Jリーグ最強の企画屋とBEAMSプロデューサーが仕掛ける「かわさき飛躍祭」。スポーツ×ファッション×地域の可能性とは?

6月29日(土)、川崎市は市制100周年を記念するイベント「かわさき飛躍祭」を等々力緑地一帯で開催する。川崎フロンターレのホームゲーム(対サンフレッチェ広島)が「市制100周年記念試合」として開催されるほか、野外ライブイベント、キッチンカーの出店、各種スポーツ・パラスポーツ体験コーナーが設けられる。

イベントオーガナイザーとして企画・運営を行う元川崎フロンターレの天野春果さんと、イベントロゴ・グッズのデザインサポーターに就任した「BEAMS SPORTS」佐野明政さんが、イベントへの期待を語った。(初出=NESTBOWL

天野 春果さん
株式会社ツーウイルスポーツ 代表取締役社長

東京都出身。アメリカ・ワシントン州立大学でスポーツマネジメントを学ぶ。在学中はアトランタ五輪にボランティアとして参加。帰国後、1997年に富士通川崎フットボール(現:川崎フロンターレ)に入社。2001年日韓ワールドカップの運営に出向したのち、川崎フロンターレに復帰。斬新なアイディアでコラボイベントを数多く生み出し、川崎フロンターレを人気クラブに育てた立役者、「Jリーグ最強の企画屋」としても知られる。2024年に川崎フロンターレを退職し、株式会社ツーウイルスポーツ(TWS)を設立。地域スポーツクラブの設計・構築・実行、大会やイベントの企画・運営などを行う。

佐野 明政さん
株式会社ビームス クリエイティブ ビジネスプロデュース部 プロデューサー

愛知県名古屋市出身。2000年BEAMSに入社。2010年に修士号取得。ショップスタッフを経験したのち、アウトレット事業、ライフスタイル業態である「ビーミングライフストア」の立ち上げを行う。2016年よりBEAMS JAPANのプロジェクトリーダーを務め、立ち上げから現在まで、「日本の魅力的なモノ・コト・ヒト」を国内外に発信する数々の企画を主導。2022年からは、「BEAMS SPORTS」も担当。持ち前のユニークな企画力・発信力・コラボ力を活かし、ファッション×地域×スポーツの可能性も追求している。大のサッカーファンで、1998年以降のワールドカップ大会はすべて現地で観戦している。

10年前から練っていた構想を実現

―― 「かわさき飛躍祭」の企画は、いつごろから練り始めていたのですか。

天野春果さん(以下、天野):川崎市市制90周年のとき、僕はJリーグチームの川崎フロンターレで仕事をしていました。10年後に市制100周年を迎えることには、とても感慨深い想いがありました。10年後なら僕自身が100周年記念の企画に何らかの形で関わることができるのではないかと思い、まだ誰にも頼まれていないのに、「こんなことができたらいいなあ」と考えていたんです(笑)。

当時から柱として考えていたのは、川崎市が掲げている「音楽のまち・かわさき」「スポーツのまち・かわさき」というスローガンの融合です。この2つを柱にして、大々的におもしろいことをやってみたいと思っていました。

―― 天野さんの中でのスタートは、10年も前からだったのですね。それらをもとに、ここ数年で具体的な企画が生まれてきたわけですね。

天野:勝手に頭の中で企画を考えていたのですが、数年前、川崎市の福田市長と食事をする機会があり、そのときに100周年の構想について話をしたんです。そしたら、「おもしろそうですね」と言ってくださって。そんなこともあって、2024年1月に川崎フロンターレを辞めて独立してからも、市制100周年企画にイベントオーガナイザーとして関わらせていただくことになりました。

10年前、すでに100周年イベントの構想を考えていたと語る天野さん。川崎に縁があるアーティストやスポーツチーム、ファッションや食などを絡めた企画を温めていた

―― ロゴやグッズのデザインを「BEAMS SPORTS」が担当することになったのは、どのような経緯でしょうか。

佐野明政さん(以下:佐野):2023年9月ごろ、天野さんから「かわさき飛躍祭」の構想の話をお聞きしたのですが、まずネーミングが、100周年の「100」と「飛躍」をかけるという、まさに天野さんらしい発想だと思いました。また、天野さんからは「川崎の若者にシビックプライドを持って欲しいし、市民にももっと川崎を好きになってもらいたい」という想いを聞き、まず個人的に興味を持ちました。

その後、正式に「BEAMS SPORTS」のチームでプレゼンテーションを受け、デザインサポーターを担当させていただくことになりました。ロゴやグッズのデザインは、当社が得意とする分野ですし、担当させていただくことが決まった時点で、すぐに川崎愛の強いスタッフに依頼しました。

天野:僕はアイデアは浮かぶけれど、デザインとして表現することはできません。でも長年にわたっていろいろな仕事を一緒にやってきた佐野さんがいるじゃないか、と。だから誰に相談しようかと考えたときに、佐野さんしか思い浮かびませんでした。もともとBEAMSのセンスや方向性が大好きですし、佐野さんに依頼すれば、堅くなりがちな行政事業も、必ず柔らかく親しみやすいものにしいてくれるという確信がありました。

今回ロゴのデザインを手がけたビームスのスタッフは川崎市出身、在住。グッズはフロンターレのサポーターと川崎愛に溢れる方が担当した

「楽しい苦しみ」こそが、チームをひとつに

――10年前から構想していたとはいえ、具体化していった期間は1年足らず。苦労話もお聞かせいただけますか。

佐野:正直、スケジュールはとてもタイトでしたが、不思議と楽しくすすめることができました。ロゴやグッズのデザイン、川崎や川崎フロンターレのことを大好きなスタッフが全力でやってくれましたから。また川崎市や全体を統括してくれる天野さんの存在があったからこそ、いろいろなことがポジティブに組み合わさって進んでいけたのだと思います。

天野:僕がイベントを組むときに最も大切にしているのは「楽しい苦しみ」なんです。大変なんだけどその大変さを一緒に楽しめる人と組みたい。その点でも佐野さんやBEAMSのスタッフは最高なんです。その楽しい雰囲気を共有しながら、川崎市の担当者も一緒に汗をかいてやってくれています。

佐野:川崎に活力を与えてくれている川崎フロンターレの存在も大きいですね。また、スポーツには多くの人を楽しませる力もあります。そんなスポーツの持つ公共性や地域性がイベントの根底にあることが、今回のプロジェクトのユニークさや面白さにつながっていると思います。

ファッション×地域×スポーツを組み合わせることで多くの方に活力を与えられると語る佐野さん

――今回の100周年記念イベントが、この先どんなことに繋がっていってほしいですか。

天野:スポーツ、音楽、ファッション、食を楽しみ、文化にできるのは人間だけです。人間にしか持っていない感性をイベントによって生み出し融合させ、幸せを共有できるって素晴らしいですよね。さらに今回のイベントの肝は、川崎愛や川崎の地域性がたくさん入っていること。それを当日皆で楽しんで、参加した方々が「川崎に生まれてよかった、この空間にいてよかった」と感じていただけることが、明日へのパワーにもつながると思うんです。

佐野:ファッションとスポーツの融合は、大きな高揚感を生むと思います。たとえばサッカーのワールドカップの応援に行くときって、皆代表のユニフォームを着ていくじゃないですか。今回「BEAMS SPORTS」がデザインしたファッションアイテムにも同じような一体感や高揚感を感じてもらえたら嬉しいですし、この先もファッションとスポーツのコラボから生まれる効果を広げていきたいですね。

天野:市制周年事業というと、少しお堅いイメージがありますが、こんなことができるんだという事例にもなると嬉しいです。また、ひとつのプロジェクトをみんなでやり抜いたことで生まれたネットワークは、また次の新しいプランにもつながっていきます。そうした積み重ねも大切にしていきたいですね。

(文=伊藤郁世、撮影=船場拓真)