「まさか自分が社長になろうとは」 V・ファーレン長崎 髙田春奈社長が考える、キャリア構築の「計画と偶発性」

V・ファーレン長崎の代表取締役社長 髙田春奈氏に手記を連載いただく本企画。新年度も2ヶ月目を迎え、多くの人々が新たなキャリアや環境に進む中、第4回の本稿では、国家資格であるキャリアコンサルタントの資格も持つ髙田社長に、これまでのキャリアと大切にしてきた信条について振り返っていただきます。

学生時代からソニー時代

小さい頃の私の夢は歌手や画家などで、昔からビジネスにあまり興味がなく、企業で勤めることや会社を経営することなど、想像もしていませんでした。大学でもいわゆる“つぶしの利かないといわれる”文学や哲学などの人文科学の専攻で、就職活動で不利になるなんて、幻想のようにしか思っていませんでした。

実際に就活をするにあたっての自分の一番の軸は「社会に貢献すること」。その中でグローバル企業であるソニーという企業に興味を持ち、「人をサポートすること」ならばできるのではないかと思い、秘書を希望して選考を受け、ご縁をいただいてその職に就くこととなりました。

入社当時、自分が秘書として付いた役員の方がちょうど研修のプロジェクトを立ち上げており、新人の私もその事務局に入ることになり、人材育成の仕事に足を踏み入れました。立ち上げたばかりのプロジェクトの中でたくさん仕事をいただき、1年後には正式に人事部に異動することになりました。

研修の仕事もとてもやりがいがありましたが、少しずつ人事の他の業務もやっていくようになり、気づけば一通りの経験をさせてもらいました。人事は「人」というとても難しいものが対象でもあるので、労働法やキャリア理論を少しずつ学ぶようになり、その後の自分のキャリア形成の軸となりました。

独立、そしてJリーグの世界へ

髙田春奈氏は2020年1月にV・ファーレン長崎の代表取締役に就任した。写真提供=V・ファーレン長崎

ソニーで4年ほど働いた頃、ふと自分が仕事を「こなす」ようになっていることに気づきました。さらには人事というカテゴリーしか知らない自分に不安を感じるようになり、そこから経営全般について学びたいと思うようになりました。

在職中からMBAの取得を目指して英語の勉強を始めたのですが、同時に実際に自分が起業をして、その頃急成長していた父の仕事を手伝っていけば、自分の視野も広がるし、大事な家族の役にも立てるのでいいのではないかと思い、会社を辞めることにしました。そして人事に関わる会社を立ち上げ、父の会社の人事コンサルティングを行うと同時に、留学ではなく、国内の大学の経営学科に学士入学して、経営の基礎を学びました。

初回の連載で書いたように、父の仕事に関わることに抵抗はあったのですが、自分の今できることを大事な家族の役に立て、同時に自分も成長させたいという思いがありました。なので家業に戻ったつもりはなく、5年かけてジャパネットの人事周りの制度を整備した後は、会社名からジャパネットを外し、ゼロから人を採用し、新しく会社を作り直すことにしました。それが、エスプリングホールディングスでした。

そこから5年、同社の傘下で新しく始めた広告代理店業も合わせ、社員も50人近くになり、ある程度スムーズに会社運営ができるようになったのですが、組織が大きくなるにつれ、自分が現場から離れていくことに疑問を感じるようになりました。ちょうどその頃、ジャパネットの社長交代で体制変更もあったため、同社をジャパネットグループに入れて、経営から離れることを決意しました。

しかし、ジャパネットの新体制づくりに一緒に取り組んでいくうちに、どんどん新しい仕事が増えていって、そうした中でV・ファーレン長崎がジャパネットのグループ会社になり私も両社での職責を兼務するようになり、遂には今年社長に就任することとなりました。まさか自分がプロスポーツクラブの社長になろうとは、人生は本当にわかりません。

計画された偶発性

自分のキャリアを振り返ってみると、働く場所や役割よりも、そこで自分が何を成しえるのかが重要だと思って、道を選択してきたような気がします。また長期的なビジョンはあまり描いておらず、今、そして近い未来の自分が大事だと思うことをやり続けてきました。

でもその中でスキルや知識が自然と身についてきたし、自分が何を大切に生きているのかにも気づけたし、大切な仲間も沢山できました。ビジネスには興味がない、と思っていた私が気づいたのは、「仕事は社会とつながるための手段」だということです。

どんな形であれ、仕事は他者なしでは成しえないし、相手を選ぶことも基本的にはできません。学生時代は仲のいい人だけで集まっていればよかったけど、社会に出れば苦手だと思っていたタイプの人とも協業しないといけません。逆に言うとそうすることで自分自身も多層的になっていく気がします。

キャリア理論の一つにPlanned Happenstance Theoryというものがあります。日本語でいうと「計画された偶発性」、つまり「偶然」と「計画」という相対する概念が一緒になっているのです。キャリアを形成するにあたり、絶対にこうすれば大丈夫という計画を立てるのはほぼ不可能で、偶然出会うものによってまるで計画されていたかのように自分のキャリアは形成されているという考え方です。

私の例でいえば、ソニーという会社に就職はしたけれどもどこに配属されるかは運に近く、そこで出会った人事の仕事に面白みを感じて、自分のキャリアが形成されていきました。私の身近な友人でも例えばマネーフォワードを創業した辻庸介さんは、実は入社式の時に隣に座っていた同期なのですが、最初の配属が希望ではなかった経理部で落ち込んでいたものの、マネックスという会社へ出向し、留学してMBAを取得し、企業向けのクラウドサービスや個人向けの家計簿サービスを提供する会社を立ちあげ、今の活躍に至っています。

私の父もたまたま実家のカメラ屋を手伝ったところから、写真撮影を通して人に何かを伝えることを仕事にするようになり、偶然やることになったラジオショッピングからヒントを得て、通信販売の世界につながっていきました。最初から定めた夢を努力で叶える人ももちろんいますが、たとえ夢がなくても、夢が途中で変わってしまっても、偶然の出会いを大切にすること、そして目の前のことに一生懸命取り組むことから、十分人生は広がりうるものだと思います。

自分が自分の人生の主役になる

今コロナ禍にあってはまさにそれが当てはまる状況ではないかと思います。例えば飲食店を営んでいる方が、そこからテイクアウトの仕事を展開するようになり、成功されることもあるかもしれませんし、残念ながらビジネスを閉じた後に出会った仕事が天職のようになるかもしれません。

もちろんそんなに余裕がある人ばかりではないかもしれませんが、それを救うための仕組みが公的なセーフティーネットであり、それぞれの役割の中で、社会は成り立っているものだと思います。今回の出来事を通して、医者を目指そうと思う子どもたちも出てくるかもしれないですし、政治に関心を持つようになった人もいると思います。今回のことで社会の構図を知り、その中で自分がどう関与するのか、多くの人が考えるきっかけにもなっていると思います。

私が就職活動をした頃は氷河期と呼ばれる時代でしたが、そのあとすぐにリーマンショックが訪れ、さらに経済の構図は激変しました。勉強していい大学に入って大企業に勤めていた人が、まさか失業するようなこともあります。だから絶対に大丈夫な企業というのもないし、こうしていれば安泰ということもない。頼れるのは自分と自分の周りにいる仲間たちだけという中では、いい意味で、何かに期待をしないことが大事なのではないかと思います。

自分が企業や国家などに守ってもらう側にいることに慣れてしまうと、いざというときに不満を言うことしかできなくなってしまう。だから末端の一員でもいいから、社会は「作り上げる側」にいることが大事だと思います。それは自分が「自分の人生の主役になること」であり、自分を幸せにしてあげるコツのようなものかもしれません。誰かに文句を言って終わる人生は、やっぱり面白くないなと純粋に思うのです。

外界の状況を変えることはできないけど、その中でできること、やりたいことを見つけて一生懸命頑張っていれば、新しい発見も成長もあるかもしれないし、何よりそのプロセス自体が楽しくなると思います。自分が歩む一つひとつの場所で身についたスキルや感覚、人とのつながりが、いつの間にか糸のようにつながって自分にしかない唯一のキャリアになっていく。そのことだけは信じて、これからも目の前の今に一生懸命であること、そしてそこで得た出会いを大切にしていくことができればと思います。

編集部より=髙田社長の「目の前に一生懸命であること」は、新年度で新たな環境に移られた方だけでなく、現在の大変な状況下に直面する多くの人に当てはまるかもしれません。次回、髙田社長には、このコロナ禍で社会・経済環境が大きく変わる中、「これからのクラブ経営」をテーマに綴っていただきます。


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