テニスの起源は紀元前3,000年?~テニスの起源と歴史を紹介~

世界で人気のあるスポーツのひとつであるテニス。

いつ、どこで発祥したのでしょうか?

この記事では、テニスの発祥やその歴史について詳しく紹介します。

テニスの歴史

まずは、テニスの起源やテニスの原型とされるゲームについて紹介します。

テニスの起源 諸説

テニスの起源には諸説あります。

古代エジプトで行われたボールゲーム説やペルシャ地方の古い球技のひとつから生まれたという説も。

中でも、古代エジプト起源説は信憑性が高く、紀元前3,000年、ナイル川のデルタ上にあったチニス(Tinnis)またはタミス(Tamis)と呼ばれた街で、複数人が集まって球を打ち合うボールゲームがテニスの起源と言われており、その様子を描いた壁画がエジプトに残されています。

当時は、スポーツとして行われていたのではなく、宗教儀式のひとつとして行われたと考えられています。

テニスの原型 「ジュ・ドゥ・ポーム」

テニスの原型として一般的に知られているのは、11世紀にフランスの修道院で考え出された「ジュ・ドゥ・ポーム」(手のひらのゲームの意味)です。

このゲームは、修道院の中庭や室内に線を引いてエリアを作り、手のひらやグローブをはめた手を使ってボールを打ち合うというもの。

宗教的な意味合いではなく、娯楽や遊戯のひとつとして行われていたようです。

ポームの普及と発展

ジュ・ドゥ・ポーム(ポーム)は、賭け事も伴っていたことから、多くの王はポーム禁止令を出して貴族階級以外の人々のプレーを禁じていましたが、日曜日だけはポームを賭けの対象として認め、賭け金の一部を国庫に納めさせていました。

 ポームはフランスからイギリスやスペイン、ドイツなどのヨーロッパの国々に広まって行きます。

「テニス」その語源の由来は

テニスの語源の由来にも諸説あります。

最も有力な説は、フランス語の「つかむ」という意味の言葉の命令形「tenez」。ポームでは、サーバーが「トゥネス」を「ボールを落とさずに取ってみろ。」という意味で使ったことが「テニス」の語源となったというものです。

このほか、1399年にイギリスの詩人であるジョン・ガウワー氏が表した「平和を讃えて」の詩の中に記載されている「TENETZ」が「テニス」の語源ではないかといわれています。

日本に伝わったのは1878年

テニスが日本に伝わったのは1878年。

どのように伝わったのか、日本でのテニスの歴史について紹介していきます。

テニスの日本への伝来

テニスの日本への伝来についての文献は、まだ発見されていません。

しかし、1873年にイギリスで近代テニスが始まった1、2年後には、神戸の外国人居留地にテニスコートがあったといわれています。

最も有力な説としては、1878年に文部省体育伝習所が開設され、米国人教員のリーランド氏が赴任し、テニス用具を取り寄せて学校教育の一環として指導したのが日本にテニスが紹介された最初というもの。

 ただし、当時はラケットもボールも輸入品で高価だったため、当時の一般日本人に普及するには至らず、東京ローンテニスクラブや軽井沢会など、今でも現存する一部の伝統あるテニスクラブで細々と行われていました。

その後、いわゆる「硬式」テニスが一般に広まったのは、1913年に慶應義塾大学が硬式テニスを採用してからとなります。

日本では軟式テニスが普及

日本では、軟式テニスが普及します。

当時、玩具用のゴムまりを作っていた三田土ゴム会社に廉価なゴムボールの製造が依頼され、東京高等師範学校(現筑波大学)の学生たちが卒業後、各地の学校で「軟式」テニスを生徒たちに指導したことをきっかけに、軟式テニスが全国に急速に広まりました。

初のオリンピックメダリストは「軟式」テニス選手

1920年のウィンブルドン選手権準決勝で、当時「世界のテニス王」と呼ばれたアメリカのビル・チルデン選手を相手に名勝負を演じた清水善造選手は軟式テニスで腕を磨いた名選手。

また、日本人のオリンピックメダリスト第1号である1920年アントワープ大会銀メダリストの熊谷一弥選手も軟式テニスで成長した選手です。

当時の熊谷選手のプレー写真が今も残っていますが、その写真には軟式グリップ(ウエスタングリップ)で打球している様子が写っています。

テニス用品の歴史

写真提供 = Bobex-73 / Shutterstock.com

テニスを行う上で欠かせないラケットとボール。

その歴史について紹介していきます。

ラケットの誕生

テニスが始まった11世紀、使用されていたのは羊の皮に動物の毛を詰めた中芯のあるボール。

それを、手のひらやグローブをはめた手で打ち合っていました。

16世紀に入ると、手が痛くなるという問題から、木製のラケットが使われるように。一枚板を削って作られたラケットは、バトワールと呼ばれました。

テニスの初めての国際試合といわれる1505年のイギリス、ウインザー城で行われたイギリスのドーゼット侯とオーストリアのフィリッペ大公の試合では、フィリッペ大公はラケットを用い、相手の素手のドーゼット侯に15点のハンデを与えたということが記録に残っています。

ただし、当時はラケットを製造する業者はなく、ラケットを自分で作れるかが選手になるための条件になっていたようです。

その後、ほうきやブラシの製造業者が兼業でラケットの製造も行っていましたが、1550年ごろからラケット製造業組合が設立されたことにより、少しずつ大量生産ができるようになりました。

つい50年ほど前までは木製ラケットが主流でしたが、スチールやアルミなどの金属が使われるようになり、現在では、炭素繊維などの素材がフレームに使われるようになっています。

そして、素材の進化に伴い、ラケットの重量や長さ、面の大きさなどがルールの範囲内で工夫されるようになりました。

ストリングスの使用開始

ラケット面にストリングス(弾力のある紐)が張られるようになったのは、1550年ごろとされています。

当時、弦楽器でも使われていた羊の腸(ガット)を使ったストリングスであったため、今でもストリングスをガットと呼ぶ習慣が残っています。

現在では、ポリエステルやナイロンなどの比較的安価な人工(シンセティック)ストリングスが主流ですが、牛の腸が使われた高価な天然ストリングスもプロ選手を中心に使われています。

テニスボールの進化

テニスのボールは、芝生の上では弾みが悪く、プレーがしにくいものでしたが、1874年にイギリスのヒースコート氏が表面をフランネル布で補強した軽量化されたゴムボールを実用化。

そのことによって、芝生の上でもボールが弾むようになり、楽しさも倍増したといわれています。

また、今から50年ほど前から、視認性がよい黄色が主流となりました。

テニスコートの変化

ポームの人気が高まるにつれ、各地で専用のコートが作られるようになりました。

そして、上流階級は室内のコート(球技館)で短い距離のポームの「クルト・ポーム」を楽しみ、一般人は公園や野原で長い距離のポームの「ロング・ポーム」を楽しむように。

現存する最古の室内コートと共に主張するハンプトンコート宮殿のコートは1530年製、フォークランド宮殿のコートは1539年製といわれています。

ロング・ポームは、19世紀末にルールが整備されるローン(芝生)テニスにつながっていきます。

コートの広さ

1874年当時のテニスコートは、コート中央がくびれた砂時計型で、交互に片側のダイヤモンドエリアの中からサービスを行っていました。

1877年のウィンブルドン大会では、現在と同様の寸法の長方形型のコートとなり、サービスも両サイドからするように。

ただし、サービスエリアは現在よりも広く、ネットから1.5メートルも長かったようで、サーバー有利が顕著だったことから、1880年には現在の長さに縮められています。

ネットの高さ

ネットの高さは、テニスのプレーに大いに影響があるもの。

1874年、その高さは1.42メートルと高いものが採用されていましたが、1877年のウィンブルドン第1回大会では0.99メートルに下げられました。

この大会では全ての選手がアンダーハンドサービスを使ったとされていますが、1883年に8センチ下げられ、現在の高さに。

そして、オーバーハンドサーブが主流になりました。

コートサーフェスの変化

残された絵画などから、室内コートは木の床であったと推測されていますが、屋外で用いられているのは芝生です。

しかし、天然芝のコートはボールが弾まず、バウンドが不規則で滑り、現在でも選手泣かせのもの。

今からわずか50年前までは、いわゆるテニスの4大大会のうち全仏大会を除く3大会は、芝生のコートで行われていましたが、天然芝コートは手入れが大変なため、今ではかなり少なくなりました。

現在、全仏オープンでは赤土のアンツーカ、全米と全豪ではゴムのハードコート、絨毯のようなカーペットコート、雨の多い日本で普及している水はけのよい砂入り人工芝のコートなどが使用されています。

ウィンブルドン選手権から始まるテニス大会の歴史

テニス大会は、ウィンブルドン選手権から始まります。

その歴史について見ていきましょう。

ウィングフィールド少佐の功績

テニスの近代化に大きな貢献を行った人物に、ウェールズ出身のウォルター・ウィングフィールド少佐がいます。

彼は、1873年に発表したパンフレットでローンテニスのコート、ルール、用具を整理統一し、近代テニスの誕生に大きな役割を果たした人物です。

1902年にはビクトリア勲章を受章。

近代テニスの創始者と言われ、1997年には国際テニスの殿堂入りを果たしています。

ウィンブルドン選手権はローラーの修理費捻出のために始まった

1877年、ウィンブルドン大会が行われるオールイングランド・クロッケークラブはローンテニス大会を開催しました。

この大会には22選手が参加し、イギリスのアーサー・ゴア選手が初代優勝者となりましたが、この大会が開催された理由は、経営難でクラブのローラーの修理さえもできずにいましたため。

当時の名誉会長であったウォルシュ氏は、アマチュアであれば誰でも参加できるオープンシステムにして入場料収入を得ることを考案し、観戦者からの収入で利益もあげ、ローラーの修理費を賄ったのです。

テニス大会の発展

この大会の成功をきっかけに、毎年、大会が開かれるようになりました。

これが現在のウィンブルドン選手権の始まりです。

そして、この大会の規則を世界の統一共通ルールへ発展させたことが、テニス大会の国際化をもたらしました。

その後、1881年に全米選手権、1891年にフランス選手権(のちの1925年からのフランス国際選手権)、1880年にオーストラリアのビクトリア州で州選手権(のちの1905年からの全豪選手権)が行われるようになり、4大大会(グランドスラム)と呼ばれるようになりました。

4大大会は個人戦ですが、1895年から始まる英米対抗が1900年にデビスカップ戦に発展。

国別対抗の形も整っていきます。

オリンピック種目としてのテニス

テニスがオリンピックの正式種目になったのは1896年のアテネ大会です。

この大会では、男子のみ競技が開催され、初の金メダリストはイギリスのジョン・ピウス・ボーランド選手でした。

1928年から1984年まではオリンピック競技から除外されていましたが、1988年のソウル大会から復活し、現在に至っています。

4大大会とオリンピック金メダルを獲得することをゴールデン・スラムと呼びますが、同一年で達成した選手は、1988年に達成したドイツのシュテフィ・グラフ選手だけです。

なお日本人では、2016年のリオデジャネイロ大会で錦織圭選手が銅メダルを獲得しています。

まとめ

エジプトでの起源から、近代テニスの誕生と現代に至るまでの歴史を、テニスの用具の歴史や日本への伝来の経緯を含め紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。

テニスは、難易度が高く、持久力と瞬発力の両方が必要な過酷なスポーツの1つといわれている一方で、老若男女がそれぞれのレベルで楽しめる生涯スポーツでもあります。

 テニスの起源と歴史を知ることで、より一層、テニスを楽しめるようになることが期待されます。

(TOP写真提供 = Lucky Business / Shutterstock.com)


《参考記事一覧》

『新版 テニス指導教本』(日本テニス協会編)

テニスの歴史をわかりやすく解説 (テニスベア)

テニスにはどんな歴史があるの? テニスの歴史について徹底解説!(SPOSHIRU)

テニスの歴史とは?発祥国や起源・始まりはいつからなの? (Activeる!)

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