サッカービジネスは加速度的にグローバル化しているが、そのブランド力を足元で固めるのは国内人気に他ならない。事実、欧州では近年、地元ファンやサポーターの創造に向けた顧客体験「ファン・エクスペリエンス」が注目されている。欧州各国の協会やリーグ、クラブに提言を行うコンサルティング会社The Fan Experience Company創業者で、英サッカービジネス専門誌『FC Business』のレギュラー・コラムニストでもあるマーク・ブラッドリー氏が、そのコンセプトと成功事例、そして今後の発展可能性を解説する。
前回コラム:【ファン・エクスペリエンス考#2】モデルケースを通して知る、理想的な顧客体験
他者推奨意向に影響するファン・エクスペリエンス
前回は、新たなファンを獲得するために、サッカークラブがいかに様々な趣向を凝らしているのかを実例を挙げて説明した。今回はサッカービジネスにおいて生まれ始めた、「バリュー」創出のための新たな取り組みについて論じながら、ファン・エクスペリエンスの未来を予想する。
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第2回で紹介した例は、一つのモデルケースに過ぎない。私たちはこれまで2,000以上の試合で、ファン・エクスペリエンスを評価し、サッカー協会やリーグ、クラブに対して幾多の提案を行ってきたが、ファン・エクスペリエンスの対象となる人々は様々だ。
そこにはサッカーに初めて触れる人もいれば、逆にサッカーに興味を失ってしまったオールドファンも含まれる。女性や子ども、アウェーのファン、障害をもつ人々も含まれてくることは指摘するまでもない。
また、短期間ですぐに結果が出ることもあれば、効果が現れるまで時間がかかることも当然ある。だが、そこには一つの共通する要素がある。それはクラブ側がファンに寄り添い、あくまでも相手の目線に立って考えていくことだ。
ファン・エクスペリエンへの試みは、マーケティングの観点からも非常に有効だ。
例えば顧客向けのビジネスを展開している業界では、事業を成功に導くために各種のKPI(主要業績評価指標)が設定されている。
顧客とのエンゲージメントの深さを測定する際には、NPS (ネット・プロモーター・スコア)が用いられるケースが多い。この指標は、顧客がサービスの提供者に対して抱いている忠誠心――親近感や思い入れ、信頼の深さを示す指標となる。これを高いレベルに保っていけば、顧客が抱いている期待値と、実際に提供されているサービスに対する満足感が乖離することを避け、ビジネスをさらに発展させていくことができる。
今回、紹介してきたファン・エンゲージメント、とりわけサッカーの試合をこれまで観戦したことのないファミリー層をターゲットにした、魅力的なファン・エクスペリエンスなどはNPSをはじめとするKPIを向上させていく上で、きわめて有効なことが実証されている。
「顧客獲得がゴール」から、「顧客との価値創造」のビジネスモデルへ
もちろん、ファン・エクスペリエンスは万能なわけではない。すでにクラブに対して思い入れを抱いているサポーターの場合は効果が弱まるからだ。
ただしサッカー界もしかるべき手を打ち始めている。
例えばMLSのシアトル・サウンダーズとブンデスリーガのボルシア・ドルトムントなどは、クラブが体現するコアバリュー(価値観)、信念、そして堅持していくべき原則を踏まえた上で、サポーターやファンを中心に据えたフライホール型(循環型)のビジネスモデルを採用する。フィードバックを正確に分析し、次なるサービスの開発や提供に活かし、さらにはよりフィードバックがしやすいような環境を作っていくことで、サッカーを通して得られる満足感を向上させていく発想だ。
これは従来採用されてきた、ファネル型(顧客の獲得を最終目標に据えた、段階的かつ垂直的なマーケティング)とは明らかに発想を異にする。言葉を換えれば、マーケティングの発想そのものが循環型のものに進化してきたからこそ、クラブ側も持続可能なビジネスモデルに移行してくることができたのである。
社会的なバリュー創出によるブランド力向上
またサッカー界では、ファン獲得のための直接的なマーケティングという発想を離れ、いわゆる社会的、普遍的なバリューの創出による、ブランドの向上を図り始めたクラブもある。
このようなクラブの一例としては、デンマークのFCノアシェランが挙げられるだろう。
デンマークのトップリーグに所属するノアシェランは、ライト・トゥ・ドリームというNGOと協働。きわめて意欲的な活動を展開してきた。
そもそもライト・トゥ・ドリームは、英国人の社会起業家であるトム・ヴァーノン氏が1999年に立ち上げたプロジェクトだった。同プロジェクトは、アフリカのガーナで独自にサッカーアカデミーを運営。これまで48人のプロ選手を輩出してきた。そのうちの24人は、ユースやシニアレベルの代表チームに名を連ねるまでになったし、70人もの生徒に対して、英国や米国の教育機関から奨学金を受けられるようなチャンスを作り出してきた。
FCノアシェランを運営している人々は、このビジョンに強く共感。積極的にパートナーシップを展開している。事実、2016年からはノアシェランのホームスタジアムは「ライト・トゥ・ドリーム」に改称されるまでになった。
スポーツビジネスにおける持続可能な発展モデルを紹介しているウェブサイトでは、FCノアシェランの活動を次のように評している。
「この独自のパートナーシップは、当初は、誤ったアプローチであるかのように思われた。他のサッカークラブの場合は、選手の供給源を確保するために、アフリカにおいて自分たちのクラブの名前を冠したアカデミーを立ち上げる事例が増えていたからだ。
だが(FCノアシェランは)国連が掲げた持続可能な開発目標に従い、成功をもたらしながら持続させていくこともできるような、刺激的な開発モデルをサッカー界に提示している」
選手個人でも広がる「社会価値」の創出
むろん、サッカーを通して社会的に有意な価値を高めていこうとする試みは、個人レベルでも始まっている。
例えばマンチェスター・ユナイテッドのフアン・マタは「コモン・ゴール(共通のゴール)」という社会的なプロジェクトを開始。同僚のプロのサッカー選手に対して、給与の1%を社会に役立てるために寄付しようと呼びかけている。
たしかにこの種の活動は、直接的なファン・エクスペリエンスの提供にはつながらないかもしれない。だがファン・エンゲージメントを少しずつ高めていくことはできる。
自分たちのクラブは勝利を目指したり、サポーターに良質なサービスを提供してくれたりするだけでなく、社会全体の発展のために貢献しようとしている。このような認識はクラブの社会的な価値を高め、サポーターの心に強い誇りと忠誠心を抱かせるのにも役立つからだ。またこのような試みが他の競合クラブとの差別化を可能にするだけでなく、さらに幅広い人々に対してリーチを拡大していくことは指摘するまでもない。
「私が応援しているクラブは、他のクラブとはひと味違う」
私の妻のアナがサッカーに触れ始めたとき、私が興味を惹かれたのは、自分たちとはまったく同じ体験をしても、まるで違う表現で自らの体験を語ったことだった。これはきわめて示唆に富む。
サッカークラブ側が若い世代の人々や、これまでサッカーに興味を持っていなかった人々を取り込んでいこうとするならば、アピールする方法もやはり変えていく必要がある。
ファン・エクスペリエンスの提供は、その典型例の一つだと言えるだろう。
上に述べたような、社会的なバリューの創出によるPRもしかり。結局のところ、カスタマーをターゲットにしたサッカークラブのマーケティングは、他のクラブでは得られないような共感や絆をいかに創出していくかに尽きるからだ。
「私が応援しているクラブは、他のクラブとはひと味違う」
サッカークラブはいつの時代にも、ファンにこう言ってもらえるように様々な試行錯誤を続けている。この試みは、これからさらに多様化し、進化していくに違いない。