【連載:パナソニックの挑戦】北米経由で日本に提示された、スポーツが持つ真のバリュー

日進月歩の勢いで進化を続けるスポーツビジネス。その本場の一つでもある米国において今、大きな話題を集めているのが、パナソニックが展開しているアクティベーションプログラムである。日本を代表する電機メーカーは、なぜスポーツ関連事業でも注目を浴びるようになったのか。そもそもスポーツにいかなる「価値」を見出し、「より良い社会の実現」に向けて、どう活用しようとしているのか。パナソニックノースアメリカで斬新なアイデアを次々と実現させてきた小杉卓正氏に、スポーツビジネスを支えるビジョンと理念、自身を突き動かす尽きせぬ情熱について伺った。(聞き手は田邊雅之)

前回:パナソニック小杉卓正氏を支えるキャリアメイクの成功要因と、スポーツへの尽きせぬ情熱【連載:パナソニックの挑戦】

新型コロナウイルスの危機をいかに乗り越えるか

パナソニックは30年以上にわたるオリンピックのパートナーで、もちろん東京大会も例外でない。画像提供=パナソニック

――新型コロナウイルス禍は世界中に大きなダメージを与えています。スポーツ業界などはとりわけ著しい被害を受けました。現に今年開催される予定だった東京オリンピックは、来年に延期されることが決定しています。御社は東京オリンピックでもワールドワイドオリンピックパートナーを務められていますが、現状をどのように受け止め、いかに対処されようとしていますか? 今後の展望について聞かせてください。

パナソニックは1987年にTOPパートナーに就任して以来、オリンピズムに賛同して30年以上もオリンピックをサポートしてきました。また東京大会だけでなく、4年後にパリで行われる夏季大会まで支えていくことはコミットしていますし、そもそもTOPパートナーは大会を成功させることだけが目的ではないので、こんな状況だからこそすべきこと、オリンピックムーブメントを進めいくべきだと思います。

そして、母国で開催されるオリンピックには全社を挙げて取り組んでいますので、今は2021年の大会に向けてより良いものにしていくために活動を続けています。同じことは、アメリカにおけるアクティベーションに関してもいえます。そもそも企業のブランディングというのは、1年間だけやったからすごく改善されるというものではないじゃないですか?

今、チームパナソニックのアンバサダーとの活動を続けていくことは必要不可欠ですし、今後はそれをどう展開していくのかも考えていかなければならない。時代や環境にあわせて幅広く社会に貢献できる道を模索していく、さらに多くの人に寄り添える形を探っていくのが、今後の目標になると思います。

――ある意味、新型コロナウイルスで社会全体が苦しんでいるからこそ、人に寄り添う活動、コミュニティを支えていく活動がさらに重要になってきているのではないでしょうか。

まさしくその通りだと思います。私自身、この数ヶ月は例年にも増して忙しく活動していますから。通常、春頃というのはオフシーズンに近くて、ちょっと一息つけるかなというタイミングなんですね。でも今年はそれこそ各アスリートと頻繁に連絡を取って、自分達はどうやって社会に貢献できるのか、あるいは多くの人が抱えている不安や不満を解消するには、何をすべきかと話し合いながら、具体的な活動を計画していったんです。

空手の國米櫻さんは、かなり早い時点から対応をしてくれました。彼女は、最も早い時点でオリンピックへの出場が内定、その後、すぐに東京延期が決まり、メディアの取材が集中しました。でもメディア対応でコミュニケーションをしている中で、國米櫻さんのファンや社会のお困りごとを考えるようになりました。

アメリカでも「Stay Home(自宅待機)」の必要性が盛んに強調されたわけですが、いきなり自宅にこもれと言われても対応するのは難しい。しかも運動不足になったり、ストレスを抱えたりしてしまう。その点、空手は武道なので体だけではなくて、心のケアもできるじゃないですか。だから「Stay Home, Stay Active(自宅にいながら、アクティブに過ごす)」をスローガンにしてオンラインの空手レッスンをやってみてはどうかと提案したんです。

実際、オンラインの空手教室は3週間にわたって開催されましたが、合計1500人以上の方が、世界14カ国以上から参加してくれました。また、マイケル・フェルプスとは彼の財団を通じて、子供達のメンタルヘルスを支援するプログラムを立ち上げました。日本同様、アメリカでもやはり子供達が思いっきり外で遊べないために、強いストレスを抱えている状況になっていましたから。

日本の教育界に一石を投じた、STEM教育のオンラインプログラム

Team Panasonicの一人、競泳のケイティ・レデッキーは日本の子供向けに遠隔でSTEM教育のプログラムを実施した。画像提供=パナソニック

――コロナウイルスを乗り越えていくための試みとしては、レデッキーの活動も大きな注目を集めました。

ケイティ・レデッキーは東京オリンピックの延期が決まったタイミングで、インスタグラムに素晴らしいコメントを寄せてくれたんです。その内容は、困難な状況だけども一丸となって立ち向かっていきましょう。私達は美しい国で開催される、素晴らしいオリンピックを夢見ていますという感動的なものでした。

彼女は日本のことをすごく思ってくれていましたし、アメリカではSTEM教育のオンラインプログラムを拡げていくための活動を一緒に行っていました。STEM教育は日本でも今後さらに重要になってくる。ましてや我が国の場合は、オンライン教育自体があまり普及していない。そういう実情を考えれば、まずは内容を紹介するだけでも有意義なはずだということで、5月末に、日本の子供達を対象にSTEM教育のオンラインプログラムを実施したんです。

これは非常に好評をいただきました。ケイティ自身も、日本の子供達とコミュニケーションを取ることができてとても喜んでくれました。STEM教育を紹介できたこともさりながら、彼女は日本の子供達も元気づけたいという想いを強く持っているんです。

――STEM教育のオンラインプログラムは、教育関係者の間でも大きな話題になりました。

正直、STEM教育のプログラムを日本で行うような試みは、新型コロナウイルスが発生していなかったら、こんなに早く実現していなかったのではないかと思います。その意味では両手を上げて喜ぶわけにいきませんが、日本の子供達は授業を受けられずに困っていたので、ポジティブな発想に切り替えて、こういう活動がすぐにできたのは本当に良かったですね。私自身、日本社会に貢献できるのは何よりの喜びですし、アスリートが多くの人たちに元気を与えていく様子を、再び間近で目撃する機会にもなりましたから。

北米経由で逆輸入された、日本の社会とスポーツ界を変革するノウハウ

パナソニックノースアメリカ マーケティング、デジタル&コミュニケーションズ シニアマネージャー 小杉卓正氏。画像提供=パナソニック

――STEM教育のオンラインプログラムは内容面だけでなく、ともすれば対応が後手に回りがちな日本において、きわめて迅速な対応を実現したという点でも画期的でした。御社の社会的な活動が北米経由で逆輸入され、日本に新たな方法論や流れを伝える形にもなっているのではないでしょうか。

私が言うのはおこがましいですが、日本で新たな試みや流れが生まれてきているのはすごく感じますね。おそらく私が行っていることそのものは、決して目新しくはないと思うんです。でも新型コロナウイルスが蔓延していく中で、従来とは違う対応が求められてくるようになった。

たとえばこれまでのスポーツマーケティングは、いろんな戦略を練りに練ってから、ようやくキャンペーンがスタートするという展開が多かったと思うんですね。でも新型コロナウイルスの場合は刻一刻と状況が変化していくので、やはりスピーディーに対応していかなければならない。

事実、最初は「Stay Home」という状況に多くの人がフラストレーションを感じていましたが、しばらく経つと新しい環境に慣れてきて、家にいることをあまり苦に感じない人たちが出てきた。しかも、さらにもう少し時間が経つとテレワークが充実して、むしろ仕事の効率が上がったという声さえ聞かれるようになった。

――仰る通りです。実はスポーツビジネスの別の取材でも、コロナウイルス禍は日本社会のガラパゴス的な体質を少しずつ変革させる契機にもなった、デジタル化やオンライン化をついに促進させるきっかけになったという話題が出ていましたから。

とは言え、外出したいというもちろん欲求はあります。特に子供達のメンタルヘルスをどうケアしていくかという問題や、オンライン教育をどう実現させていくかという新たな課題が毎週のように出てくる。こういう変化にすぐに対応できるようになったのは、日本の感覚からすると新しく感じられるところかもしれません。むろん、これはアスリートが協力してくれているおかげですし、彼らとコミュニケーションを密接に取れているからだと思いますが。

――まさにそのコミュニケーションに関してですが、小杉さんが取り組まれているような活動はアスリートと一般大衆、ひいてはアスリートを介してスポーツと一般大衆の距離を近づけるという役割も担っている印象を受けます。

そうですね。アメリカと日本のスポーツマーケティングで少し違うのは、アスリートとの距離の近さかもしれません。たとえばレデッキーは大学生ですし、スポンサーもたくさんいて様々な活動をしている。その意味では毎日連絡を取り合っているわけでありませんが、こういう活動をしてみてはどうだろう?と提案すると、すぐに反応してくれる。だからこそ社会貢献活動も、より内容の深いものを実現させていくことができるんです。

こういうアスリートとの距離の近さやコミュニケーションの密度は、日本では少ないような気がします。そういう点でも私が行っている活動は、日本側から見ると新鮮に映るのかもしれません。

――と同時に御社の活動は、スポーツが持つ社会的なバリューや機能を、より日本に認知させることにも繋がりますね。以前、有森裕子さんがインタビューで指摘されたように、日本の場合は社会的な存在としてのスポーツがあまり機能してこなかった。結果、アスリートと一般大衆の関係性においても、ファンが一方的に憧れを寄せるだけで、グラスルーツのレベルで一緒に有益な活動を展開しようという流れが生まれるケースは多くありませんでした。その点、小杉さんはスポーツの力を活用しながら、教育の分野においてさえもアスリートとタッグを組み、社会を少しずつ変えようとされている。これは日本社会全体にとっても、きわめて意義深い活動になっていくのではないでしょうか。

それはおそらく、アスリートが自分のバリューを理解していないことにも起因していると思うんです。前回でも述べましたが、日本のアスリートはともすれば自分はスポーツに専念すべきだという発想に囚われてしまいますし、なかなか自分のバリューを言語化していくことができない。かつての私も同じでした。

だからこそ私は、先日行われたHALF TIMEカンファレンスで、大きな感銘を受けたんです。たとえば柔道の野村忠宏さんは、アスリートが実践してきた、自分の体を知ることや動かしていくための方法論などを、社会の一員として発信していくことに意義があると指摘されていました。

また日本フェンシング協会の太田雄貴さんは、現役の選手達にスポーツで学んだことを言語化させて発信することで、自分のバリューを高めていく意識を持つように促していると発言されていました。日本スポーツ界の第一人者たちが積極的にメッセージを発信し続けていけば、日本のスポーツ界や社会も少しずつ変わっていくと思うんです。

幸い、私の場合は4人のアスリートとの活動を通して、スポーツが持つバリューやチカラを改めて実感することができた。この経験はいつか日本に戻ったときにも、必ず役に立てられるのではないか。今はそんなふうに思っていますね。

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