スポーツ業界は若手層とシニア層に人材が二分されがちで、働き盛りのハイクラス層は貴重な存在だ。そんな中、日本バレーボール協会という国内競技連盟から、ハンドボールチームのジークスター東京へ、共に要職で転職を果たした人物がいる。
ハンドボールの国内トップリーグ「リーグH」に所属するジークスター東京で、事業開発マネージングディレクターを務める垣谷直宏さんは、HALF TIMEを通して転職を実現。40代での“エグゼクティブ転職”について、本人に聞いた。
◇垣谷 直宏(かきたに・なおひろ)さん
ジークスター東京 事業開発マネージングディレクター
投資ファンドで投資実務に従事したのちにファーストリテイリング(ユニクロ)と政府系投資会社でM&Aを担当。その後ゴディバジャパンでは戦略推進、マーケティングの部門責任者を務め、日本バレーボール協会を経て2025年より現職。
投資ファンドと小売業界でキャリアを積んだ30代
垣谷さんは、投資ファンドでバイアウト投資やベンチャー投資など投資実務に携わった後、ファーストリテイリング(ユニクロ)でM&Aを担当。その後は事業開発部門に移り、アジア・欧州での出店企画や、シンガポールの地域統括会社の立ち上げなどを行ってきた。
また、世界有数のビジネススクールであるノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院、香港科技大学商学院でMBAを取得するなど、第一線のビジネスパーソンとして30代までのキャリアを歩んできた。
そんななか目に止まったのが、“スポーツビジネス”だった。SNSでスポーツヒューマンキャピタル(SHC。Jリーグなどが協力するスポーツ経営人材育成プログラム)の存在を知り、すぐさま講座に申し込んだ。
「学生のころからサッカー、剣道、競泳、アメフト、ライフセービングなど様々なスポーツをしてきました。観るほうでは、私はFC東京のソシオ(※)でして。仕事でつらい時期に、味の素スタジアムで初めてJリーグを観戦したときに感じたリフレッシュ感が忘れられず、学生の時とはまた違う、“スポーツの力”を大人になってから体感していたんです」(垣谷さん)
(※ スペイン語で「仲間」という意味。FC東京では年間チケットホルダーに使われる名称)
転機になったのが、2013年に東京開催が決まったオリンピック・パラリンピック。「30代後半になって自分のキャリアを考えるなかで、人生、やれるときに挑戦しなければという思いが高まりました」と、垣谷さんは振り返る。

日本バレーボール協会に転職。異業界からスポーツ業界へ
その後、垣谷さんは日本バレーボール協会(JVA)に転職。異業界からの転職だった。
JVAでは新規事業の部長職で入り、その後マーケティング部と広報部を歴任した。五輪にあわせて4年サイクルで動く協会で東京五輪とパリ五輪を経験し、スポンサー対応、選手肖像の規程整備やSNS運用体制の刷新、ファンクラブのリニューアルと収益化、会長や監督らとともに広報戦略の立案と体制の整備などを行った。その間、協会不祥事に関するクライシス対応も取り仕切った。
「協会は守備範囲が広い。代表チームの強化や興行と同時に、競技そのものの普及振興にも取り組まなければなりません。それは非常に大切なことでやりがいも感じていましたが、ビジネス出身の自分が今まで培ってきたものをより活かせるような挑戦をしたい、という思いも芽生え始めました」(垣谷さん)
そうして考え始めたのが、「チーム」という選択肢だった。
「協会よりもひとつのチームで取り組む方がより企業運営に近くなるので、そこでの挑戦をしてみたいという気持ちが強くなったんです」と、垣谷さんは説明する。

スポーツ業界での“エグゼクティブ転職”を実現
ジークスター東京に入社したきっかけは、HALF TIMEからの紹介だった。「磯田さん(磯田裕介:HALF TIME代表)から『こんなお話あるんですが』と連絡をいただいて。ハンドボールについては興味を持っていたところだったんです」(垣谷さん)。
実は垣谷さんがJVAのスタッフとして同行したパリ五輪で、ハンドボールがバレーボールの隣の会場だったそうだ。その際に、日本代表チームが強豪のクロアチアに接戦を演じて、とても盛り上がっていたのを覚えていたという。そこに舞い込んだ話に興味をそそられた。
書類選考を通過して、チームの親会社でITコンサルティングを主業とするフューチャー株式会社の創業者で代表取締役会長兼社長、グループCEOを務める金丸恭文氏と面談する機会もあった。
「金丸さんは日本ハンドボール協会の会長も務めていて、『日本におけるハンドボールという競技の存在を変えていくぞ』という空気がとても伝わりました。このチームに携わったら一緒に成長していけるんじゃないか、自分も何らかの貢献ができるじゃないかという気がしたんです。
サッカーやバスケはすでに人材や仕組みが整いつつあって、一般企業に近づいていると思います。しかし、ハンドボールはまだまだ伸びしろが大きい。そこを自分も一緒に作り上げていく一翼を担えるんじゃないかと期待感を持つことができました」(垣谷さん)
結果、ジークスター東京の事業開発マネージングディレクターというポジションで同社に入社した。
垣谷さんは、自身を「守りよりも挑戦することに価値を見出すタイプ」だと分析する。すでにでき上がった場所で安定的に働くより、これからのステージにチャレンジしていくことに喜びを感じるのだという。
「“コンフォートゾーンから出る”というのはずっと意識しています。前職ではさまざま新しい取り組みにも挑戦させていただきましたが、もう一段の成長のためには、居心地の良い環境から出て、また苦労した方が良いのかなと思ったのも転職に踏み切った理由のひとつです。
だからこそ、磯田さんの存在はありがたかった。磯田さんは常に冷静に、自分にとっていい点も悪い点も伝えてくれる。強引に薦めるようなことはしないし、でも必要なアドバイスは的確にしてくれる。一緒に伴走していただくにあたっては、本当に信頼できると思いました」(垣谷さん)

自身のキャリアだけでなく、スポーツ業界の人材課題を見つめる
ジークスター東京という新進気鋭のハンドボールチームで新たな道を歩むことになった垣谷さん。今後のキャリアについては、どのように考えているのだろうか。
「長期のビジョンはあまりまだ考えていませんが、スポーツビジネスをメインとしてやって行くというのは、50歳を目前に控えたタイミングで決めました。ここでは思い切って、全部出し切りたいと思いますね。そして自分にノウハウが溜まったら、それを後に続く人たちにつないでいきたいと思います」(垣谷さん)
後継の人材に扉を開くというのは、垣谷さんのもう一つのミッションだという。
「スポーツ業界の転職は20代の方々と、50代以上の方々が多い。最初に転職した当時の私は40代前半だったんですが、その層の転職人材はあまりいないんです。なぜかというと、まだ人材として市場価値が高くない若手か、他のビジネスである程度成功して、セカンドステージとしてチャレンジしているプレ・シニア世代しか、収入面で折り合いがつかないことが多いから。
でも、日本のスポーツビジネスがもっと大きくなっていくには、働き盛りでスキルも経験も持ち合わせた人材がどんどん入ってこなくてはなりません。そうした状況に風穴を開けたいと思いますね」(垣谷さん)
担当コンサルタントの分析

HALF TIME株式会社
代表取締役 磯田裕介
転職支援を行う中で感じた垣谷さんの特徴は、確固たるビジネスパーソンとしての能力・スキルを若手時代にスポーツ業界の外で磨いてきたこと、そしてキャリアアップへの情熱が強いことです。過去、ビジネスパーソンとしての土台をつくった上で、日本バレーボール協会にキャリアチェンジされ、そして今回、前職で培ったスポーツビジネスの知見をもとにスポーツ業界内でまさに「キャリアアップの転職」を実現されました。
高いスキルを身につけて転職市場で市場価値を上げること、そして自身のキャリアビジョンを具体化して熱意を伝えること。これらが転職活動で成功を収める重要な要素であることを、垣谷さんを支援する中で改めて実感しました。
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