パナソニック小杉卓正氏を支えるキャリアメイクの成功要因と、スポーツへの尽きせぬ情熱【連載:パナソニックの挑戦】

日進月歩の勢いで進化を続けるスポーツビジネス。その本場の一つでもある米国において今、大きな話題を集めているのが、パナソニックが展開しているアクティベーションプログラムである。日本を代表する電機メーカーは、なぜスポーツ関連事業でも注目を浴びるようになったのか。そもそもスポーツにいかなる「価値」を見出し、「より良い社会の実現」に向けて、どう活用しようとしているのか。パナソニックノースアメリカで斬新なアイデアを次々と実現させてきた小杉卓正氏に、スポーツビジネスを支えるビジョンと理念、自身を突き動かす尽きせぬ情熱について伺った。(聞き手は田邊雅之)

前回:「グローバルで若い世代の心を掴む」 Team Panasonicを牽引する、4人のブランドアンバサダー

稀有なキャリアを成功に導いた2つの要因

パナソニックノースアメリカ マーケティング、デジタル&コミュニケーションズ シニアマネージャー 小杉卓正氏。2010年バンクーバーオリンピックの現地にて。画像提供=パナソニック

――小杉さんはかつてパナソニックの社会人野球チームで活躍され、そこからスポーツビジネスの第一線に立たれるようになったという、非常にユニークな経歴をお持ちです。そもそも今日に至るまでは、どのような形でキャリアメイクをされてきたのでしょうか。

まず野球部を辞めるときに、会社側にはスポーツビジネスがしたいですと言ったんです。そもそも現役をやめるときには、次のゴールを設定しなければならないじゃないですか。私はいつかスポーツビジネスの世界に入りたいと思っていましたし、アメリカでメジャーリーグ向けのBtoBビジネスがあるということを社内報で知っていたので、そのビジネスに携わりたいと思っていたんです。

でも、それまでは野球しかしてこなかったので、まずは語学力が必要だろうと。と同時に、社会人としての一般スキルを身につけたり、パナソニックの経営を深く学んだりしなければならないということで、調達部門で勤務したんですね。でもオリンピックやスポーツのフィールドに戻って来られるとは思っていませんでした。

――しかし実際にはスポーツビジネスに深く携わられるようになっただけでなく、オリンピックの4大会やアメリカにおけるブランディングなどで重責を担われるようになっている。キャリアメイクに成功した理由を、小杉さんご自身はどのように分析されていますか?

まずスポーツが持つ「バリュー」を言語化できたのは、大きかったのではないかと思います。私が野球を引退したときには、自分はスポーツだけをやってきたので、それ以外のスキルは持っていないだろうと考えていたんですね。でもビジネス の世界でキャリアを積んでいく過程で、実はスポーツを通して身につけた能力やスキル、バリューがしっかりあることに気がついたんです。

しかも、これらのバリューを言語化することができたので、それを企業スポーツの後輩や他のアスリートにも届けられるようになった。スポーツ界には自分が持っているバリューに気づいていない人たち、スポーツ以外のスキルを備えていることに気づいていないアスリートがたくさんいるんですが、そういう人たちに対して、「いや、あなたはこういう素晴らしいことができるんですよ」と伝えていくことができたんです。

それと同時にオリンピックのマーケティングに関わるようになったことで、スポーツを通して身につけたパーソナルなソフトスキルが、さらに培われていく形にもなった。だからスポーツは人材育成としての手段としてもきわめて有用だと、改めて感じるようになりましたね。

――通常、スポーツビジネスに関わる方は、必ずしもトップアスリートとしての経験を持っていないケースが大半を占めています。しかし小杉さんは、アスリートとしてのご経験を踏まえた上で、スポーツビジネスの世界でも活躍されるようになった。その点でも貴重な例になっている印象を受けます。

あともう1つ、スポーツマーケティングやオリンピックマーケティングの現場で、経験を積むことができたのは大きいと思います。現在は東京オリンピック大会関連ビジネスに関わっていませんが、私の場合はオリンピックに関連するほぼすべてのレイヤー――ピラミッドに例えると頂点にあるIOC、真ん中に位置する大会の組織委員会、さらには各国の委員会、開催国の社内外の関係者と共に4大会を通じて活動することができた。こういうステップを踏むことができたのは、非常に貴重な経験となり、現在のアスリートとの活動ができています。

ビジネスネゴシエーションと異国間コミュニケーションの難しさ

小杉氏はかつてパナソニックの社会人野球チームでプレーしていた。写真は2004年。画像提供=パナソニック

――小杉さんは、スポーツ界のトップに位置する組織と仕事をされた上で、現在はグラスルーツ(草の根)の部分でアメリカの一般大衆を相手に、スポーツを活用したアクティベーションを展開されている。こういうケースも決して多くありません。

その点に関しては、アメリカでスポーツの素晴らしさを伝えていくためには、アスリートと何をするべきなのかということを認識していた――頭の中の理解だけでなく、実際の経験値でも理解していたのが大きいのかもしれませんね。オリンピックのマーケティングとは別分野ではあっても、やはりスポーツが持つバリューをいかにきちんと伝えていくかが問われますから。

――ずばりお尋ねします。ご自身にとってのスポーツの魅力とは? 小杉さんをして、そこまでスポーツビジネスに深く関わらせる要因とはどのようなものでしょうか?

繰り返しになってしまいますが、やはり人の心を動かす力でしょうね。これはどの競技であっても一緒だと思うんですが、筋書きのないドラマとそこに至るまでのストーリーには 必ずなんらかの形で心を動かされる。この力の凄さは私が現役の野球選手だったときも感じていましたし、今では更に強く感じているんです。

――とは言え、スポーツ界では過酷な競争が日々繰り広げられている。きわめて生臭く、えげつない部分もあります。最近ではスポーツビジネスに憧れる若者も増えていますが、いざこの業界に入ってみると、見ると聞くとでは大違いということで幻滅を覚えるケースも少なくありません。小杉さんの場合はいかがでしょう。実際にスポーツビジネスに深く関わられるようになって、ここは自分の想像と違っていた、予想外だったと思われた部分はあったでしょうか?

想像と違うなと思ったケースはありませんが、大変だなと感じたことはたくさんありました。まずは英語ですね。私の場合は、3年間で英語を身につけることができた。でも当初はペーパーテストでの英語に、少し毛が生えたようなレベルに留まっていましたから。

たしかに現役の野球選手時代には、海外に遠征したこともあります。でもスポーツ界で交わされるような英語のやり取りと、ビジネスネゴシエーションで求められる英語のコミュニケーション能力は、まるで別物じゃないですか? ましてやオリンピックの場合は、100%英語で交渉を行わなければならない。だからバンクーバー大会に向けてオリンピックのマーケティングに関わり始めた頃は、本物の英語のハードルの高さを感じたこともありました。

――コミュニケーションの質そのものが異なりますからね。

ええ。それと同時に、自分の価値観をすごく変えられる出来事もたくさんありました。たとえばロンドンオリンピックに向けた準備をしていた頃には、大会組織委員会のスタッフやロンドン側の関係者と、四六時中コミュニケーションを取っていました。当然、「いいオリンピックにしよう!」とお互いに言いながら仕事を進めていくわけですが、いざ契約交渉が始まると、その同じ人間が非常にビジネスライクなスタンスに一変するんです。

しかもネゴシエーションでは、交渉の席に弁護士が入ってきたりします。当然、私が1つ間違った発言をすると、それが後々まで響いてしまうことにもなる。もちろんネゴシエーションが終われば、またいつもの関係に戻って仲良く話をするわけですが、ビジネスとプライベートの切り替えは驚きましたし、この手の契約交渉の際のシビアさは強烈でした。

もう1つは、異国間コミュニケーション独特の難しさ。バンクーバーを経てロンドンオリンピックを担当した後は、ソチ(ロシア)での大会になりましたが、ロシア流のネゴシエーションは、イギリスのネゴシエーションとまったく質が違うんです。私はそこからリオ大会にも1年間責任者として関わりましたが、ブラジルのやり方はロシアと比べてもさらに違うので、大会毎に発想や価値観を変えていくことが求められました。

たしかに自分の場合は、こういう経験を通じて引き出しを増やしていくことができた。また、今振り返ってみれば、異国間コミュニケーションの面白さを味わうことができたとも言えますが、当時は厳しかったですね。

フィールドで再認識した、スポーツのバリューとチカラ

写真はバンクーバーオリンピック。パナソニックの大型スクリーンが使用されている。画像提供=パナソニック

――仰ることはよくわかります。私もワールドカップの取材で南アフリカやブラジル、ロシアの関係者とやり取りをしましたが、基本的なコミュニケーションのカルチャー自体が別物でしたから。でも、そういう苦労があった分だけ、大会を迎えられたときの喜びも大きかったのではないですか?

実は私の場合、野球をやめてからしばらくの間は、スポーツのフィールドから離れていたんです。スポーツ観戦も意識的にあまりしていなかったので、バンクーバーオリンピックに携わったのを機会に、改めてスポーツに触れた形に近いんですね。

当時は上村愛子さんがモーグルで頑張っていて、パナソニックのCMにも出てくれていました。で、オリンピック初日はモーグル競技だったので、撮影のために競技会場に行ったのですが、私のアクレディテーション(IDパス)は業務上、フィールドアクセス権があ ったので、モーグル競技のゲレンデまで降りていくことができた。その瞬間には、自分も競技者としてもう一度、大きな歓声を浴びたいとも思いましたが、それと同時に世界のトップアスリート達を支えていける仕事ができて幸せだなという気持ちや、スポーツに携わることができる感謝が本当に湧き上がってきて。

あの感動があればこそ、苦しい準備期間も頑張れたのだと思います。もちろん大変だったことはいっぱいありますが、スポーツの現場に行ったりアスリートと一緒に仕事をしたりするたびに、「ああ、スポーツというのは本当に価値のある、素晴らしいものなんだな」と実感しますから。

――かつては周りの人から支えられる立場だったのが、アスリートを支える側に回ったと。現在ではトップアスリートとタッグを組んで、グラスルーツレベルでもスポーツの価値を伝えていくことができるようになった。

私自身、現在行っているような活動をずっとやりたかったんです。私は8年間オリンピックのマーケティングに関わってきました。非常に貴重で意義ある経験でしたが、当時は、アスリートと直接やり取りしながらコミュニティのために活動したり、一般の方々を対象としたアクティベーションを行ったりするところまでは、手が回らなかったんですね。

でも今はアスリートと直にコミュニケーションを取りながら、社会を一歩ずつ変えていくための活動ができる。スポーツが持つバリューをより多くの人にダイレクトに伝えていけるというのは本当に嬉しいし、ありがたいですね。

トップアスリートとして活動した経験値を活かし、オリンピック関連事業でノウハウと実績を積み重ねていく。小杉氏のキャリアは、このような文脈で捉えられることが多い。しかし本人の解説を聞いていると、スポーツビジネスにおける成功をもたらした真の要因は、実は様々なバリューを「言語化」できる能力と、スポーツそのものに対する深い「愛情」だったことが理解できる。ロングインタビューの掉尾を飾る次回は、withコロナ時代においてパナソニックが目指すもの、そして同社が日本社会やスポーツ界に示唆した、新たな方向性について伺う。


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