【髙田春奈・新社長】私がV・ファーレン長崎の社長を継いだ「本当の理由」

2019年末にJリーグだけでなく、スポーツ界でも驚きをもって迎えられた、V・ファーレン長崎の社長交代。ジャパネットたかた創業者である髙田明氏から、実娘の髙田春奈氏へ引き継がれることとなった社長職交代の裏には、どのような経緯があったのか?髙田春奈・新社長が自ら、HALF TIMEだけに明かします。

社長を継いだ「本当の理由」

今月からHALF TIMEで連載させていただくことになりました。第1回目のテーマは、私が社長になった経緯――。どこまで期待に応えられるかわかりませんが、等身大で思いを書き綴ることができればと思います。

2020年1月2日付で、J2リーグV・ファーレン長崎の代表取締役社長に就任しました。V・ファーレン長崎は、2018年に一度J1へ昇格したとはいえ、基本的にはサッカーファンか長崎在住の方でなければ、あまり知られていないクラブかと思います。

前任の社長は私の実父である髙田明。自社のテレビショッピングが全国各地で流れる機会が多く、その喋り口が特徴的だったためか、知名度は抜群で、2017年の就任当初から全国規模のメディアに取り上げていただく機会も多くありました。しかしながらまだショッピングのイメージが強いようで、私が一緒に歩いているときでもほとんどの方は「V・ファーレンの…」ではなく、「ジャパネットの…」と言われていました。そのたびに、V・ファーレンもまだまだだなと気を引き締める機会となります。

父から社長を引き継ぐと発表したのは2019年の11月28日。その3週間前にリリースにて退任を知らせ、その間、「誰が引き継ぐのか?」、時には「娘じゃないか?」とも言われたものですが、むしろ驚いたのはその発表当日の反響でした。私は普段から全く父のことを口にすることもなく、友人知人もそれを避ける私の様子を察してか、話題にすることもほぼゼロと言えるほどなかったのですが、この日はさすがに、長崎での会見が終わって東京に戻るまでの間、LINEやFacebookを通してメッセージがたくさん届いていました。

西の端のJ2リーグ12位のクラブの社長交代がここまで注目を集めたのは、前任者が有名だったからでもあり、女性として現時点で唯一の社長だったからでもあるでしょう。ローカルニュースからWEB媒体を通して報道され、多くのお祝いや励ましの言葉をいただくことになりました。それは今までになかったこそばゆい経験でもあり、それをポジティブに捉えるべきかネガティブに捉えるべきか、複雑な出来事でもありました。

私は小さい頃から、父の仕事や知名度と自分を結び付けられることを異常とも言えるほど嫌っていました。それは自分自身の存在を、髙田春奈ではなく、「髙田明の娘」として認識されることをどうしても受け入れられなかったからです。今回のニュースによってこうなることはある程度予想できたことではありましたし、自分の中では覚悟していたつもりでした。しかし想像以上のレスポンスに驚くとともに、今回の決断が自分にとって大きな一つの節目となるのだなという観念の時となりました。

社長として腹をくくる

Haruna Takata
V. Fahren Nagasaki
President
2019年11月28日、V・ファーレン長崎は髙田春奈氏が社長に就任する人事を発表した。画像提供=V・ファーレン長崎

私がV・ファーレン長崎の社長になろうと腹をくくったのは、記者会見から遡ること半年も前の2019年5月のことです。私は2015年からジャパネットグループの広告代理店を担っているジャパネットメディアクリエーションの社長を務めていましたが、V・ファーレン長崎がJ1に昇格してすぐの2018年の春から、クラブの運営・事業担当として兼務していました。その時は観客増に伴う運営の危機とクラブの執行役員の退職が重なり、やむを得ない人事として長崎で半分働くことになったわけですが、ある程度目途がついたら離れることを前提とした、「一時的な人事」と、私も周囲も受け止めていました。

それでもその頃の毎日は慌ただしく、だからこそ充実していて、ビジネスの世界では見られないような勝敗に一喜一憂する独特の起伏に、良くも悪くも振り回されたものでした。部門の後任に目途がついた2018年秋頃から、本業に近い広報・プロモーション部門にシフトし、日々の業務をこなせるようになりました。

J2降格や監督交代など、大きな出来事を乗り越えていく中で、ふと、父が当たり前に社長で居続けている事実と、時折見せるしんどそうな表情に気づきました。基本的に父は、皆さんがメディアでみられる印象と同じ明るくて元気でポジティブな人です。そんな父が少し後ろ向きな言葉を発したり、いらだちが多くなったりする様子を見て、これは普通ではないな、と思うようになりました。そしてそのままならない状況を、何とか変えなければならないと思うようにもなりました。

スポーツの世界はビジネス以上にシビアで厳しい世界です。いくら思いがあっても、いくらいい人がそろっても、負けるときは負けてしまう。組織は生もの。それが続けば誰だって暗くなるし、その理由を探したくなってしまう。V・ファーレン長崎というクラブがそんなふうになることは、私以上に父が辛かったはずです。

しかし見渡しても、誰か受け取れる人がいるわけでもない。会社内で見ても私が後任になることが一番自然な状況の中で、父や、親会社の社長である弟(ジャパネットホールディングス代表取締役社長 兼 CEOの髙田旭人氏)ともその可能性について話すことがたびたびありました。

ただ、いくら長崎出身とはいえ、長崎を離れて30年、東京に住んで20年以上が経った私にとって、長崎に住み、長崎の一つのアイコンとしてクラブの先頭に立つことは簡単には想像できませんでした。もちろん現行の責務もありましたし、同時に2018年から東京の大学院博士課程に進学し、これから少しでも研究で実績を生み出したいと思っていた矢先のこと。そこから離れる勇気など簡単には持てませんでした。

転機となったマスコット総選挙

転機が訪れたのは2019年5月のことです。毎年2月に行われるJリーグマスコット総選挙を広報として盛り上げていく中で、V・ファーレン長崎のマスコット・ヴィヴィくんの可能性を感じるようになりました。

ヴィヴィくんの誕生日イベントを東京で実施した5月3日。そこには勝負の世界を超えたヴィヴィくんファンが集っていました。すなわち、ピッチ上ではライバルであり、戦いの相手であるチームのサポーターさんたちが、他クラブのマスコットであるヴィヴィくんの応援にたくさん駆けつけてくれたのです。そして一人ひとりが同じ場所に集う人々に気遣いながらその場を楽しみ、マンツーマンの場面では惜しみない愛を表現し、この上ない幸せな笑顔で帰っていく姿を見たとき、これが平和なのだと思いました。

思えば昇格した時も降格した時も、声援をくださるファン・サポーターの方々もそうでした。相手チームをおもてなしし、負けても一生懸命にやった選手たちを称えてくれる。それが「長崎らしさ」でした。大げさにも思えるかもしれませんが、平和の根底には相手を敬い、譲り合い、愛することが必ずあるはずであり、それを日常的に実現しているV・ファーレン長崎であれば、真の意味で平和のメッセージを伝達していけると思ったのです。

そしてその2週間後、弟に現職を辞めてV・ファーレン長崎に専念するのはどうかと相談し、グループ全体の人事でもそれがベストであることを確認。さらにその2週間後、(当時社長で)現職の父に意見を聞いて賛同してもらい、ほとんど方向性がそこで確定しました。そこから3か月。長崎の夏の平和活動なども経て、私の思いはより一層強くなり、ひそかな引継ぎが始まったのです。

このように書くと、髙田家が勝手に考え、勝手に仕切った社長人事のように見られるかもしれませんし、そう思われても仕方がないと思います。ただ、どう取られるかは別として、V・ファーレン長崎に思いをもって取り組んできた私たちが真剣に考えて出した解であり、心からの覚悟をもってこのようになった経緯は真実です。

私が社長になったことの成否は、これからの私の手腕で変わってくることであり、私が髙田明の娘であるかどうかを超えて、判断されるのだと思います。

編集部より=V・ファーレン長崎のJ2リーグ2020年開幕戦は2月23日(日)、注目のシーズンが始まります。髙田春奈社長には、次回、現在Jクラブ唯一でもあり、日本社会全体でもまだまだ少ない「女性社長であること」について伺います。

(TOP画像提供=V・ファーレン長崎)

※女性社長就任は、Jクラブ初ではなく、現在Jクラブ唯一の誤りでした。お詫びして訂正申し上げます [2020/2/21]


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