なぜアシックスは「スポーツ教育プロジェクト」を始めるのか? 幹部に聞く、日本の部活動が直面する課題とその未来

ポストコロナ時代を見据えた新たな事業展開、そして次代に向けた新たな可能性を拓くべく、スポーツビジネス界の動きが活発になってきている。そんな中、ひときわ注目を集めているのが、日本を代表するスポーツ用品メーカー、アシックスがスタートさせた新たな教育プロジェクトだ。

連綿と受け継がれてきた、創業以来の理念

「スポーツ教育プロジェクト」と題された取り組みは、筑波大学スマートウエルネスシティ政策開発研究センターの研究サポートに加えて、ストレングス&コンディショニング、栄養学、リーダーシップ教育などの専門家と連携した講義やトレーニング、また、海外体験 (海外のスポーツアカデミーやアメリカの大学などへの留学)などを提供して、部活動の指導者そして生徒を支援。グローバルな社会で活躍するリーダーを育んでいこうとする、壮大かつ有意義な試みである。

アシックスで常務執行役員を務める松下直樹氏によれば、意欲的なアイディアが社内で萌芽したのは8年ほど前だったという。

「もともと当社は、戦後間もない1949年に神戸で創業。以降、スポーツを通じて青少年の健全な育成に貢献したい、日本や世界の未来のために貢献したいという一心で、スポーツ用品メーカーとして活動してきました。

その過程では、学校の先生方やチームのコーチの方々にいろんなことを教えていただきながら、選手の方々にも積極的に意見を出していただき、さらには我々も独自のアイディアを重ねていくという作業を続けてきたわけですが、おかげさまで豊富な知識も蓄え、分析できるようなシステムも生まれてきた。

ならば、そろそろ自分たちの知見をお役立てするタイミングが来たのではないかと。教えていただくだけではなく、我々の方から我々のアイディアを活用して、コーチングやティーチングをさせていただく段階が来たのではないかという意見が高まってきたんです」

IMGアカデミー アジア統括者との幸運な出会い

株式会社アシックス 常務執行役員 松下直樹氏

これはスポーツ庁が創設され、日本のスポーツ界が大きく代わり始めた時期に重なる。時代の追い風を受けながら新たな可能性を模索し始めた同社は、幸運にも恵まれる。松下氏らは人材育成や学生教育の課題を解決するためのヒントを得るべく、海外にも精力的に視察を行っていた。

その一環でアメリカを訪れた際、IMGアカデミーでアジア地区を統括していた田丸尚稔氏と出会うことになったのである。田丸氏は語る。

「私の場合は、アメリカのスポーツビジネス、スポーツ教育を学ぶのが、日本の子供たちが抱えていた問題を解決するヒントになるかもしれないということで、アメリカの大学院で学ぶようになり、その延長線上でIMGアカデミーに勤務するようになりました。

そこで松下が視察に来たんですが、まさに同じ視座に立っていたと言うか。アシックスという会社自体、創業以来、青少年のスポーツの健全な環境をつくるための活動を行ってきた。とりわけ、学校体育や部活動の支援に長年、非常に力を入れてきた稀有な会社だと思っています。

話を聞いているうちに、私が理想に掲げているものと同じ未来を描いていることは理解できましたし、アシックスが持つ知見やリソースも魅力的だった。私が学んでいたスポーツ教育における組織マネージメントを活かすにもタイミング的に熟していましたので、2020年に日本に帰国してアシックスに入り、このプロジェクトの準備を始めたんです」

日本の部活動が抱えていた各種の問題

田丸氏をしてアメリカに目を向けさせた、「日本の子供たちが抱える問題」とはいかなるものだったのか。

「まずスポーツを通じて青少年の健全な育成を図ろうとするならば、やはり体育館やグラウンドという施設を確保することが必要になる。学校教育との連携を考えても、部活動というのは理想的なプラットフォームになるんですね。しかし従来の部活動では、指導者不足をはじめとするいくつかの問題がありました。

指導者の約半数は、その競技経験を持たない方が占めています。これでは子供たちは身体の成長過程という大事なときに適切な指導を受けられなくなってしまう。また体育の先生ですらない方が顧問をしている状況も多いので、学校で起こるケガの約半数は課外活動、特に運動部の活動で起きていると言われるような現状がありました。

一方で部活動は、教える側の先生たちにとっても大きな負担になってきました。本来は学校の教諭である方が、課外活動も担当して、週末には試合の引率などもこなすわけですから、労働時間が長くなるのは当然です。このような現状もなんとか改善しなければという問題意識は常にありました」

松下氏も似たような問題意識を、アシックスの活動を通して持つようになっていた。

「私どもは長年の活動を通して、日本の部活動の現場が、非常に人手不足や時間不足に陥っているということもつぶさに見せていただいてきました。もちろん非常に恵まれた環境で指導されている学校もあると思います。しかし大多数の学校では、専門的な知識を必ずしもお持ちではない先生が指導をされているし、ほとんどの方がご自身の時間を削りながら、一生懸命に指導されようとしているのが現状なんです」

部活動の「外部化」がもたらす様々な効果

ならば現状を、いかにして変えていくか。

田丸氏や松下氏が導き出したソリューションは『部活動の外部化』、学外で活動してきた人材の積極登用である。これは本プロジェクトの一つ目の特徴になっている。

「部活動を『外部化』しようという声は以前からありました。部活動の代わりに、地域の総合型スポーツクラブで運動の機会や、健康な体作りの機会を提供する発想です。

しかし地域のスポーツクラブを活用している中高生は、だいたい5〜6パーセント程度に留まっているという調査報告もありますし、やはり課外活動でも教育という見地から学校でやるべきだという議論が多数を占めてきた。これも従来、『外部化』が進まない要因の一つになってきました」

ただし田丸氏は、次のように強調するのも忘れなかった。

「我々が目指している『外部化』とは、運動部の活動をすべて学校や顧問の先生から奪ってしまうということでは全くありません。むしろ重視しているのは逆のこと、現在、部活動を担当されている顧問の先生や指導者の方、そして学校側としっかりコラボレーションしながら、支えさせていただくことなんです。

たとえば専門的なフィジカルトレーニングや栄養学、あるいはコンディショニングに関するノウハウを外部から提供させていただけば、子供たちにはより良いトレーニング環境を提供できるし、顧問の先生方が抱えている、幅広く指導する負担はかなり軽減することができる。また専門的なノウハウを学びたいと思われている先生方にとっては、貴重な学びの場にもなる。実際、これまでの部活動に関する意識調査をみると、部活動に積極的に携わりたいと願われている顧問の先生方は非常に多いこともわかっています」

外部からの人材登用は、これまで指導する機会に恵まれなかった人々に活路を拓き、様々な就業の機会や交流の機会を創出することにもつながる。さらには部活動や学校を軸に、地域コミュニティの活性化ももたらすはずだ。得られる効果は極めて大きい。

名門、山梨学院が見出した意義

とは言え本プロジェクトは、日本の学校や部活動、社会だけにフォーカスしたものではない。リーダーシップを身につけさせるプログラムが組み込まれているのは一例だが、同プロジェクトでは海外留学や英語学習も積極的にサポート。より長期的でグローバルな視点から、生徒の人生を豊かで実りあるものにしようという配慮もなされている。これは二つ目の大きな特徴だと言っていい。

今回のプロジェクトでは、山梨学院が最初のパートナーを務める。同学院理事長の古屋光司氏が強調したのも、スポーツを通じて「生きる力」を育んでいくことの意義だった。

「今回のパートナーシップは高校の野球部、サッカー部、駅伝部が対象になりますが、アシックスさんとパートナーシップを結んだのは、まず手の届きにくい分野までしっかりケアしたいという目的がありました。部活動には競技を教えられる指導者や監督さんはいますが、そういう方は競技の指導者ですし、部員の人数が数百人になれば、きめ細かく指導するのはさらに難しくなる。ならば専門的な知見を持っている方に協力していただいた方が、しっかり子供たちをサポートすることができるようになります。

ただし、私たちがそれ以上に重視しているのは、やはり人格教育の充実です。スポーツはともすれば競技の面だけに注目されがちですが、最も重要なのは自分が据えた目標に向かって努力を重ねていけるかどうかという精神的な部分になります。それがなければ結果を出すことは不可能です」

人生を実りあるものにしていく選択肢

山梨学院は陸上、サッカー、野球などをはじめとして部活動の強豪校だ。画像提供=山梨学院

古屋氏はこうも続ける。

「さらに述べるなら試合や大きな大会というのは、人生における一つの通過点に過ぎません。たとえ高校や大学を卒業してプロのスポーツ選手になれたとしても、成功を収められるのは一握りですし、いずれは引退してセカンドキャリアを積み上げていくことになる。

またプロの道に進まなくとも、人生の夢を叶えていく選択肢は無数にあります。たとえば国内の大学だけでなく、アメリカの大学に進学したり留学したりして違う形でスポーツに関わっていったり、新たな道を拓いていくことも可能でしょう。

大切なのは長い人生を見据えた上での『生きる力』を育んでいくことですし、人生の節目節目で有益な判断を下していくためには、選択肢が存在すること自体を知っておかなければならない。その点でも、このアシックスとのプロジェクトは、非常に大きな可能性を秘めている。まさに日本の部活動の現場に必要とされていたものだと思うんです」

アシックスがもたらすインパクト

アシックスが立ち上げたプロジェクトの3つ目の特徴は、国内外のスポーツ界において確かな実績を積み上げてきたスポーツ用品メーカーが、部活動の現場を積極的にサポートするというインパクトである。

日本には数多くのスポーツ用品メーカーが存在するが、アシックスの実績は群を抜く。各種陸上競技は言わずもがな、サッカー、野球、卓球、テニス、バスケット、ラグビー、レスリング、さらには体操やスケートボードに至るまで、数多くのトップアスリートを支え続けてきた。

このような企業が長年培ったノウハウと経験値、人脈を活かして、スポーツシューズ、アパレルというハードウェアではなく、部活動の支援体制というソフトウェアの部分に参入することのメリットは計り知れないものがある。

松下氏が「シューズのラスト(足型)一つとっても、無数のパターンがあります。大切なのはいかに(ノウハウを)パーソナライズしていくことになります」と述べたように、最終的に指導においてものを言うのは、現場に即した有形無形の知見になるからだ。

関連して述べれば、アシックスのプロジェクトは、自らの本業をしっかり見据えているという点でも興味深い。最後にマネタイズの方法論や、プロジェクトの長期的なビジョンについて尋ねると、松下氏は次のように断言した。

「現段階はサービスを立ち上げたばかりで、これからさらに実証を重ねながら進化させていきたいですし、私たちとしては当然、このサービスを独自でしっかり軌道に乗せていく予定です。ただし我々はやはりスポーツ用品メーカーですし、もちろんより良いプロダクトをお届けすることでも青少年の健全な育成や部活動の充実、日本社会の発展に貢献していきたい。それこそが創業者の鬼塚喜八郎が掲げた創業の原点であり、我が社の根幹ですから」