野球界には記録に残る選手が多数存在します。また、記録は残していないものの、ファンたちの記憶に残っている選手も数多くいます。
しかし、記録にも記憶にも残っている選手はごくわずか。
本記事では、そんな数少ない選手の1人である長嶋茂雄氏の名言を紹介します。
強く心に刺さる長嶋茂雄氏の名言について、最後までご覧ください。
長嶋茂雄氏について
長嶋茂雄氏の名言は、過去に残した活躍の記録によってその言葉の重みが伝わります。
ここでは、長嶋茂雄氏がどういった記憶に残る選手だったのか、そしてどんな記録を残したのかを紹介します。
長嶋茂雄氏の記憶に残る活躍
長きにわたり巨人の4番打者として活躍したことから「ミスター・ジャイアンツ」と称された長嶋茂雄氏。他にも「ミスタープロ野球」「チョーさん」「燃える」などの愛称でファンたちから呼ばれ、親しまれていました。
同時代に活躍した王貞治氏とはともに「ON砲」と呼ばれ、4番打者として活躍し、巨人のV9に大きく貢献。巨人軍での4番出場試合数は、歴代最多記録となっています。
長嶋茂雄氏は、大学を卒業した日本のプロ野球選手では、史上初の400本塁打・2,000安打を同時達成。他にも、最多安打を10回獲得。そして、セ・リーグ最多記録となる、首位打者を6回も獲得するなど、選手時代にさまざまな記録を残しました。
一方、大舞台やチャンスで見せた勝負強さや、ファンの意表をつくプレイ・行動も多く、多くの人の記憶に残る選手でもあります。
大舞台で注目を浴びれば浴びるほど燃える性格で、公式戦や日本シリーズ、そしてオールスターのすべてで通算打率3割以上。さらに、1959年6月25日の天覧試合でサヨナラホームランを打ったほか、皇室観覧試合の通算打率は5割以上でした。
また、どのようなコースでも打ってくるため、複数の投手や捕手が長嶋選手のことを、次のように比喩し賞賛していました。
「計算できないバッター」
「来た球を打てる天才」
そんな長嶋茂雄氏が貫いたのが「魅せる野球」で、下記のような記憶に残るプレイを現役の野球人生で残しています。
- 三振でもダイナミックに見えるよう常にフルスイングする
- スイングでヘルメットが吹っ飛ぶように緩めにヘルメットをかぶる
- 三振時の画を考え、アメリカから取り寄せた小さめで楕円形のヘルメットを被る
- ゴロでもファインプレーに見えるよう一歩目を遅らせギリギりで捕球
- フライは魅せる工夫ができないのでショートに捕らせる
- ショートゴロを横取りする
- 一塁に送球後、手をひらひらと打ち振る
- 天覧試合でのサヨナラホームランを打つ
- ホームランを打ったのにベースを踏み忘れてアウトになる
- 敬遠に抗議としてバットを持たずに打席に入る
- 敬遠球を打ってホームランにする
- 大学時代の盟友の引退試合で三振を宣言しながらヒットを打つ
- 試合が一方的展開になって観客が退屈していると、絵に描いたようなトンネルをしてみせる
長嶋茂雄氏が選手として活躍した期間は1958~1974年。その後、2度巨人の監督を務め、その間も監督として多くのファンたちに魅せる野球を見せてくれました。
2度目の監督を退任した2001年より、株式会社よみうり(現・株式会社読売巨人軍)の専務取締役終身名誉監督に就任。これまでに残してきた数々の名言は、今後も語り継がれていくことでしょう。
長嶋茂雄氏の活躍の記録
次に、長嶋茂雄氏の活躍の記録をまとめました。後述する数々の名言にも繋がる内容ですので、ぜひご覧ください。
選手時代の通算成績
通算成績 | 獲得タイトル |
・出場試合数:2186・打率:.305・安打:2471・本塁打:444・盗塁:190・OPS:.919 | ・首位打者6回・本塁打王2回・打点王5回・最多安打10回・新人王・ベストナイン17回・最優秀選手5回・5年連続開幕戦本塁打(日本記録)・通算開幕戦本塁打10本(日本記録) |
監督時代の通算記録
第1次監督時代(1975~1980年) | 第2次監督時代(1993~2001年) |
1975年:順位6位 1976年:リーグ優勝&日本一 1977年:リーグ優勝&日本一1978年:順位2位1979年:順位5位 1980年:順位3 通算成績:試合数780、勝数387、敗数338、引分数55、勝率.534、日本一2回 | 1993年:順位3位1994年:リーグ優勝&日本一1995年:順位3位1996年:リーグ優勝&日本一1997年:順位4位1998年:順位3位1999年:順位2位2000年:リーグ優勝&日本一2001年:順位2位 通算成績:試合数1202、勝数647、敗数551、引分数4、勝率.540、日本一3回 |
長嶋茂雄の名言集
長嶋茂雄氏は、これまでに数多くの名言を残していますが、迷言とも捉えられる言葉もいくつか存在します。
まずは、長嶋茂雄氏の名言からみていきましょう。
長嶋茂雄選手の名言
ここでは、長嶋茂雄選手の名言を一覧で紹介します。
「我が巨人軍は永久に不滅です。」
「 メークドラマ。」
「プレッシャーを楽しいと思った時、その人間は本物になれます。」
「デビュー開幕戦でも4連続三振。監督としても最初は最下位。あとはよくなるばかりだと思うしかなかった。」
「 打った時より三振した時に、いかに豪快に見せるか、相手に恐怖心を意識させるかを考えた。」
「僕は、巨人軍の4番打者だよ。サインなんて、“打て”以外に、あるわけないじゃない。」
「野球というスポーツは人生そのものです。」
「ウサギとカメならカメでいい。我慢する勇気が重要なんです。」
「挫折してもプライドは失わない、それは努力しているからだ。」
「僕は三塁のホットコーナーを守ってやってきた。三塁ベースは僕の恋人です。それが守れなくなったら潔く引退します。」
「努力は人が見てないところでするものだ。努力を積み重ねると人に見えるほどの結果がでる。」
「野球選手には人間関係で悩む暇などない。すべてはバットを振り、ボールを追いかけることで解決すべきなのだ。」
「プロなら陰の苦労や苦悩を人前でみせるべきでない。」
「小さな白い球との長い戦いが終わったことを知りました。」
長嶋茂雄選手の迷言
次に、長嶋茂雄選手の迷言を一覧で紹介します。
「まだまだですよ、今の野球は家に帰って風呂に入るまでわからない。」
「ついに閉幕を閉じる時期にきましたね。」
「決してネバーギブアップしません。」
「こっちは外車ばかりだねぇ、さすがアメリカだ。」
「あとはバァッといってガーンと打つんだ。」
「いいかオマエたち、絶対にあきらめるな!人生はGive upだ!」
「打つとみせかけてヒッティングだ。」
「ジャイアンツの4番はバットを短く持ってはいけない、だから投球後に短く握り直すんですヨ。」
「ラッキーセブンの3!」
「英語でベースボールは何て訳すの?」
まとめ
今回は、長嶋茂雄氏の名言を紹介してきました。
名プレイだけでなく、ファンに魅せるプレイにも全力だった長嶋茂雄氏。そんな長嶋茂雄氏だからこそ、その姿や語った名言が、今でも多くのファンたちの心に残っているのでしょう。
そして、長嶋茂雄氏の名言には、彼の人間性や生き様が如実に現れています。
本記事で紹介した名言が、人生の参考や毎日の糧となれば幸いです。
(TOP写真提供 = Joshua Peacock / Unsplash.com)
《参考記事一覧》
サインを見ないことを注意された長嶋茂雄が言った名言「僕は、巨人軍の4番打者だよ。サインなんて、“打て”以外に、あるわけないじゃない」(ニッポン放送NEWS NLINE)