィリピン人の母と出会いました。私は3歳のときに両親とともに日本に来て、4歳頃から本格的に空手を始めました。
父が指導者でしたから、きょうだいはみんな空手を習っていました。私は体が小さかったのですが、年齢も性別も関係なく対戦できる空手がとにかく楽しかったですね。リーチも短くて苦労するんですが、その分フットワークを使ったりして。試行錯誤して勝利することに充実感を得られていたのを覚えています。
磯田:けっこうな負けず嫌いだったということですね。
月井:きょうだいの中で一番の負けず嫌いでしたね。負けても試合会場から退場しないで、「勝つまでやる!」ってダダをこねていたくらい(笑)。おかげで小中高とすべて全国優勝してきて、高校生のときに日本代表になっています。
磯田:大学に進んでからは、大きなケガをしたそうですね。
月井:ケガで、大学時代の4年間をほぼ棒に振ってしまいました。まわりからたくさんの厳しい声が投げかけられて、自分を否定してしまいそうにもなりました。でも、そんな中にも希望を与えてくれるような言葉もあったんです。お姉ちゃんからは「空手をしていてもいなくても、隼南は隼南だからね。好きなことをしたらいいんだよ」って。
ずっと空手をしてきたから、頑張っていない自分には価値がないと思い込んでいたんです。でもその言葉で、「自分は自分なんだ」って思えたんです。“空手をしている月井隼南”ではなく、“月井隼南が空手をしているんだ”って。「こんな状態でも自分を見守っていてくれる人がいるんだ」と思うと、そういう人を喜ばせたいという気持ちが湧いてきたんです。
磯田:自己肯定感が高まってきたんですね。
月井:そうですね。どんな状況においても否定から入るのは良くないと思います。逆境に置かれても自分を信じて努力していけば、力を取り戻すことができるんです。
日本のスポーツ界は、“謙虚であること”を重んじますよね。もちろんいい面もたくさんありますが、それは時として自己否定につながってしまうこともあります。海外選手を見ていると、自分を肯定する力が強い。自分がハッピーだから、他人にも優しくなれたりするのかなって思いますね。
まわりの価値感でなく、本当に自分がやりたいことをやる
磯田:ポジティブな言葉に救われて、それに応えようと復活されたわけですね。その後はどのように空手に取り組んでいったのですか?
月井:ケガで空手を嫌いになったまま、やめたくなかったんですね。一生、空手から逃げなくてはいけないのはイヤだった。もう一度空手を好きなってからやめようと思い、目標を「全国優勝」に決めたんです。
母校の東大阪大学敬愛高等学校で非常勤講師として働きながら、空手部のコーチをして生徒と一緒にトレーニングをしました。生徒の成長が第一ですが、自分の鍛錬も手が抜けません。教えることと鍛えることを50対50でやるんじゃダメで、100対100で取り組んでいきました。その結果、社会人大会で優勝することができて、6年ぶりに日本代表入りも果たせました。
磯田:見事、目標を達成できたわけですね。その時期に、オリンピックの東京開催も決まりました。でも月井選手は日本代表になる選択肢を捨てて、フィリピンに渡りましたね。
月井:東京オリンピックで初めて空手が正式種目になりました。確かに日本代表として出場すれば多くの人に観てもらえただろうし、応援してくれた人に恩返しできるチャンスでもありました。ですがスポットライトを浴びた先の、未来のイメージが浮かばなかったんです…。オリンピックで栄光を勝ち取ることができたとしても、それは一瞬のことでしかありません。
私はケガをして思うように空手ができなくなったときに、「肩書きの危うさ」というのを思い知りました。「月井隼南」という人物に興味があるのではなく、“優勝”や“メダル”があるから人は寄ってくるんだって。栄冠や称賛というのは、あくまで他人から与えられもの。誰かから与えられた価値ではなく、自分自身がやりたいことをやり抜くことこそが重要だと考えたんです。
磯田:フィリピンに渡ったのは、その「やりたいこと」のためということですか?
月井:そうです。「フィリピンの空手界を発展させるために、力を貸してほしい」とオファーがあったんですが、そのためには私がオリンピックのフィリピン代表になって活躍することが重要だと考えました。そしてその先に、空手という文化をフィリピンに根付かせていくことが、私の成し遂げるべきことなんじゃないかと思ったんです。
でもオファーされたのに、練習環境はおろか住むところさえなかったんですよ。活動予算もなくて、これでオリンピックを目指すのは無理なんじゃないかと思いましたね(苦笑)。でも私自身まだなにもやっていなくて、それで諦めるのも嫌だったんです。その後いろいろと苦労したことも、想定外のこともありましたが、なんとかオリンピック前の大会で優勝することができました。
磯田:それでも、直前に選考基準が変わって、フィリピンの代表にはなれなかった。
月井:実力で劣っていたわけではないのに、代表に選ばれなかった。納得がいかず、1か月半、何もできなかったですね。すべてを懸けてやってきて手に入らないなら、努力って、頑張る意味って何?って思っちゃいました。正直、引退も考えましたね。オリンピックもまったく観ませんでした。
でも、だんだん「まだまだ動けるのに、実力もあるのにやめるの?」って自問自答するようになってきたんです。ここでやめたら、負けを認めることになるなと思って、練習を再開しました。私自身が世界で活躍することでフィリピンの空手界への注目を高めていくことはもちろん、他の選手も世界へ引っ張っていきたいんです。チーム全体を底上げすることが、今の私の目標ですね。
社会課題に対するアスリートの責任を全うする
磯田:月井選手は日本とフィリピンという2つのルーツをお持ちですが、国籍に関する社会課題については、どのようなお考えをお持ちですか?
月井:私が感じたのは、見た目と国籍のギャップがあると、いろいろと問題が多くなってしまうということです。フィリピンに来て、見た目がフィリピン人らしくないと、「日本で通用しないから空手の弱い国に来てるんだ」とか、負けると逆に「日本人のくせに負けやがって、いくらもらってるんだ」と言われたり…。
そんな憶測に対して、私は「きちんと発言すること」を大切にしています。言われたことにノーコメントだと、いつのまにかそれが事実になってしまうからです。「ノー」と言うだけでは足りなくて、自分の主張を発信しなくてはいけません。
磯田:世間が注目する、アスリートならではの役割かもしれませんね。
月井:アスリートは“顔”になれる存在だと思うんです。コロナ禍で思うように活動できないときにも、SNSでどうやって発信すればみんなに届くのか一生懸命考えました。それは、応援してくれる人たちに対する責任ですよね。
試合だけじゃなく、練習やトレーニングなど常日頃の努力も見てもらっています。そういった過程を知ってもらえると共感を持ってもらいやすい。その共感はひとつの発信力ともなるので、それをきちんと活かしていく責任があると思っています。
空手はメジャースポーツではないからこそ、スポンサーさんも含め、支援してくれる人たちは本当に共感を持ってサポートしてくれているんです。私たちアスリートには、それに応える責任があると思いますね。
月井選手の活動から学べることは、いつもポジティブに物事を考えていく姿勢こそが状況を良くしていくのだということ。そして、まわりの人たちの想いを力に変え、結果をもってそれに応えていくという責任感にある。ENJINプロジェクトは、今後もアスリートと共に社会課題の解決のために活動していく。
■対談の様子はこちらの動画から
■ENJINプロジェクト
HALF TIMEによる、アスリートと企業が共に社会課題を解決するプロジェクト。「円陣(えんじん)」を組むように力を合わせてソーシャルインパクトを生むこと、そしてより良い社会へ向かうために社会変革を推進する“エンジン”となることを目指している。現在は空手家の月井隼南選手、女子サッカーの塩越柚歩選手が参画し、今後活動を展開していく。
<企業の方へ>
ENJINプロジェクトでは、現在、アスリートを活用したい・協賛したい企業を募集しています。月井選手との取り組みに興味のある企業の方々は、以下のフォームより資料請求をいただけますので、ぜひお気軽にお問い合わせください。