智将野村克也の心に残る名言を紹介

スポーツ選手には名言を残している人が多くいますが、中でも「監督」としてチームを率いた経験がある人は、深い言葉を残しています。

この記事では、野球界で知らぬ人のない名将「野村克也」が発した名言や、野球人としての彼の人生を紹介しています。野村克也氏の著書もいくつか紹介していますので、ぜひ最後までご覧ください。

野村克也氏について

野村克也氏は、高校卒業後に南海ホークスに入団し、プロ野球選手になりました。プロ野球選手としては、史上2人目の「三冠王」、9度の「本塁打王」、7度の「打点王」、5度の「最優秀選手賞」を獲得するなど、多数の記録を持っています。

また、南海ホークスに選手として在籍しながらも、監督としても活躍するという、「選手兼任監督」も務めました。

選手引退後は、「ヤクルトスワローズ」「阪神タイガース」「東北楽天ゴールデンイーグルス」の3球団の監督を務めました。監督としての野村克也氏は、チームをリーグ優勝に合計5回導いており、そのうち3回は日本一に輝いています。

プロ野球選手としての野村克也

野村克也氏は、幼いころに父を戦争で亡くし、貧しい母子家庭で育ちます。小学1年生のころから、家計を助けるためにアルバイトをするような生活でした。

お金の問題で高校進学も難しい状況でしたが、兄の嘉明氏が大学進学を諦めてくれたおかげで、高校に進学することができました。

野村克也氏が進学した高校は、甲子園になど縁のない弱小高校でしたので、プロ球団のスカウトの目に留まることもありませんでした。そのため野村克也氏は、「テスト生」として南海ホークスに入団しました。

プロになってからも順風満帆とは行かず、1年目のオフに「戦力外通告」を受けます。しかし彼は「クビになったら南海電車に飛び込みます」と訴え、なんとか残留。その後、必死の特訓を繰り返し、3年目には「正捕手」として1軍レギュラーの地位をつかみとりました。

その後は、4年目の「ホームラン王」を始めとして、数々のタイトルを獲得し、捕手としても打者としても、球界を代表する選手に育ちました。1969年には、選手をしながら監督もこなすという偉業を成し遂げています。

プロ野球選手を引退してからの野村克也氏

プロ野球選手を引退した後は、「解説者」としてテレビや雑誌で活躍しました。

それまでの解説者は、起こった「結果」を解説するのがスタンダードだったのに対して、野村克也氏は投手や打者の心理を追いながら、試合で起こることを「予測」して解説するという、新しい解説スタイルで人気を集めました。

1989年に野村克也氏は、ヤクルトスワローズからの強い要請を受けて、監督として野球の現場に復帰しました。そして監督として、データに基づいた理論的な野球「ID野球」をかかげ、ヤクルトスワローズの選手の意識改革を行います。

野村克也氏はその指導力によって、多くの選手の力を引き出しました。特に愛弟子として鍛え上げた古田敦也氏は、球界を代表する捕手となり、その後監督となって3年目にはリーグ優勝を成し遂げました。そして4年目には、ヤクルトスワローズを日本一にまで持っていきました。

ヤクルトスワローズの監督を辞めた後も、野村克也氏は「阪神タイガース」「シダックス(社会人野球)」「東北楽天ゴールデンイーグルス」の監督に就任しました。

阪神タイガースでは、めぼしい結果を残せなかったものの、楽天イーグルスでは、圧倒的に不足している戦力をやりくりして、他球団と互角に戦えるほどのチームにしました。

楽天イーグルスの監督を退任した後は、「野球評論家」「野球解説者」として各メディアで活躍しましたが、2020年の2月に84歳で世を去りました。

野村克也氏の名言集

写真提供 = Don Starkey / Unsplash.com

野村克也氏は、データを重視する理論家だけに、多くの名言を残しています。たとえば、何かの問題を解決する際に大事にすべきことついて、こう述べています。

「誰にでも『考える』という才能はある」

数々の記録を残した野村克也氏ですが、才能にあふれた天才だったわけではありません。実際、プロ入団し1年目にして、戦力外通告を受けています。しかし、どうすれば自分を伸ばせるかを考えに考え尽くし、実力を高めて、結果を出しました。

ただ漫然と行動するのではなく、「知恵」を絞って問題に取り組むことが重要です。頭を使って挑めば、思いもしなかったような大きな成果をあげられる可能性が高まります。

また、人間の「成長」に必要な要素について、野村克也氏は、こう述べています。

「ライバルの存在なくして、人としての成長なし」

野村克也氏は野球選手として多くの記録を持っていますが、球界で1番の記録ではなく、2番手止まりの記録でしかない、といったことが多くありました。

たとえば、日本野球の最多本塁打を記録したことがありますが、その翌年には、あっさり王貞治氏に本塁打記録を更新されていたりします。その他の記録も、王貞治氏に追い抜かれるケースが頻繁にありました。

引退後の野村克也氏は、現役時代、内心では王貞治氏に対する激しい「嫉妬心」が渦巻いていたと語っています。しかし同時に、ライバルがいたからこそ、必死になって技術を磨いたのだ、とも述べています。

たとえば、同僚が大きなプロジェクトを任されたり、後輩が実績を挙げたり、と嫉妬を感じる場面があるかもしれません。しかし、そういったライバルの存在は、自分を高めるための糧となるものです。

ライバルを上回ろうという気持ちや、ライバルに追い抜かれまいとする気持ちは、目的のために努力をするモチベーションとなります。

野村克也氏の書籍等

緻密な理論家である野村克也氏は、多くの著書を世に出しています。共著を含めると、発表されている本の数は150を超えるほどです。その野村克也氏の著書の中でも、名著と呼ばれている次の本を紹介します。

  • 野村ノート
  • 野村再生工場 – 叱り方、褒め方、教え方

では、それぞれ見ていきましょう。

野村ノート

『野村ノート』には、野村克也氏が監督の時に、何を考えて選手たちを指導していたのかが書き記されています。どのように選手を育てたのか、監督としてどういった采配をしたのか、など野球理論が、実在の選手を例に挙げて具体的に説明されています。

野村ノートは、他の著作と比べて野球について書かれている比率が高い本です。しかし、リーダーとしてどうするかといった話も多いため、管理職として働くサラリーマンにも応用が効く内容となっています。

野村再生工場 – 叱り方、褒め方、教え方

『野村再生工場 – 叱り方、褒め方、教え方』は、東北楽天ゴールデンイーグルスを躍進させた彼のノウハウが書かれている本です。楽天イーグルスは、2004年に設立された球団で、初期は他球団とはとても戦えないような戦力しか持っていませんでした。

楽天イーグルスの初年度は、他球団と大差の最下位。2年目から監督をまかされた野村克也氏は、若手を育てたり、他球団で戦力外通告を受けた選手を使ったりして、他球団と競えるレベルにまで育て上げました。

『野村再生工場』では、野村克也氏がどのように指導を行い、選手と球団を再生させたのかが、克明に記されています。野村克也氏が助言として与えた言葉や、組織を導く方法論は、サラリーマンにも応用できるものです。

まとめ

野村克也氏は、捕手として、偉大な成績を残したプロ野球選手です。選手引退後も、名将としていくつもの球団の監督を務めました。

そんな彼の名言は、数多く残っています。多数の著書を執筆しているため、機になる方はぜひ読んでみてください。

(TOP写真提供 = Ben Hershey / Unsplash.com)


《参考記事一覧》

野村克也「才能がなくても伸びる人」「伸びない人」の決定的違い 生涯を通してたどり着いた真理 | (PRESIDENT Online)

楽天ブックス: 野村再生工場 – 叱り方、褒め方、教え方 – 野村克也 – 9784047101517 : 本(楽天ブックス)

楽天ブックス: 野村ノート – 野村 克也 – 9784093876049 : 本(楽天ブックス)

球界の知将・野村克也さんが実践してきた「正しい努力」とは | ニュース3面鏡 | (ダイヤモンド・オンライン)

「俺の人生は2番ばかり」そうボヤく野村克也が「王貞治がいてよかった」と話すワケ ライバルがいたからこそ努力できた |(PRESIDENT Online)

野村克也(Wikipedia)

 
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