心に残ったバレー選手&監督の名言9選

これまで多くのスポーツ選手が、聞いた人を感動させる言葉を語っています。スポーツ選手の言葉は、人生の参考になったり、心が挫けそうになったときに力を与えてくれます。

本記事では、数多くあるスポーツ選手の名言から、バレーボール選手をピックアップしてみました。

女子バレー・男子バレーの選手、そして監督が語った名言を、それぞれ紹介していますので、ぜひご覧ください。

女子バレー選手の名言

まず紹介するのは、女子バレー選手の名言です。

大林素子

「ボールはね、落としたら死ぬ。自分の寿命みたいな存在でした。」

バレーボール女子日本代表のエースアタッカー。そして、「1988年のソウル大会」「1992年バルセロナ大会」「1996年アトランタ大会」の3つのオリンピック大会に出場した大林素子選手。

1995年には、イタリア・セリエAのアンコーナと日本人として初のプロ契約した選手でもあります。

そんな大林素子選手は、小学校に入ると身長がぐんぐん伸びたことで、友達に「ジャイアント素子」「お化け巨人」「デカ林」などとかからかわれていました。自身の身長がコンプレックスで、一時は自死しようと思うほどまで悩まされたと語っています。

この名言には、死なずに生き延びるために選んだバレーに対する想いが込められています。

高橋みゆき

「みんな起こりもしないことを想像して悩んでる。そんなもの起ってから悩めば良い。」

攻撃的なアタッカーとして抜群の身体能力を持っていたことから、2000年に全日本代表に初選出され、その翌年には全日本の主軸となった高橋みゆき選手。身長170cmとバレー選手としては低めの身長が特徴的です。

2003年のワールドカップでは123得点を獲得し、スパイク決定率大会4位の活躍をみせました。また、2005年のワールドグランプリでは決勝ラウンドの得点王。さらに、2007年のアジア選手権では、日本代表チームを優勝へと導く原動力となりました。

上記で紹介した名言は、プレーだけでなくメンタル面でもチームを支え続けた高橋みゆき選手らしい言葉です。

石井優希

「途中出場でも自分の役割を果たせればいい。今ではもう、途中から入るほうが”ラッキーガール”になれると思っています。」

万能型アタッカーとして、久光製薬(現久光)4度のVリーグ優勝に貢献した石井優希選手。女子バレーボール日本代表として、2016年のリオデジャネイロ大会と2021年の東京大会で注目された選手です。

一時期は途中出場が主となっていたため、かつてのプロ野球選手になぞらえて「8時半の女」と呼ばれることを良くは思っていませんでした。

そんな石井優希選手は、途中出場でも自分の役割を果たせればいいと気持ちを切り替えたとのこと。出場すれば試合の流れを変えるラッキーガールと呼ばれるようになり、2021年の東京大会でも活躍しました。

他にも、石井優希選手の名言には、下記の言葉があります。

「今まではいろんなことをネガティブに考えることが多かったのが、今は割り切れている。」

「気持ちで負けない。これからにつなげるために自分のパフォーマンスを上げよう。」

「相手から嫌な選手と思われたい。相手に「乗らせたくない」と思われる選手に。」

男子バレー選手の名言

写真提供 = pan xiaozhen / Unsplash.com

続いて、男子バレー選手が語った名言を紹介します。

石川祐希

「どれだけ本気になれるか。それに尽きる。」

姉の影響でバレーボールを始め、星城高等学校の2012年・2013年の2年連続高校3冠の原動力となった石川祐希選手。

2014年4月に中央大学に進学し、全日本代表候補入りを果たした後、日本のVリーグには所属せず、単身イタリアに渡り活躍しました。

また、2021年の東京大会では、キャプテンとして日本代表チームを牽引。そんな石川祐希選手は、他にも下記のような名言を語っています。

「トライしていかないと何も始まりません。」

「バレーボールは一人が良くても絶対に勝てない。」

「自分次第でその先の人生が変わってきます。」

清水邦広

「苦しんだ分だけ喜びが待ってるのであとは突っ走るだけ。」

2007年にバレーボール日本代表に初選出され,以後日本代表選手として活躍し、大黒柱として長く日本代表を支えた水邦広選手。右膝の前十字靭帯断裂、内側側副靭帯断裂、半月板損傷、軟骨損傷といった怪我を負い、一時は引退を囁かれたこともありました。

しかし、自身の努力と執念によって、選手生命をおびやかす大怪我を克服して復帰。2021年の東京大会では控えでの出場ではあったものの、日本代表の準々決勝進出に大きく貢献しました。

そんな清水邦広選手は、他にも下記のような名言を語っています。

「北京五輪のときは、自分がダメでも他の人がやってくれる、自分は思いきりやればいいという感じで、何も背負うものはなかった。でも世界選手権は、自分ができなかったら負ける、という責任や重圧がありました。」

「最後笑って終われるように、(東京大会までの)残り少ない時間を過ごしていきたい。」

柳田将洋

「嘆くのではなく、あの時間があったからできた、というものを僕はつくっていきたい。」

日本のVリーグに加え、ドイツ・ポーランドなどでも活躍したほか、2018年にはバレーボール男子日本代表の主将に就任し、チームを牽引した柳田将洋選手。身長186cmと日本代表のなかでは身長は平均より少し低いですが、その強力なジャンプ力とジャンプサーブは、チームの大きな武器となっていました。

残念ながら、2021年の東京大会では日本代表のメンバーに残ることはできませんでした。

しかし、「2020-21 V.LEAGUE DIVISION1」では、サントリーの14シーズンぶり8度目の優勝に貢献。自らもベスト6を受賞するなどしています。

そんな柳田将洋選手は、他にも下記のような名言を語っています。

「僕は僕でしっかり自分のやるべきことをやるだけ。」

「大事なのは、東京五輪の先ですよね。」

「僕は2mの選手にはできないことをすればいい。経験なのかスキルなのか、スピードなのか。それらをしっかりと高めていけば、道はあると思います。」

監督の名言

最後に、バレーボールの監督が語った名言を紹介します。

眞鍋政義

「最も大事で、しかしながら難しいのは、全員の『感情のコントロール』です。」

バレーボールの現役選手時代には、名セッターとして活躍しソウル大会に出場。その後、新日鐵選手兼任監督となり、選手引退後は全日本女子監督に就任し、ロンドン大会での全日本女子の28年ぶりの銅メダル獲得に貢献した眞鍋政義監督。

ロンドン大会や2010年の世界選手権での32年ぶりのメダル獲得に繋がった理由は、かつての根性バレーから脱却を図るために、試合中にiPadで即座に分析された情報をチーム作戦に生かす「IDバレー」を、眞鍋政義監督が採用したからだと言われています。

そんな眞鍋政義監督は、他にも下記のような名言を語っています。

「過去の成功体験はそのまま真似ても成功しませんが、歴史には学ぶべき要素、ヒントになることがたくさんあるのです。」

「新しいことに挑戦するのは勇気が要ります。でも私が迷いなく新戦術にこだわり続けられるのは、バレーボールの歴史が物語っていることが大きい。」

「最初は失敗してもいい。最終的に、五輪という大本番で新戦術が機能すればいいわけで、それまでの世界級の大会が実験と検証を繰り返す場になります。」

中田久美

「常識の延長線上に勝利はない。」

15歳で全日本女子チームのセッターに選ばれた後、Vリーグ時代を通じて女子最多4度の最高殊勲選手賞を受賞している中田久美監督。1992年にはバルセロナ大会で日本女子バレー史上初となる3度目の五輪出場を果たし、日本選手団の旗手を務めるなどもしています。

現役引退後は、2005年から翌年まで日本バレーボール協会の強化委員となり、2008年にはイタリアプロリーグセリエA・ヴィチェンツァのコーチに就任。その後、日本人女子初の海外バレーボールチームの指導者となりました。

また、2016年以降は日本バレーボール協会理事会にて、満場一致で女子日本代表の監督に選出されています。

そんな中田久美監督は、他にも下記のような名言を語っています。

「努力をしたからこそ、自分の力を信じられる。」

「怒られるから一生懸命やる選手はダメ、学生時代に活躍しても絶対にフェードアウトする。」

松平康隆

「勝つことも大切だが、その前にもうひとつ、勝利をわがことのように喜んでくれる人を1人でも多く持つことだ。」

バレーボール全日本男子代表の元監督や日本バレーボール協会名誉顧問、アジアバレーボール連盟終身名誉会長に就任したことのある松平康隆監督。他にも、国際バレーボール連盟名誉副会長、日本オリンピック委員会名誉委員にも就任した経緯があります。

自身も慶應義塾大学のバレーボール部の主将として、1951年に全日本9人制選手権大会で優勝し、学生チームとして戦後初となる天皇杯を獲得。1954年には、9人制の選手として全日本入りしています。

現役引退後には、6人制バレーを学ぶためソ連に留学。帰国後、日本男子代表チームのコーチとなり、1965年に監督となりました。

また松平康隆氏は、日本人で初めてアメリカ合衆国マサチューセッツ州ホルヨーク市に所在する「バレーボール殿堂」で殿堂入りを果たした人物の1人。ちなみに、バレーボールに多大な功績を残した人を記念するために設立された博物館です。

そんな松平康隆監督は、他にも下記のような名言を語っています。

「創造性のないチームが世界一にはなれない。」

「人は、いま、元気でも明日はどうなっているかわからない。それならば、決して悔いのない人生を過したい、自分の人生が満足だったと思えるものにしたい。」

「常識の延長線上に世界一は絶対にない。非常識の延長線上にしか世界一はない。」

まとめ

今回は、バレーボール選手や監督の名言をまとめました。

名選手・名監督と呼ばれ、世界で活躍する方たちも、常に順風満帆だったということはありません。何度も挫折し、それを乗り越えるための努力をしてきたからこそ、結果を出すことができたのです。

今回紹介した歴史に残るバレーボール選手や監督の名言は、現在夢を目指して頑張っている方々の励みとなり、今後の活力となることでしょう。

本記事が、バレーボール選手や監督の名言について知りたい方の参考になれば幸いです。 

(TOP写真提供 = Erik Mclean / Unsplash.com)


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