バレーボールの歴史|6人制と9人制の違いやルールの変遷も併せて解説

1964年の東京オリンピックで女子が金メダルを獲得。そして、1974年のミュンヘンオリンピックでは、男子が金メダルを獲得するなど、オリンピックでも輝かしい歴史をもち、人気の高いスポーツといえばバレーボールです。

ところで、バレーボールの歴史のなかでも、連盟の設立やルール変遷などがありました。

本記事では、そんなバレーボールの歴史やルールの変遷、オリンピックルールなどについて解説しています。

ぜひ、最後までご覧ください。

1895年、アメリカで誕生 

バレーボールは、アメリカのマサチューセッツ州のウィリアム・G・モーガン氏によって1895年に考案されたスポーツです。

国際YMCAトレーニングスクールを卒業後、体育教師をしていたウィリアム・G・モーガン氏は、バスケットボールがプレーヤーが接触する激しいスポーツであることから、男性より体力のない女性や子供が気軽に楽しめるスポーツはできないものかと検討。

考案されたのが、ネットを挟んでボールを手で返し合う、というものでした。

テニスとバドミントンをヒントにして作られたバレーボールのルールは、「打ってきたボールを落としては負け」という単純なもの。考案当初、「ミントネット」「ミノネット」と名づけられましたが、1952年、YMCAトレーニングスクール教官のハルステッド氏の提案で、今のバレーボールという呼び名に変更されています。

テニスをヒントにしただけあって、バレーボールの「バレー」の綴りは、テニスで空中のボールを地面に落ちる前にノーバウンドで打ち返すショット「ボレー」と同じ「Volley」です。バレーボールが初めてプレーされた日の1895年2月9日は「バレーボール発祥の日」とされています。

世界への広まり 

バレーボールは、バスケットボールなど他のスポーツ競技と同様に、1900年にはカナダ、1906年にはキューバへと、YMCAの指導者を通じてアメリカ全土および世界各国に徐々に広がっていきました。ヨーロッパにバレーボールが紹介されたのは1920年頃。

第一次世界大戦に参戦したアメリカ軍の兵士が伝えたとされています。フランスやイタリアに紹介された後、ポーランド、ソビエト、チェコスロバキアへと広がっていきました。バレーボールは、対戦相手との接触がなく、ルールが分かりやすいこともあり、性別を問わず子供から高齢者まで幅広い世代の人々に支持されるスポーツになりました。

1947年、国際バレーボール連盟(FIVB)が発足 

国際バレーボール連盟は1947年、22か国が参加し、パリに設立されました。

そして、1949年には第1回男子世界選手権が開催されています。

日本は1951年にFIVBに加盟しましたが、世界選手権に参加したのは1960年のことでした。

オリンピックの正式種目となったのは1964年、東京オリンピックから。FIVBの本部は1984年、スイスのローザンヌに移転しています。

日本に伝わったのは1908年 

日本にバレーボールが普及したのは、1913年に北米YMCA体育主事のF・H・ブラウン氏という指導員の普及活動のため、というのが定説です。しかし、実際は、1908年、東京YMCA体育主事の大森兵蔵氏がアメリカの国際YMCAトレーニングスクールを卒業して帰国した際に紹介したのが始まりです。

大森氏は嘉納治五郎氏とともに日本オリンピック協会を設立し、1912年には、日本がオリンピックに初出場したストックホルム大会の監督を務めた人物。大森氏が普及活動を行う前に死去してしまったため、バレーボールが普及したのが1913年となったのです。

日本でバレーボールの技術が飛躍的に進歩したのは、1964年の東京オリンピックの数年前のこと。それまで、パワーと高さが主流でしたが、体格と力で劣る日本人が世界に対抗するため、日本人の器用さと緻密さでコンビネーションと正確性が加わりました。

バレーボールは、1964年東京オリンピックで正式種目となりましたが、大松監督率いる女子チームが回転レシーブなどの技を初めて使い、見事金メダルを獲得。アメリカのテレビ局コメンテーターが連呼した「オリエンタル・ウイッチ(東洋の魔女)」から「東洋の魔女」としてその名を残しました。

決勝戦となったソ連戦のテレビ視聴率は66.8%。日本のスポーツ中継で未だ破られていない歴代最高視聴率を記録しています。

また、1972年のミュンヘンオリンピックでは、松平監督率いる男子チームが、大古、猫田、中村、森田らの選手を擁し、時間差攻撃や一人時間差攻撃などの技を駆使して金メダルを獲得。バレーボールは「日本のお家芸」となり、現在の日本におけるバレーボール人気につながっています。

6人制と9人制 

日本にバレーボールが紹介された1910年当時、国際ルールが定められていなかったことから、1チームの人数は、なんと16人。その後、12人になり、1927年には9人制が定着します。そして、日本では長い間9人制のバレーボールが行われてきました。

一方、1920年頃バレーボールが広まったヨーロッパでは、6人制のルールが採用されており、アメリカでも6人制ルールが普及していました。日本が1951年にFIVAに加盟する頃、国際試合のルールは6人制。日本は、国際試合に参加するため6人制の国際ルールを採用していきます。

しかし、ママさんバレーや実業団、小学生バレーなどの学校体育の授業では、今でも9人制ルールが採用されています。

また、韓国や中国、台湾などのアジア各国でも9人制ルールが用いられています。6人制と9人制の大きなルールの違いは、サーブのルールです。

6人制は1度しかサービスを打つことができませんが、9人制は1度失敗してももう一度やり直しができます。また、6人制はボールがネットに当たっても相手コートに落ちればよいのに対し、9人制はネットにボールが触れた時点で失点になります。

バレーボールのルールの変遷

バレーボールは、当初、相手に返すときの回数が無制限で、コートの広さの規定もなく、屋外で行われるものでした。

その後、屋内でも行われるようになり、ボールをつなげて返すだけでなく、点数を取り合う、というスポーツへ変わります。

発案当初のルールは、集まった人たちを同人数の2つのチームに分けて、ボールを打ち合い、ボールを地面に落とした方が負けというもの。

1947年に国際バレーボール連盟が設立されたことをきっかけに、人数やネットの高さ、コートの広さなどが規定され、4年ごとにルールの改正がなされていきます。

バレーボールの6人制国際ルールの当初からの変遷で、特に大きく変わった部分は、リベロ制の導入、サーブのネットイン、ラリーポイント制です。

リベロ制は1998年に導入されたルール。リベロは、ボールを拾うだけでスパイクは打てない選手のことですが、背の高い選手が有利なバレーボールにおいて、年々チームの高身長化が進み、背が低い選手の活躍の場が少なくなったことを受け、背が低い選手でも活躍できるよう改正されたものです。

サーブのネットインが有効となり、ラリーポイント制が採用されたのは1999年のこと。

従来は、サーブがネットに当たった場合にはサーバーの失点になっていましたが、ネットインが有効になったことから、ラリーが続けられることとなりました。また、従来、サーブの権利を持つチームがラリーに勝った時だけ得点になるサイドアウト制が採用されていましたが、試合時間がかかりすぎることから、ラリーに勝ったら得点が加算されるラリーポイント制に変更になったのです。

2013年からは、すでにテニスなどで取り入れられているチャレンジシステムと呼ばれるビデオ判定制度がバレーボールにも導入されています。

バレーボールのオリンピックルール

写真提供 = Suriyawut_Khongyuen / Shutterstock.com

東京オリンピックでも行われるバレーボール。そのオリンピックルールは、細部まで見てみると緻密に決められています。

ボールやコートの大きさ

オリンピックで使用するボールの大きさは、円周65~67cm。重量は、260~280gと既定されています。

また、東京オリンピックで使用されるボールは国内メーカーのミカサ。ミカサは国際バレーボール連盟によると、国際大会で使用することを認定されています。

そして、コートの大きさは奥行き18m、幅は9m。相手コートと自陣コートで2つに分けるため、基本的なプレーエリアは9m四方とされています。

ちなみに、ネットの高さは男子と女子で異なり、男子が2.43m、女子は2.24mです。

オリンピックでの試合ルール

オリンピックで行われるバレーボールの基本ルールは、全5セットゲームのうち3セット先取をしたチームが勝ち。1セットのゲームは、25点先取したチームがそのセットを取ることができます。

しかし、24点対24点のマッチポイントで同点の場合は、2点差を先につけたチームがそのセットを取ることとなっています。

また、勝負がもつれて最終セットの5セットゲームとなった場合は、15点を先に取った方が勝利。得点はサーブを受けて、レシーブを行い、スパイクを放ち相手コートの床にボールを落とすことで1点です。

さらに、得点したチームが次のサーブ権を得ることとされています。サーブ権を得ると、ポジションのローテーションを行うことと決まっており、前衛の右のポジションにいた選手がサーブを打ちます。

メンバーの役割

バレーボールのポジショニングされるメンバーは、それぞれ役割があり、下記のとおりにまとめることができます。

アウトサイドヒッター

名前の通り、左右それぞれのサイドからスパイクを放ち攻撃を行う役割のポジションです。「ウィングスパイカー」や「レフト」と呼ばれることもあり、各チームの攻撃の要と言えます。

オポジット

ローテーションにおいて、セッターの対角に位置する選手。バックアタックなど、後ろのポジションから攻撃を行う場合もあるため、攻撃が得意な選手が担うことが多いでしょう。

チーム事情によって、攻撃以外にも守備に回る戦略もあるようです。

ミドルブロッカー

名前のとおり、相手攻撃のブロックが主軸のポジション。ブロック以外にも、センターの役割があるポジションであるため、中央から攻撃を行う場合もあります。

セッター

攻撃をアシストするトスを上げる選手です。コート上の司令塔とも呼ばれ、相手チームにあわせた攻撃を組み立てる非常に重要な役割を担います。

リベロ

守備職人と呼ばれ、相手のサーブやスパイクのレシーブを粘り強く受け止める大切な役割を担います。ラリーが終わったタイミングで交代することが可能。監督からの指示をコートに伝える役目もあります。

まとめ

今回は、バレーボールの歴史やルール変遷、オリンピックの基本ルールなどについて解説してきました。

バレーボール競技の歴史と日本への導入経緯、6人制と9人制の違いや、ルールの変遷について紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。

女性や子どもが楽しめるスポーツとして考案され、世界中で親しまれているバレーボール。誰でも気軽に楽しむことができるので、ぜひ一度、体験してみてください。


《参考記事一覧》

バレーボール(Volleyball)(東京都オリンピック・パラリンピック準備局)

バレーボールに使われるボールについて詳しく知ろう!(調整さん with)

バレーのポジション「分かりにくい」 変わる表記に読者混乱の声(長崎新聞)

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